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若者のディズニー離れとその歴史的転換の意味

ここ数年で驚くべきことを言う人がいました。若者のディズニー離れです。若者はディズニーに憧れずに、KPOPの方に憧れてると言う話です。


この話を単にディズニーランドが値上げで高くなったからというのは、あまりに目先しか見てないと思います。若者のディズニー離れというのは、実はそれ以上の「文化的地殻変動」の意味合いさえあるのです。


「若者のディズニー離れ」というのは、西洋文明そのものの求心力の消滅とさえ言えるのです。それは何故か?19世紀からの西洋の植民地化の流れを見ると一目瞭然なのです。


19世紀よりも時間を遡って16世紀、いや13世紀。16世紀のイエズス会の海外宣教よりも知られてないのですが、ドミニコ会などが北アフリカや中近東などに出向いて、ムスリムを西欧キリスト教に改宗させるという活動をしてましたが、実を結びませんでした。ついでに、イスラーム圏のキリスト教徒を西欧キリスト教に改宗させる活動は多少成果を上げましたが、現地人に反発されてしまいました。


その後16世紀。イエズス会の海外宣教が始まりますが、インドのゴアに拠点を置いて宣教活動しようとしますが、哲学が最強クラスに強すぎるインド人相手に論争で勝てそうにないので、現地のポルトガル人の信徒の世話をしてました。その後、明王朝の宮廷に地球儀などを持ち込んだりして、正確な暦法の作成、地図作成スキル(測量技術。当時の軍事機密情報)の有能さで売り込んだりしてました。


ちょっと前にNHKで放映された地動説アニメの地動説はグレゴリオ暦の作成に貢献し、地動説を使った正確な暦法の作成には明王朝の宮廷での影響力の拡大に貢献してます。


この時代から、科学技術を用いた宣教活動が始まってます。


時代が下って18世紀のフランスの宮廷文化。今の「文化資本」と呼ばれる貴族文化が完成した時代です。現代の飛行機などのファーストクラスの待遇も、この時代の文化の影響を未だに引きずってる。


その後、産業革命とグレートゲームと呼ばれる海外植民地争奪戦が始まります。そして市民革命と共に、それまで貴族社会の独占物だった文化が一般に解放されて行きます。その過程は、産業革命による生産力の拡大でした。


貴族の館のような豪華な装飾のデパートなどがそうなのですが、産業革命での生産力の増大と共に、貴族文化が商業に転用されて行くのです。


前近代では布と鉄は大変な貴重品だったのですが、機械による自動紡績による既製服など、それまで服を次々と仕立てるなぞ、貴族にしかできなかった事を一般化したわけです。


そして更に重要なのは、19世紀の植民地争奪戦のグレートゲームと呼ばれた時代に、最新の科学技術を用いた貴族のような贅沢な暮らしというのが、植民地の上層を引き付ける最大の魅力だったわけです。


つまり西洋が世界を制した魅力の根源は、貴族社会の贅沢な暮らしの一般化であって、インドやイスラームや中国の知識人と論争に勝って思想の優位性を認めさせて広げたのではないというものです。


その西洋の力技の限界が若者のディズニー離れとして出力される。


この「思想で勝ってるのではない」というのが、どんどん覆されて行くのがこれからの世界なんです。それは力技に頼った西洋とそのキャッチアップで進んできた日本もそれに巻き込まれかねない。


戦後日本もそれからかなり遅れて、国民一丸となってそれに邁進していったわけです。それに今でも新興国では、それが西洋文明の原動力となってる。それまでの一連の流れが終了したのが若者のディズニー離れです。アメリカンドリームのようなものが若者にないからとかいう安直な話ではありません。


なので、若者のディズニー離れというのは、もっと西洋の現代までの歴史を凝縮した、かなり中核的なものだと考えなければいけなかった。KPOPや韓国ブームというのは、朝鮮半島から日本が文化を輸入していた、飛鳥時代から平安時代辺りまでの「アジア中心」の軸に回帰したと見るべきです。


