305
幸い俺には、「いつもより早く天風家に着かねばならない」という大義名分があった。天風家の訪問に関して翼さんに提案したのは訪問日を増やすことのみだが、なればこそ到着時刻を早め、誠意を示すことに決めていたのである。鸞と藤を起こす前にトイレや着替え等を済ませていたのが功を奏し、俺はハンカチを使う寸前で皆に挨拶し、その場を離れることが出来たのだった。
カレンがいつも以上にかっ飛ばし、衛星軌道上を駆け抜けていく。急いでと頼んでいないのに、なぜなのかな? カレンにも第六感的なものがあり、急がないと俺に危機が迫るとでも感じているのだろうか。あながち間違いではないし、それにカレンが俺のためにかっ飛ばしてくれているのは間違いないので、俺はカレンの好きにさせていた。
驚くべきことに3分かからず天風家の駐車場に着き、車外に出た。本当はもっと驚くべきことが立て続けに起きていたのだけど、3分かからなかったことに驚いたお陰で駐車場での本命の驚きを冷静に受け流し、落ち着いて車外に出られたのだと思う。普段より10分早く到着したにも拘わらず駐車場で俺を待っていた翼さんに、俺は挨拶した。
「こんにちは翼さん、出迎えありがとうございます」「天風の子供達のためにお越しいただき、こちらこそ感謝します翔さん」
名家に請われ長期休暇初日の午後から名家巡りをするようになり、早数年。今日はその前半初日なので、天風家だけを訪問するのではない。が、それを口にするのは愚の骨頂。俺と翼さんは当たり障りのない会話をしながら、天風家の屋外訓練場へ歩いて行った。
いつもは10分遅いこともあり、翼さんと並んで準備運動しつつ屋外訓練場へ小走りで向かうのが常だった。その際も準備運動の妨げにならぬ範囲で会話し不足は覚えなかったけど、今は反省している。今回だけでなく次回以降も、散歩を楽しむようにこうして歩くことを俺は心の中で密かに決めた。
ちなみに他家を担当する輝力分身達は、いつもと変わらなかった。カレンの中で準四次元に意識投射し、分身はそこに待機してもらっているんだね。分身による名家巡りにも慣れ、最近は疲労をまったく覚えなくなっている。輝力分身では訓練後の食事会で子供達と一緒に料理を楽しめないことだけが、心残りかな。
天風半島は、冬でも比較的暖かい。地理的に、風のない好天の日が続きやすいからだ。今日はその見本のような日ということもあり、散歩を楽しんでいる内に屋外訓練場に着いたという印象が強かった。前回までの「準備運動しつつ屋外訓練場へ小走りで向かう」というのは、多忙であろうと礼を失する行為だったのだろう。翼さんもいつにも増して機嫌良さげだし、さっき密かに決めたことはやはり正しかったのだと俺は改めて思った。
訓練場に足を踏み入れるや、幼児組が「「「「師匠~!」」」」と叫んで飛びついてきた。俺は四本腕の輝力分身を複数出し、子供達に対応する。追いかけっこや高い高いやグルグル回しを時間を忘れてしているうち、準備運動はこれで十分なことに今更ながら気づいた。う~む俺って、つくづく凡人だよなあ。
追いかけっこ等で幼児達との挨拶を済ませた後は、幼年学校年長組との組み手に励んだ。鸞と藤もこの組だね。闇族とは必ず武器を手に戦うため徒手空拳による戦闘は無意味なように思えるが、そんなことは無い。徒手空拳による戦闘は、人工島の生身のゴブリンとの戦闘に通じるものがあるからだ。つまり20歳の戦士試験対策としても有用なため、幼年学校年長組との挨拶はこれをもって代えることにしていた。いや勿論みんな最初に「「「「師匠~!」」」」と叫び、突っ込んでくるんだけどさ。
幼年学校年長組の体力が尽き、全員が地面に倒れ込んだ。ここでようやく、成人達と正式な挨拶を交わす。厳格なマナーでは成人を先にすべきだけど、子供好きの俺の気持ちを汲んでくれているんだね。追いかけっこや取っ組み合いを皆さんニコニコ見つめているし、このまま甘えさせてもらおうと俺は考えている。
ちなみに、戦士養成学校組はまだいない。戦士養成学校の冬期休暇が始まるのは、明後日だからだ。そうそう、名家の子の伴侶が名家出身でない場合、伴侶は名家巡りの訓練に参加可能になっている。貴重な長期休暇を訓練に割くことに全面賛同はしないけど、伴侶を紹介してもらえるとやたら嬉しくなるのも事実なんだよね。それが伝わるのか伴侶さんも喜んでくれるし、伴侶を連れてきた子はいつも以上に気合を入れて訓練に臨むから、良いこと尽くしなのかもしれない。どうか、そうでありますように。
その後も普段どおりのメニューをこなし、最後にマッハ60矢をぶっ放して訓練は終わった。輝力矢をぶっ放すのはどこでも大好評だけど、受けが一番良いのは天風家。理由は、海上の的に矢を射ることにある。マッハ60の矢が海上を飛ぶと、砂浜と的を繋ぐ長さ10キロの海水の壁ができて大受けするのだ。いや実際、衝撃波によって窪んだ海面が、衝撃波の中心に生じた真空に引き寄せられ高い壁を形成する光景は、張本人の俺も「ヒャッハ――!」と叫んでしまうほど心が躍るんだよね!
その「ヒャッハ――!」のままみんな一緒にご飯を食べることもあり、天風家の食事会はまこと盛り上がる。俺としても、絶品海鮮料理をたらふく食べさせてくれる天風家の食事会は、内緒だが別格扱いになっていた。翼さんにはバレバレだろうがそんなのいつもの事だし、それにバレているお陰で絶品海鮮料理がテーブルを覆い尽くしているのだから、これで良いのである。俺はお昼の鸞と藤に倣い動けなくなる勢いで、海の幸を胃袋に詰め込んでいったのだった。
名家巡りはその後も順調に進んだ。慣れていたこともあり、食事以外の名家巡りを分身に全て任せて肉体の俺は天風半島で過ごすという初めての試みも、能力的にはまったく問題なかった。言うまでもなくこの初めての試みは、翼さんへの贖罪として提案したもの。これをすると0.5回分の訪問として、数えてくれることになっていたんだね。こういうのをチマチマ積み重ねて、例年の三倍の訪問日を稼いでいたのである。




