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「私のピアノ演奏を愛するあまり、好みに合わない水の戯れを私が弾くのを怖がってもらえたのは、ピアノ奏者の私にとって歴代最高に嬉しい出来事でした」
になるかな。概念テレパシーを送った当人も受け取った俺もあのときは頬を赤らめ、回想した今もまったく同様に頬が赤らんだから、翻訳はこれで合っていると思う。よって先へ進めると翼さんはピアノを出し、椅子に座り鍵盤に手を添え、俺にこう言ったのである。「最初は、翔さんが感銘を受けたアルゲリッ〇の動画に似せて弾きます」と。
それからの5分間は、前世と今生を合わせて40年ほどピアノを聴いてきた中で、二番目に幸せなひと時となった。動画に似せるどころではない、動画で聴いたままの水の戯れを、翼さんは奏でてくれたんだね。
演奏後に聞いたところによると、俺と同じ動画を翼さんも見ていたらしい。また前世の翼さんは11歳半ばからピアノ漬けの1年間を過ごし、それはアルゲリッ〇の全盛期と一致したため、彼女の演奏を繰り返し聴き覚えていたという。「前世は1億分の1も似せられませんでしたが、今の出来栄えはどうだったでしょうか?」 恐る恐る訊いてきた翼さんに、俺は「前世と今生を合わせて40年ほどピアノを聴いてきた中で、一番幸せなひと時だったよ」と正直に答えた。そうあの瞬間は、一番だった。ではなぜ回想している今は二番かと言うと翼さんが続いて、現在習得している技術を総動員して水の戯れを弾き、それが一番になったということ。そう翼さんはあの動画を、超えてみせたのである。
というのが、ほんの数週間前の話。
そして今、夕食会のサプライズ中。
翼さんの奏でる水の戯れは、実に興味深い現象を引き起こしていた。観客席の後方にいた妖精達の一部が前に出てきて、子竜達のすぐ後ろで同曲を聴いていたのだ。
演奏が始まり20秒が経過したころ、葉月さんの慌てた気配が観客席後方でした。今夜の夕食会は急遽開かれたのに、葉月さんもちゃっかりやって来ていたんだね。それは置き、葉月さんのもとに俺はすぐ意識投射した。すると妖精達の観客席を越えて出てきた数百体の妖精を、その二倍ほどの妖精が引き留めている状況になっていた。意識投射してきた俺に気づき、葉月さんが謝罪しようとする。俺はそれを制し、出てきた側と引き留めた側の計1千体ほどの、青色を基調とする服装の妖精達とテレパシー会話した。俺と約束してくれた1千体ほどの「水の妖精達」を連れて子竜達の観客席のすぐ後ろに行き、そして俺も一緒に演奏を堪能した。俺は、嬉しくて堪らなかったのである。演奏している曲名を翼さんは告げていないのに、
自由を楽しんでいる水
の気配を感じた水の妖精達が、自分達用の観客席を思わず越えてしまったことが。
という実に興味深い現象を、翼さんの演奏は引き起こしていた。幸い水の妖精達の件に気づいた竜達はいなかった。意識体の俺の前で演奏に耳を傾けている子竜達も含み、全ての竜が全身全霊で翼さんの水の戯れを聴いていたんだね。俺は音楽仲間達と急遽開いた準四次元会議で正しい決定をしたことに、胸を撫でおろした。
あの会議で決まったことの一つに、水の戯れは短縮せず最後まで演奏する、というものがあった。翼さんがかつてサプライズで弾いた「アラベスク」と「英雄ポロネーズ」は2分台に短縮したけど、それをしなかったのである。中盤の黒鍵下りグリッサンドを機にアレンジして終わる案を、翼さんの水の戯れに惚れた音楽仲間達が却下したんだね。ちなみにグリッサンドとは、指を横に滑らせて連続音を奏でること。ピアノでも用いるけどこれを多用する楽器があり、俺はその楽器のグリッサンドを死ぬほど愛している。でもそれは、その時が来たらってことにしよう。
などと分割した心の隅で考えているうち、5分弱の演奏が終わった。立ち上がりお辞儀をした翼さんに、音響爆弾級の拍手喝采が巻き起こる。満面の笑みでそれに応える翼さんに、子竜達が元気よく挙手した。満面の笑みを重ね掛けした翼さんが、子竜達と質疑応答を重ねていく。それによると子竜達は、今のピアノ演奏に正気を失うほど感動するも、想起させるイメージを具体化できない苛立ちのお陰で、かろうじて正気を保てているとの事だった。子竜達の鋭く豊かな感性を称えるべく、俺は輝力分身を20体出して子竜達の頭を撫でた。後ろからいきなり撫でたのに子竜達はすぐ俺と気づき、笑顔で振り返った。その瞳が、自分達のすぐ後ろにいる1千ほどの妖精達を捉え驚きに染まる。そんな子竜達に、俺はヒントを出した。「今の演奏に殊のほか惹かれたこの妖精達は、水の妖精なんだ」 その数瞬後、ハッとした子竜達は「「「「水だったんだ!」」」」と声を揃えた。俺は頷き、準四次元会議で決まったとおり、ある映像を演壇上に映した。母さんの友人さんの映写機に保存されていたそれは、水滴の動きをスロー再生した映像。人族にスロー再生はお馴染みでも、竜族にとっては史上初めてのこと。蓮の葉の上で水滴たちが楽しげにダンスをする様子や、水しぶきが空中を自由に舞う様子や、水面に落ちた水滴が美しい王冠を形成する様子等々を、スロー再生で初めて目の当たりにした竜達の興奮たるやなかった。妖精達もそれは変わらず、いや水の妖精達は何倍も興奮し、喜ぶやら泣くやら踊り出すやらでマジ大忙しだったな。友人さんへのお礼の言葉を、母さんに後で言づけておこう。
映像が終わり、会場の興奮が一定以下に収まるのを待った。頃合いを計り、演壇にいる翼さんに俺は大声で呼び掛ける。「翼さん、今の曲の曲名を発表して!」 その途端、会場が静まり返った。重さを感じるほどの静寂を跳ねのけ、翼さんは発表した。
「曲名は、水の戯れです」