そして、西洋が世界各地に作った人工的な首都よりも、それまでの歴史的都市が復権してる。昔は、東京どころか大阪、名古屋にも後塵を拝していた福岡に多大な富が流れ込むような現象が起きるのは、ユーラシア大陸を貫く広大な交易ネットワークの復権が起きてると考えると無理はありません。


それまでのシルクロードの重要な交易都市はこれからもっと重要性を増してくるのは間違いないでしょう。


そこに食い込んで行くには、アメリカ一辺倒、西洋一辺倒。そこから見た非西洋の国々という視点の国際関係だけでは限界に来てる。ユーラシアをまたがる交易ネットワークは、宗教交流の歴史でもありますから、文明力が国際関係の基礎になる時代が近づいてる。


江戸時代の蘭学の時代から頑なに西洋の科学技術キャッチアップでやって来たのに、東大の文理融合コースが出来たのは、その流れを無視できなかなったからでしょうね。


その流れで大学をドラスティックに改革し過ぎると、日本の近代大学そのものがアイデンティティが空中分解してしまう。日本の上層を支えていた価値観までドミノ倒しになってしまう。


でもドイツの近代学問の実定法、実証主義を重視し過ぎる日本の大学の思考の系譜では、そういう価値観を守ろうなんて発想がそもそも出てこないというジレンマ。


日本のアカデミズムの世界そのものが「価値観」を扱う事に総じて苦手な傾向がある。なので、全部盛りが最強なんていうアニメのような秩序感のないものになってしまう。


全部盛りが最強って、それ文明というより野蛮な価値観じゃないですか。


その価値観を扱うための訓練を行うのも「とある教育ユートピア」の目的。


でも「文明」というのは、例えば天台宗の教学(法華経など)の細かな議論の間違え探し(西洋では普遍論争やキリスト教神学の些末な論争)のような、思考の先鋭化が軸になるわけです。


そんなのバカバカしくてやってられるか!と言う心情はつまり「野蛮」なわけですが、これが日本の良さでもあり、機動力の高さだったわけですよね。


そんなのは、多分私のようなヤンキー層に近い思考回路をしてる地方の一般人には耐えられないですよね。


ネトウヨが李氏朝鮮時代の近代化が遅れた原因を、儒教の細かな間違え探しにこだわってたからだとか言うのは立派な野蛮人の態度です。ええ。


この一般人の生活から遊離している「お遊び」で国力が作られてる事はちょっと想像できない心情なのです。


だから日本では学者や知識人が尊敬されない。


文明圏って知識人が尊敬される事が当然な所なんですが、日本は商人や官僚でさえも学者や知識人の介入嫌いますからね。


会社で修士以上の学位持ちが尊重される海外企業って日本では想像できないというよりも、これは国是の問題で、平田篤胤が唱えた天皇主義よりも、「キリスト教人文学を無視した科学」というものが、長らく企業社会にまで無意識に浸透した国是だという事なんです。戦後でも崩壊しなかったイデオロギーですよ。


修士以上の学歴の人達はなまじ頭が西洋化してるので、その日本の本質の「キリスト教嫌い」の地金が露呈してるわけです。


何もかもの付け焼き刃で来た鍍金が剥がれてきてるのが今の時代の特徴なのです。


特に日本の企業社会の文化って、本当にキリスト教人文知的なものを拒絶する傾向強いんですよね。


そのイデオロギーの終着点には、家制度(会社組織だが戦前は日本国家)がワンワールド化して西洋文明を制圧しないといけないというものがありそうです。それが、ロックフェラーセンター買収などの「国家主権を金で買い戻す」戦後の資本主義だったのかも知れない。


日本企業の修士、博士などの学位持ち嫌いな理由は国是にあるんです。そこに誰も気付いていない、当の学者や企業経営者でさえも。


その敗戦でも消えなかった国是というものが、どうやらこれからの最大の障害になりそうだというのがわかります。


若者のディズニー離れ、深いですよね。


さらに言えば、日本の上層というと(観客が少ないのに)クラシックバレエや西洋音楽などを習い事としてやりたがります。それがまたぞろ「文化資本」などと呼ばれてます。これも18世紀の西洋貴族文化です。


