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 就寝後、母さんが夢に現れた。母さんは鈴桃と示し合わせたことを疑うレベルで、俺を過剰に褒めた。いつもなら「褒めすぎだよ」と軽口を叩いたけど、今夜の母さんは創造主の言葉を伝える使者でもあったため拝聴するしかなかった。痒さを訴えて止まないお尻に、俺は渾身の忍耐を発揮せねばならなかった。

 でも我慢した甲斐は十分あった。「今夜はどんなことでも訊きなさい」と、母さんは力強く胸を叩いたのである。そうは言ってもそれを額面どおり受け取ってはならないのが筆頭大聖者と準直弟子であり、俺が正しく行動した場合のみ正当な範囲で答えてもらえるのは今夜も変わらないはず。ただホント何となくだけど俺が正しく行動したら、答えてもらえる範囲がいつもより広くなる気がしたんだよね。客観的判断は重要でも、「何となく」系の感覚が負けぬほど重要な場面もこの宇宙にはある。今回は、感覚に従うことにした。

 俺が最初に切り出したのは、大風や園長を始めとする老竜達の寿命だった。竜族が飛行能力を再獲得することを、老竜達以上に望んでいた竜はいない。飛ぶ竜の姿を見るまでは死ねないという気持ちが寿命を本当に延ばしてしまうほど、老竜達はそれを望んでいたのである。ならば、それが叶ったらどうなるのか? 300歳前後の園長夫妻および元頭竜夫妻達は影響を軽微に抑えられたとしても、300歳を既に10年以上越えている大風と慈雨は、軽微では済まないのではないか? その危惧を、俺は最初の議題に選んだのである。

 言うまでもなく俺は就寝してすぐ、老竜達のアカシックレコードを見に行った。それによると園長夫妻は7年の生存を保証できても、大風と慈雨および元頭竜夫妻達は、1年が保証の上限だったのだ。しかしそれはヘッポコな俺の見立てであり、母さんは違うかもしれない。俺がヘッポコなのは百も承知なので、どうか見立てが間違っていますように。そう祈りつつ、俺は母さんの言葉を待った。

 結果を述べると、大風と慈雨と元頭竜夫妻達が寿命を迎えるのは1年と数カ月先、園長夫妻は7年以上先とのことだった。また母さんによると俺の映像作品は、老竜達の寿命を延ばしたという。大風と慈雨と元頭竜夫妻達は「翔さんの残り二つの映像作品を見るまでは死にません!」と母さんに宣言し、園長夫妻は「竜族の文字を造り翔さんの本を完成させるまでは死にません!」と、これまた宣言したそうなのである。老竜達の覚悟に直接触れた母さんは、俺より高精度の未来視をしたということなのかもしれない。

 俺が次に取り上げたのは、鈴桃に向けられた雷鳴テレパシーを母さんが防いでくれたことだった。感謝を述べたところ「良い機会だから翔も習得しなさい」ということになり、授業が急遽始まった。幸いコツをすぐ掴めて俺は安堵したが、母さんは「すぐ習得して可愛くない」と不貞腐れていた。ウザいやら、ありがたいやらだったな。

 次の話題は、母さんが俺に確認を二つすることから始まった。「あの映像作品は、竜族の負の遺産から鈴桃を解放するべく造ったのよね。それと翔のことだから、あれを見たら鈴桃が高確率で空に舞い上がることを予期していたのよね」と。

 両方当たっていた。母さんだから当然と言ったらそれまでだけど、理解してもらえるのはやはり嬉しいもの。俺は饒舌にならぬよう注意し、二つについて話していった。俺へのご褒美なのか母さんはとても熱心に聴いてくれて、マジ頭が下がった。将来俺が聴き手を担ったら今夜のことを思い出し熱心に聴きますと、俺は心の中で誓ったものだった。

 確認の一つ目にある「竜族の負の遺産」は鈴桃を縛っていた足枷のことなので省くとし、確認の二つ目についてまとめてみよう。

 まこと賢い鈴桃は、自分達を縛る足枷に気づくとともに、それを破壊するのは自分ということも気づいていた。また先生冥利に尽きるが、足枷を破壊する最良のきっかけを俺が創ることも鈴桃は理解していた。いやはやまったく素晴らしい子だと褒めちぎりたいが我慢して話を進めると、俺は鈴桃の期待に応えるべくこの数カ月間、あることを自分に課してきた。そのあることとは、「あの映像作品が鈴桃の足枷を破壊することを意識しない」という事だったのである。

 遠回りになるが、「悟りを開こうとしている内は悟りを開けない」から始めよう。

 悟りは、三段階ある。一段目は、己の本体を目視すること。二段目は、本体の中に入ること。最後の三段目は、本体と一体になることだ。母さんなどの大聖者は本体と一体になった人、俺風にいえば本体と常時直結状態になった人であり、俺などはまだまだヘッポコなのだがそれは置き、地球人は本体を完全に誤解している。鈴姉さんがひ孫弟子候補の講義で教えてくれた、「地球人は魂という言葉を10以上の意味で使っている」がそれだね。それを説明したら遠回りが過ぎるので再度置き、お釈迦様の説いた「悟りを開く」とは、一段目の「己の本体を目視すること」を指している。ではなぜ、「悟りを開こうとしている内は悟りを開けない」のか? それは、


『悟りを開こうとしている状態は、悟りを開けていない状態であるため、開こう開こうと強く意識すればするほど、開けていない状態が強化されてしまう』


 からだ。自転車に乗ることを、例に挙げてみよう。

 よほどの天才でない限り、自転車に乗る初めての訓練は、苦労するだけで終わる。どれほど真剣に挑もうと、バランスを崩しすぐ足を着くだけで終わるのが初訓練なのだ。それでも諦めず訓練を続けるうち少しずつ長く乗れるようになり、そのうち意識せずとも自転車を自由自在に操れるようになる。そう「意識しなくなる」んだね。そしてこれは、悟りを開く訓練にも当てはまるのである。

 地球人のほぼ全ては、己の本体から遠く離れて暮らしている。遠く離れていては本体の目視など不可能なため、心と本体を近づける訓練を始める。その訓練は自転車に乗る訓練と同じく、最初はマジ大変だ。それでも続けているうち、これまた自転車に乗る訓練と同じく少しずつ慣れてくる。慣れてきたら暮らしに取り入れ、日常生活の一部にする。すると次第にそれを訓練と意識しなくなっていき、遂には「本体から遠く離れるあまり自分は本体を目視できない」ということも意識しなくなった瞬間、その人は本体を目視する。そうこれが、「悟りを開こうとしている内は悟りを開けない」ということ。そしてそれを、鈴桃が足枷を破壊することに、俺は応用したのである。

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