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そんな俺達に、気を遣ってくれたのだろう。男組は俺以外で盛り上がり、俺と美咲だけの空間が不意に現れた。俺はそれを幾つもの偶然が重なっただけと考えていたが、大間違いだった。この機を逃してなるものか系の鋭い表情になった美咲が俺の耳元に素早く飛んで来て、小声で囁いたのである。「私の香りだけが違っても納得しているから心配しないで。でも肉体を持たない悲しみを、美雪お姉ちゃんにあまりさせないであげてね」と。
俯きたがる自分を、今以上に叱りつけたことが果たしてあっただろうか? そんなの、無いに決まっている。三次元世界で俺の傍らに美雪がいない状況は、非常に限られている。3D映像の美雪がいなかろうと、大抵いつも美雪は俺のすぐそばにいるのだ。その数少ない例外は、夏の飲み会で美雪が酔いつぶれて眠っている時と、竜族のお祭り及び夕食会しかない。前者は美咲もいなくなってしまうから、あの囁きは不可能。後者は年に4度あっても、今回のように俺が男組の端にいるのは6分の1ゆえ、これを逃すと確率的に次回まで1年半待たねばならない。確率の悪戯で冬期休暇前に同じ状況が訪れようと、美雪を悲しませてしまったあの出来事を、今なら先月のこととして扱える。なるべく早く俺に伝えたいと美咲が願い機会をずっと窺っていたのなら、今以上の好機は無いのである。それを理解した上で美咲は傍らに来てくれたのに、俺はどこまで愚かなのか。美雪と美咲は毎晩同期しているから、美咲の今の囁きを美雪は今夜知ることになる。それまでに俺は考えをまとめ、同期する前に行動しなければならない。そのために今すべきなのは、平静を保つこと。俺が俯いたら美咲の囁きを美雪は推測し、お祭りを楽しめなくなってしまうからだ。幸い高速思考スキルが活き、俯きたがる自分を叱りつけ平静を保つことができた。何もかも、美咲のお陰だ。俺はありったけの感謝を注ぎ、美咲にお礼を述べる。「わ~い役にたった~!」と元気に飛び回る美咲が、俺には本物の天使に思えてならなかった。
分割した意識に肉体の俺を任せ、意識だけで超山脈のオリュンポス山にテレポーテーションする。組織のひ孫弟子候補用の建物から100メートルほど下ったここは、空間湾曲結界の内側。ここなら、美雪がこの星のカメラと人工衛星を総動員しても追跡は不可能。準四次元も追跡不可能だけど、あの次元で無限に落ち込むのは危険。かくなる理由により俺はオリュンポス山の山肌の岩に腰かけ、美咲に教えてもらったことを熟考した。
まずは、俺の気持ちの整理から。
俺は先月、美雪の髪に鼻をうずめて深呼吸を繰り返すという、美雪に叱られて当然のことをした。いつもの俺なら光の速さで土下座したはずなのに「なぜか今回に限り自分の非を素直に認められないんだよなあ」と、俺は自分に嘘をついていた。そうそれは嘘で、本当は自分の非を素直に認められなかった理由を、俺は理解していたのである。
自分の非を素直に認められなかったのは、自己中になっていたから。肉体のない美雪とほにゃらら不可能なことを、宇宙一好きな美雪の香りに包まれることで紛らわせていたのだから、これくらい許してほしいと俺は自分勝手に願っていたのである。17連続童貞人生だろうと、あの状況の恋人や夫婦が何を望みどうするかくらいは、分かるからさ。
でもそれを意識したら、俺の心は美雪に筒抜けなので美雪を悲しませることになる。よって意識せず、また「美雪を悲しませたくない」という想いなら自己中にあっさり勝てたため、俺は美雪に謝罪しようとした。けどその寸前「私はどんな香りなの?」と美咲に訊かれ、そんな美咲に子は鎹という言葉を思い出したこともあり、曖昧なまま終わらせて良いと俺は判断した。あの時の気持ちを赤裸々に整理したら、こんな感じになるだろう。
では次に、美咲の気持ちを推測しよう。
さっきの囁きにあった「肉体を持たない悲しみを、美雪お姉ちゃんにあまりさせないであげて」という気持ちを、美咲がいつ抱いたかは不明。就寝中の美咲は美雪と同期し、同一人格になっている。よって同期中に美雪の想いを知り、あの気持ちを抱いたというのも可能性の一つとして存在する。しかし同期以前に抱いていた可能性もあり、というかその方が確率は断然高く、その根拠は「私はどんな香りなの?」と美咲が訊いたことにある。美咲は美雪の悲しみや俺の自己中を理解した上で、「私はどんな香りなの?」と訊いた。なぜなら訊かなかったら俺は美雪に謝り、すると美雪は「根本原因は私が肉体を持たないことにあるから謝らないで」という言葉を口走ってしまったかもしれない。その言葉は美雪を深く傷つけ、美雪を傷つけた俺を俺は許せず、俺と美雪に危機をもたらしたかもしれないのだ。それを避ける最善の方法として、美咲はあえてあの問いをした。その可能性も、非常に高いのである。
非常に高い訳は、希の選択にある。希は「美雪と美咲の睡眠中の出来事を、希の心で美雪と美咲が振り返る」という選択をした。希が消えてから美咲が現れるまで十分近くあったから、量子AⅠの美咲に振り返る時間が無かったとは考えられない。美咲は間違いなく振り返り、そしてそのお陰で、俺と美雪が危険な状況にいることを理解した。よってそれを避ける最善の方法として美咲はあえてあの問いをしたというのが、最もしっくり来るのである。とはいえ最終的には、美咲に真相を教えてもらわないと分からないんだけどね。
さて最後は、美雪の気持ちの推測だ。
美雪と美咲は、毎晩同期している。そのことと、美咲の囁いた「肉体を持たない悲しみを美雪お姉ちゃんにあまりさせないであげて」から、あの出来事で美雪は肉体を持たないことを悲しんだとして間違いない。にもかかわらず、深呼吸の件で俺を叱るという悲しみを増加させることを美雪はなぜしたのか? 増加させるだけでなく俺との仲に危機が訪れていたかもしれないのに、なぜそれを選んだのか? それについて考察を巡らせた俺の心を、ある閃きが駆けた。俺は腰かけている岩に手を置き、問うた。
「オリュンポス山の助力で、俺はこの閃きを得られたのかな?」
返事はなかった。でも何となく、そんな質問をしている暇があったらとにかく考えろ、と発破をかけられた気がした。俺は首肯し瞼を閉じ、閃きの熟考を始める。数十秒後、最も可能性が高いと思われることを、俺は口にした。