でも好きなことを仕事にするために、クラシックバレエをやっていた人はなまじ才能があると旧ソ連圏にまで就職したりします。西洋音楽もレベルが高い人が多いのですが、こっちの方は昔のゲーム音楽を演奏して再生回数を稼いだりしてる。


この日本の上層の方々の才能がこのような形で消費されて行くのは良いことなんでしょうか?聴く側としては、あのような演奏技術でゲーム音楽を聴けるのは贅沢な事なんでしょうけど、日本の上層の方々が習い事というと、クラシックバレエや西洋音楽という「発想しか」なかったがために、食えない芸術分野みたいな事を生み出してる。


なのでもっと上層の方々の視野を広げて、クラシックバレエや西洋音楽以外の習い事の幅を提案するという事が大事なのではなかろうか?と思うのです。


その活動は、その中にどっぷり浸かってるとなかなか見えてこないわけです。


「文化資本」などと呼ばれて、18世紀の西洋貴族文化の受容が上下を決める価値観になりつつありますが、それは日本が他の欧米の旧植民地よりも100年遅れて欧米化が徹底されつつあるからです。


しかしながら、日本で18世紀の貴族文化が定着すると同時に、西洋の覇権はあからさまに低下していて、もはや時代の趨勢から逆行してるように見える。


だから、日本の上層というと、やたらとミュージシャン(クラシック音楽だけでなく、現代音楽なども)やりたがるといたたまれない気持ちになるんです。こんな腕いいのに、時代の輝きと求心力を感じないのは何故なんだ!と。


この時代の輝きと強烈な求心力が文明の他を魅力するパワーだったのに、それがないとなったら。


次回は西洋の普遍性が剥がれてしまってるのではないか?その話をします。


西洋の普遍性が剥がれ落ちてしまったという事の例は、西洋音楽をする人口は単純に世界中で増加してるのに、30年前は感じたウィーン楽友協会に輝きを感じないとか、昔はスーツというと文明人の象徴だったのに、ただの事務所労働者の作業着になってしまった話や、ハンバーガーというとアメリカのポップカルチャーと反体制の象徴だったのに、今やアメリカと対立していた国でもどこでも食べれるパンに挟んだただの食べ物になってしまった話です。


時代の輝きと求心力というのは、そのものの価値を越えた力を持ってるんです。人を動かすダイナミズムそのものです。


そのダイナミズムを「文化資本」などと呼ばれるものから感じない。30年前は違いましたよ。もっと勢いがあって輝いていた。マスコミの宣伝もあったんでしょうが、今よりは力に満ちていた。


そのようなエネルギーが何故、日本の上層にはなく、逆に時代に逆行してるように見えるのか?


その民族や文明圏を越えて人を動かす力を持つものが生まれてくるのを支援したいというアツい情熱があります。


さて次回は西洋の普遍性が剥がれ落ちてるのではないかという記事ですが、西洋が世界文明になったのはここ500年です。それまではイスラーム圏の辺境地域の地方文明でした。


西洋の普遍性が剥がれ落ちるという事はどういう事なのか?それは、イスラーム圏の辺境地域だった時代に戻るという事です。となると、日本も巻き込まれてしまって、下手するとエルサレム王国やアテネ公国などの、中東の十字軍国家みたいになってしまう。


西洋の普遍性の問題は、この国を完全に巻き込む重要なものです。だから、まだ戦後の諸外国に対する洗練された文化遺産をもって発展させて行くべきだった。


次回はニトリやサイゼリヤが中国で苦戦した話などを取り上げ、日本企業が欧米のキャッチアップだけて価値観を扱うことに得意ではなかった事などの欧米の商業には宗教思想が張り付いてる問題を扱います。

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