275
テーブルに額を押し付けた俺の頭頂に、「今後はどうするの?」という舞ちゃんの声が届いた。さすが舞ちゃん、よく解っていらっしゃる。それを俺に問う資格があるのは、この世で舞ちゃんだけだからだ。鈴姉さんの孤児院時代、俺は舞ちゃんにも同種の保身を設けていたからね。今思うと鈴姉さんはそれを見抜いていたから、卑怯者のまま舞ちゃんにこれ以上関わるなと、俺を叱ったのだろうな。
そんなふうに心を整理したのち、俺は上体を起こした。続いて息を吸い、今後の俺を言葉にしようとした。のだけど、
「お兄ちゃんダメ!!」
奏に止められてしまった。奏が俺を止めたことに驚くも、ここで俺を止める筆頭は奏ということにすぐ気づいた。妹としてという限定は免れなくともここにいる仲間達の中で俺が最も愛しているのは、奏だからさ。
「わたし本当は、いつも不思議だったの。お兄ちゃんは恐ろしいほど頭が切れて私達をいつも必ず守ってくれるのに、翼お姉ちゃんにだけはその冴えがなぜ無いのだろうって、本当はずっと不思議に思ってたんだ。でもそれはお兄ちゃんへの恩返しの機会でもあるから、冴えがないせいで問題が起きても私はそれを進んでフォローしてきた。お陰で、恩をもらうばかりの負い目を随分減らせたの。負い目を減らす機会が失われるのは、とても困る。自分勝手だけど聞いてください。お兄ちゃんどうか私から、負い目を減らす機会を奪わないでください」
俺は混乱した。溺愛する妹を苦しめるようなことは絶対したくないが、妹を愛することが負い目になっているなら愛することを止めねばならなくなるけど、そんなのできっこない。それを妹も理解してくれているから負い目を減らす機会を奪わないでと頼んできて可能なら叶えてあげたいが、叶えたら翼さんに今後も同じ対応をすることになり、それもできそうにない。でも自分勝手と知りつつもそう頼んできた奏の願いを・・・というように、無限ループに陥った俺は一瞬とはいえ混乱したのである。
するとその一瞬を逃さず、二人の妹達が畳みかけてきた。
「赤ちゃんの頃から可愛がってきた奏には負けるけど」「私と晴もお兄ちゃんは妹として愛してくれているよね」「うん、そうだよ」「じゃあ私達も奏と同じくお願い!」「負い目を減らす機会を、どうか奪わないでください!」「え? エエエ―――ッッ!!」
奏だけでも手に余るのに晴と藍も加わった今、俺はどうすれば良いのだろうか? ハッとして昇と鷲と橙に体ごと向け、「武士の情けで何も言わないでくれ!」と手を合わせて拝んだ。昇と鷲と橙も弟として愛しているが妹達には劣る系のことを詳らかにされたら混乱が限界突破すると思い、武士の情けを請うたのである。弟達は目配せし合ったのち「負い目を減らす機会を俺ら夫婦から奪わないなら交渉に応じてもいいです」と返してきた。そんな夫達を妹達は手放しで賞賛し、その様子に混乱が限界に一歩近づいたまさにその時、
「どうせ私はただの幼馴染よ、フン!!」
舞ちゃんが過剰演技でそっぽを向いたではありませんか。通常なら過剰演技の意図を見逃さなかったと思うが、今は極度の混乱中。肉親のいない俺にとって7歳から39年間交流してきた幼馴染がどれほど大切な家族なのかを、俺は微塵も隠さず話した。舞ちゃんは次第に赤くなっていき、茹蛸一歩手前の辺りで俺はそれにやっと気づき、舞ちゃんと勇に謝った。勇は「アホ、謝るな」と真顔で応じ、そして「奏や昇達の言葉も聞かなくていい」と続けたのち、「俺の言葉も聞かなくていいから少し付き合え」と誠実に言った。
「翔は数百年間独身だったから、女性との交際が怖かったんじゃないか?」「うん、怖かったよ」「そういう時は、彼我の距離を傍若無人に詰めてくる相性の良い女性に惹かれると、俺は思う」「・・・あれ? 出会った頃の翼さんに俺が惹かれたのって、そういう事なのかな?」「それも、あったと思う。グイグイ来てくれたら、こちらから踏み出す勇気を持たなくていいからな。仮に翼さんが計算高い女性だったら翔の好みに合う女性のままだっただろうが、翼さんはお淑やかで礼儀正しい年下の少女になった。その真意を俺は知らないが、知っていることもある。それは二人が結ばれるためには、翔から踏み出さねばならなくなったということだ。繰り返すが、翼さんの真意を俺は知らないがな」「勇」「どうした?」「俺は翼さんにやり込められたり叱られたりすると、心のどこかに嬉しさが生まれるんだ。翼さんは、もちろんそれに気づいている。気づいているから、その状態になるのは翼さんが一番多いと思っていたけど、いつまで経っても一歩を踏み出さない俺へのストレス発散を翼さんはしているのかな? またストレス発散になっていたから、俺は嬉しかったのかな?」「俺にそれは分からないし、その問いを翼さんにして良いかも分からないし、それへ自分なりの答を翔が出すべきか否かも分からない。すまんな、力になれなくて」「全然いいよ。そんなことより、いつも相談に乗ってくれてありがとな」
それこそいいってことよ、とニカッと笑った勇と拳をコンと合わせる。するとおかしさが込み上げてきてそれは勇も同じだったらしく、二人で肩を組み笑い合った。きっと、それに助けられたのだろう。今回の件に関する翼さんへの対応を、俺は決めることが出来たのである。それはなんの変哲もない凡庸の見本のような対応だったけど、奏達の願いも叶えられるしまあいいかという事になった。ここにいる全員も、賛成してくれたしさ。




