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誤魔化しの例として咄嗟に「馬」を思い出し、それをもとに説明した。散山脈諸島には鹿がいない代わりに、生態が鹿に似ている小型の馬がいるんだね。
「馬は障害物を飛び越えるとき、前脚の二本を持ち上げ、後脚の二本で地を蹴り跳躍しますよね。その後脚の二本だけになった姿を模ったのが、この『馬』という漢字です。これは多用する漢字とされていますが、7歳だった俺は馬という字を正確に書けなかったため、一時的にウマと書いて誤魔化したのです」
ついでにカタカナの成り立ちも説明したら老竜達は興味を示し、竜語にとってのカタカナの議論を始めた。ナンマイダ~の空気の払拭に成功した俺はその出来事を忘れたけど、老竜達は忘れなかった。したがって竜語にとってのカタカナを大急ぎで創り、幼竜の覚える必須歌の歌詞をカタカナも用いて次々書いていった。18頭で分担したこともあり必須歌の歌詞をすべて書き終えた老竜達は、盛大に喜んだ。でもその直後、盛大に落ち込んだ。西の空から、真っ黒な雨雲が近づいてきていたのである。地面に枝で書いただけの歌詞は、雨にきっと耐えられない。老竜達は、頭が地に付くほど項垂れたという。
けどそのとき、母さんが降臨した。降臨の意図を察した老竜達は一斉にひれ伏し、かつ滝の涙を流したらしい。そんな竜達に母さんは、頑張りをずっと見ていたことを告げ、二つの贈り物をしてくれたという。一つは、輝力製のノートと筆記用具。もう一つは、それを仕舞っておく指輪。そう園長が竜語の初級教科書を取り出した、あの指輪だね。母さんの創った指輪なのだから、俺に覚えがなくて当然だったのである。
その日以降、老竜達は竜語の精度を高めることに没頭した。没頭しすぎ、食事や睡眠を疎かにする老竜が出かけたが、子竜達を教育してきたことに助けられた。子竜達が訓練過剰にならぬよう常に見守り指導してきたことを自分達に適用し、過剰没頭を避け、健康を保ち続けたのである。その日々を描写しようとするも嗚咽し中断を余儀なくされる元頭竜達が続出し、伴侶達が引き継ぐもほどなく全滅し、園長が結局引き継ぐことになった。「美味しいところを持っていきおって」系の集中砲火をものともせず、園長は朗々と語った。
「自分が担当している歌の歌詞に用いる表語文字は、まずは自分で考案しました。考案したそれを、全員で共有している大きなノートに、自分の名前とともに書いていきました。自分が二番目や三番目でも必ず書き、そして幼竜の必須歌の全てをカタカナを用いず書き終えてから、考案された表語文字を精査していきました。すると、表語文字の考案に秀でた者がいたのです。何を隠そうその者は、私だったんですけどね」
鼻息荒く胸をそびやかした園長にブーイングが集中した。けどそんなの屁でもないのか園長はそびやかしを更に強調した。途端に爆笑が沸き起こり俺と母さんも加わり皆で大爆笑してから、園長は涙の雫を手で拭う。そして母さんに一礼し、話を再開した。
「皆の協力が実り、幼竜の必須歌に用いる全ての表語文字が決まりました。それを用いて、自分の担当する歌の歌詞を清書していきました。一文字一文字ゆっくり丁寧に書き続けていくうち、小さな修正箇所が少なからず見つかりました。一文字が美しいだけでなく、文章全体を美しくするための修正を、見つけられるようになったのです。また書体の美しさへの造形も深まり、美しい書体を皆で探していきました。その日々は・・・」
園長が声を詰まらせた。老竜達も似たようなものだったが、必死になって言葉を紡ぎ園長を励ましていた。園長は両手で頬を小気味よく叩き、嗚咽を飲み込んだ。
「その日々は私達に、生きた証を授けてくれました。私達は、飛べずに生涯を終えます。楽器も、自分達で楽しむ程度になるのが精一杯でしょう。その代わり私達は、竜語の基礎を創りました。私達の書いた初級教科書は、今後何千年も竜族全体の役に立っていきます。この教科書を創った日々は、そういう日々だったのです」
説明を終えた園長は、俺に教科書を指し出した。「よろしいのですか?」「皆で話し合い、満場一致で決まりました。翔さんに、まずは目を通していただきたく思います」
園長と元頭達へ視線を向けたところ、全員くっきり頷いた。それに母さんも続いたとなれば、分不相応を理由に固辞するなど言語道断なのだ。俺は背筋を伸ばし、老竜達に一礼。母さんにも一礼したのち、両手で慎重に教科書を受け取った。
この教科書に、カバーは設けられていない。表紙を含む表の色は、内側から光が差すような白。初級教科書は子竜用だから、子竜の白い鱗を模したと思われる。輝力製の本なので汚れを気にしなくて良いが、紙の本を竜族が独自に造るようになったら、色を変更しなければならないのかもしれない。
製本は左綴じ。その背に、つまり書架に並べたさい目につく縦長の部分に、いわゆるタイトル文字はない。その代わり表紙には青色の文字が綴られていて、美雪がテレパシーでこっそり教えてくれたところによると、「初級教科書」と書かれているという。左から右へ書かれたその文字を見つめつつ、
「風を感じる、流麗な美しい書体です」
そう感想を述べたら、園長の奥様の双眸から大粒の涙が零れた。奥様は歌の大家ゆえ、歌詞の一文字一文字を心を込めて書いているうち、美しい字を書く腕をメキメキ上げていったのだろう。感想をそう続けたところ、奥様は大輪の花の笑みを浮かべた。園長夫妻に会釈し、教科書の見分を再開した。




