引き継いで
駅のホームには。
いつものように。
通勤通学の人々が。
電車を待っている。
ピークを過ぎた時間帯。
私は息を吐いて。
ポケットの中から懐中時計を取り出した。
喧騒から少し離れたホームの端。
真新しい制服に身を包んだ私。
カチカチ。
僅かに指に伝わる振動と耳に届く音。
それよりも幾分オーバーしている早さの鼓動。
お兄ちゃん。
いよいよだよ。
プーン。
警笛を鳴らして。
近づいてきた特急電車。
シャーシャー……
反対側の線路を。
颯爽と通りすぎて。
風を残していった――
土手の草がカサカサと揺れる。
私は顔にかかる髪を払いのけて。
耳を澄ます。
ゴー……
江戸川の鉄橋を渡る轟音が徐々に迫ってくる。
「うわっ!」
ガタンゴトン……
シャーシャー……
あっという間に目の前を通り過ぎていった。
白い電車。
「早いね。すごいね」
金網をつかんだ手に汗がわいていた。
「だろ? かっこいいよな特急は」
お兄ちゃんは、私を見下ろして。
得意気に微笑む。
「うん。普段乗ってる電車と全然違う!」
「大きくなったらな、お兄ちゃんが、あの特急の運転士になって、お前を乗せてやるからな」
「うん! 私がお兄ちゃんの運転する特急の、初めてのお客さんだね」
「ああ、約束だ」
私の頭をポンポンと優しく触ってくれた。
「おっ、そろそろ反対側来るぞ。一緒に手を振ろう」
「うん!」
私たちが手を振っていると。
プーン。
運転士さんが警笛を鳴らしてくれた。
それが嬉しくて。
楽しかったのを覚えている。
6つ年上だった兄。
高校の時の事故で障害を負ってしまって。
電車の運転士になる道は諦めた。
でも、電車好きは変わらなくて。
片足が不自由ながらも。
電車の写真を撮りに出掛けている。
たまに二人で。
あの土手に行ったりもする。
「まもなく1番線に電車が参ります……」
よし。
両手で顔を挟んで。
気合いを入れる。
もうすぐ。
私が操縦する電車がやって来る。
「大丈夫、清香なら」
杖をついたお兄ちゃん。
「うん」
お兄ちゃんは微笑みながら。
ガッツポーズをしていた。
私が電車の運転士になると言ったら。
両親や親友は驚いて。
反対意見も出た。
でも。
お兄ちゃんだけが賛成してくれた。
そして、こうも言ってくれた。
「俺の夢を叶えるんじゃなくて。清香がやりたいことなんだろって」
確かに心のどこかで。
最初の頃は。
お兄ちゃんのためって。
理由付けをしていたかもしれない。
でも。
勉強していくうちに。
自分自身の夢になっていたんだ。
制服姿を見たお兄ちゃんは。
「悔しいけど、似合ってるなぁ」
って。
笑いながら。
泣いていた。
目の前に止まった電車。
運転席の扉が開いて。
前任の運転士が降りてきた。
「お疲れ様です。異常ありません」
「お疲れ様です。引き継ぎます」
挨拶を交わして。
足を一歩踏み出した。
鞄を置いて。
指差し点呼で安全確認。
席に腰かけて。
ゆっくりと深呼吸一つ。
そっと。
掌に馴染む。
マスターコントローラーを握る。
手袋の中はびっしょり汗をかいていた。
プー。
車掌さんからの合図。
戸閉灯が点る。
視線の先の信号は青。
「出発進行」
前方を真っ直ぐに指差し。
私はコントローラーを一段。
手前に引く。
プシュー。
ブレーキが解除される。
メーターを確認。
「圧力よし」
ガチャガチャ。
さらにコントローラーを引き寄せる。
ウィーン……
車体の下から。
モーターが響いて。
ゆっくりと景色が動き出す。
ガタン、ゴトン……
心地よい揺れと。
緊張感。
まだまだ。
特急電車の運転は出来ないけど。
いつの日か。
お兄ちゃんを乗せてあげるのが。
今の私の目標。
電車は緩やかなカーブに差し掛かって。
もうすぐ江戸川を渡る。
視界の端。
フェンスの向こうで。
手を振る二つの影が飛び込んできて。
プーン……
警笛ボタンを押していた私。
刹那に視認した影は。
小さな兄妹だった。
ゴー……
あの頃と変わらない音を引き連れて。
私の夢は動いている。
今も。
これからも。
お読み下さりありがとうございます。
感謝しております。




