236
おお翼さんさすが、と俺は拍手した。それ自体に嘘はなかったけど、「翔さんに褒められて嬉しいのは事実ですが『自己評価の低さが欠点になっている』を煙に巻こうとしているのはいただけませんね」と図星を突かれてしまったんだよね。俺は正座し、翼さんに反省の意を伝えた。そんな俺に「お叱りモードの演技を早急に解除させてくれて、ありがとうございます翔さん」と微笑む翼さんには永久に勝てないのだと、つくづく悟った俺だった。
悟るまでもなくそんなのは宇宙の真理なので脇に置き、話を進めよう。
竜族について可能な限り明かした俺は、続いて相談に移った。それは、元頭の老竜達と山風を始めとする成竜達にもピアノを教えるか否か、ということだった。ピアノを習いたいと口々に述べる子竜達に、老竜達も「儂らも」と続いた。老竜達は本気でそれを望んでいたし、また山風達も口にしなかっただけで全員が喉を地に付けて教えを請うていた。それらへの翼さんの意見を、俺は聴きたかったのである。すると、
「まずは保育士として、次いでピアノ奏者として答えます」
翼さんはそう返してきた。「おおさすが!」を再度したいのが本音でも、失敗の繰り返しは厳禁。聴く姿勢を黙って整えた俺に翼さんは音のない拍手をして、意見を発表した。
保育士としての意見は、老竜と成竜にも希望者にはピアノを習ってもらいたいとのことだった。歌の伴奏楽器としてピアノの右に出るものはなく、竜族は歌をこよなく愛しているのだから、ピアノを弾けたら絶対有利と翼さんは断言したのである。俺は翼さんの両手を取り上下にブンブン振り、無言のまま元に戻る。翼さんはクスクス笑い、次へ移った。
「翔さんが知りたいのは、これですか? アップライトピアノとグランドピアノのどちらを最初に弾いたかで、ピアノ奏者の上限に差は出るのか」
もう我慢できませんとばかりに、俺は「おおさすが!」と声に出し両手ブンブンをした。翼さんは鈴を転がすように笑うも、それを改め真剣な表情で自論を述べた。
いかなる制限も設けないなら、最初からグランドピアノを弾いてピアノを学んで欲しいというのが翼さんの本音らしい。理由は、「弦によって揺らされた空気の振動に直接触れられる利点は莫大」とのことだった。俺は苦渋顔になり、両手ブンブンを封じたことを告げる。話の腰を折らぬよう両手ブンブン封じという苦渋の選択をした俺は、過大評価されたようだ。「どんな些細なことでも良いので翔さんの意見を聴かせてください」と真顔で詰め寄られた俺は、釈迦に説法を承知で清水の舞台から飛び降りた。
少し遠回りになるが、ピアノの演奏を配信している動画には、映像の揺れるものが極少数ある。フォルティッシモ中のスフォルツァンドの箇所などで、グラグラする動画があるのだ。勝手な推測だが俺はあれを、空気の振動と考えている。鍵盤を叩いた指の力が床に伝わりそれがカメラの三脚を揺らしているのではなく、グランドピアノの大音量にカメラが揺れていると考えているんだね。間違っていたら御免なさい。
俺が通った小学校の音楽室には、グランドピアノが置かれていた。中学校もそうだったが高校ではアップライトピアノに代わり、正直言うと「くぐもった音がする」と感じた。機種や設置場所の影響があるにせよ、あれは失望したな。失望は低音で特に大きく、ここで動画配信がようやく絡むのだけど、カメラが揺れるほどの大音量低音をアップライトピアノで果たして出せるのか? 出せたとしても、プロのピアニストがあの音を動画配信するのか? カメラが揺れるほどの大音量低音でも美しい音だから自信をもって配信し、それが叶うのは高品質のグランドピアノのみなのではないかと俺は思うのである。
そう意見を述べたところ、映像が揺れているピアノ配信動画を見ていないことを翼さんはしきりと悔しがっていた。「例えばどの曲のどの箇所でしょう」と訊かれてようやく、「ああそういえば」と思い出した。
「昨夜の英雄ポロネーズは、残り数秒で曲が終わるころ、低音の和音を連打するよね。その箇所で映像が大きく揺れている動画があって、空気の振動が画面越しに伝わって来るようだったよ。無料で聴ける動画の中では、あの英雄ポロネーズは秀逸だったな」
女性ピアニストだったけど低音高速フォルティッシモを楽しませてくれて、非常に尊敬していた。中盤後半の甘く切ない箇所も女性ピアニストらしさが際立ち素晴らしかったよなあ、と曲を思い出し感動していたら、翼さんが眼前の庭にテレポーテーションした。次いでピアノを出し、俺が指摘した箇所の1分ちょい前から弾いてくれたのである。豪華絢爛なフィナーレに涙を流しつつ「ブラボ~!」と拍手していたら「聴きたい箇所は他にありますか?」と宝くじに当たったようなことを言ってもらえたので、
「中盤の、隊列を組んだ軍馬が速歩から駈歩に変わっていくみたいな箇所の、両手で弾いていたメロディを左手のみで引き継ぐ箇所が死ぬほど好き!」
俺は調子に乗って白状した。「ピアノ未経験者からしたらアレ、目を疑うような技術なんだよ」 そう付け加えたところ、手招きされたので翼さんの左斜め後ろに移動した。すると翼さんは該当箇所を、なんと目の前で弾いてくれたのである。前世に例えるなら、世界最高のピアニストが俺一人のために死ぬほど好きな箇所を弾いてくれたようなもの。冗談抜きでナンマイダ~をしたくて堪らなかったな。
分身を出し盛大に拍手してから、二人で縁側に戻る。そして翼さんは、俺の意見への感想を偽りなく述べてくれた。
それによると、ピアノを演奏せず聴く専門になる方が、グランドピアノの恩恵は多いのかもしれないとのことだった。俺は胸中「そういえば前世の俺にとって音楽の原体験は、教会のパイプオルガンの音を全身で浴びたことだったんだ」と今更ながら気づき愕然とするもそれは後回しにし、翼さんの話に耳を傾けた。




