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続いてママ先生は旭さんに顔を向け、「なぜ旭にバレていたの?」と口を可愛く尖らせた。翻訳すると「打ち明けたことが無いどころか心の奥底に封印していたのに、約1世紀前の失恋を私が今も引きずっているって、なぜ旭にバレたの?」になるだろう。問いかけ方によっては小便チビリそうになる内容だが、ママ先生は口を可愛く尖らせているし大丈夫なはず。とはいえ俺にとって女性の胸中は、難問中の難問中の難問なんだけどさ。
けどまあそこは、同性の同僚の旭さん。「嘘偽りない事実を述べます」と誓いのポーズをしたのち、旭さんは答えた。
「天から降りてきたんです。信じてください先輩!」
俺と美雪は「やはりそうだったか」という表情を揃って浮かべた。歌の選曲をする旭さんに、閃きに擬態して母さんが干渉していたことから、失恋の件もそうじゃないかと予想していたのである。当然といえばそれまでだけど、今回のことも最初から最後まで母さんの掌の上だったみたいだ。そんな母さんと差がありすぎる己のダメっぷりに怒りが沸々と湧いてきたところで、もう一つの真実にようやく気づいた。母さんは、俺を若干不快にすると知りつつも旭さんの選曲に二連続で関与した、と明かした。それを聞いた時は「母さんを不快だなんて微塵も感じなかったのに何を勘違いしているのだろう?」と首を捻ったが、勘違いしていたのは俺の方だった。不快感を抱く対象は母さんではなく、俺自身だったってことだね。その証拠に俺はほんの数秒前、己のダメっぷりに怒りが沸々と湧いてきたからさ。
俺のことなどどうでもいいので話を戻すと、旭さんに「信じてください先輩!」と請われたママ先生は、喜んでそれを信じた。喜んだ理由は、この星の「いと高き場所からインスピレーションを受け取るのが芸術家」という常識にある。そうつまり旭さんは芸術家として認められる要素の一つを満たしたのであり、そしてそれは旭さんの夢と努力を知っているママ先生にとっても嬉しい出来事だった、という訳だ。もちろん俺と美雪も喜び、特に美雪は旭さんとキャイキャイやっていた。実を言うと俺は、美雪がママ先生および旭さんとどのように交流しているかを、こっそり観察し続けている。なぜなら美雪にこう問いかけるなど、到底不可能だからだ。「ママ先生達のいるシミュレーション世界で、美雪は生身の人としてどのような立ち位置にいるのかな?」と。
ママ先生達のいるシミュレーション世界は、母さんと冴子ちゃんが「美雪だけ3歳の翔を可愛がっていてズルい」といちゃもんを付けたことを機に誕生した。ということは母さんと美雪と冴子ちゃんはそのシミュレーション世界でお子ちゃま翔つまり翔丸に直接触れて可愛がれるようになっていて当然であり、それに疑問は無いのだけど、
母さんと美雪と冴子ちゃんの立ち位置
についてはかねてより巨大な疑問を抱いていた。母さんはマザーコンピュータとして旭さんとリンクすれば翔丸に直接触れて可愛がれても、美雪と冴子ちゃんは各々のお子ちゃま版しかいない。この星の技術なら赤の他人の旭さんやママ先生と容易にリンクできても、人道に反するためそれはしていないと思われる。孤児院の形態を変えて美雪と冴子ちゃんの保育士版もシミュレーション世界に加えれば解決できないこともないが、
「それはそれで難しいんだよなあ」
俺は心の中で、ため息交じりにそう呟いた。
お子ちゃま美雪とお子ちゃま冴子ちゃんは、急な発熱でここに来ていないという設定になっている。ということは、ロボットではない人の保育士が2人を看病していると考えるのが普通。看病している保育士が2人なら美雪と冴子ちゃんの保育士版ということになるけど、通常の半分の50人しかいない孤児院に保育士が二倍の4人いるというのはいささか無理がある。それを解決すべく、孤児院を日本の小学校のような形態へ変更して検証したこともあった。それに基づくと保健室の保険医が2人を看病していることになり、かつ美雪と冴子ちゃんの保育士版がいても不自然ではなくなる。しかしそれだと美雪と冴子ちゃんの保育士版は、翔丸とは異なるクラスの保育士ということになるんだよね。そんな環境を、美雪と冴子ちゃんは受け入れるだろうか? う~む、難しいぞ!
難しいので設定を根本的に変え、翔丸は孤児ではないという状況を考察したこともある。その上で美雪と冴子ちゃんを翔丸の家族にすれば複数のことが解決するけど、その設定ではママ先生のさっきの打ち明け話と矛盾してしまう。ママ先生は大勢の孤児達の母親になったし、孤児と明かした俺を子供達は「お兄ちゃんはお兄ちゃんだったんだ」と喜んだからだ。うぎゃあ、マジどうなっているんだ!
かくして考察の袋小路に入りかけた俺は現状を把握するという基本に戻り、
「美雪がママ先生および旭さんとどのように交流しているかを、こっそり観察する」
ことにしたって訳だね。
しかし、基本はやはり偉大。極めて貴重な記憶を、すぐ思い出せたのである。ママ先生はここに到着した際、子供達にこう促した。「みなさん、孤児院の遠足場所の菜の花畑に着きました。招待してくれたお兄さんとお姉さんに、お礼をいいましょう」 そのとき俺と美雪はママ先生達に背中を向けて座っていたため、立ち上がり体の向きを変えてママ先生達に挨拶したけど、美雪の顔を見て驚いた人は一人もいなかったのだ。つまり美雪の保育士版が孤児院にいたとしても、美雪とは異なる顔をしているということ。俺がそうだったように美雪もママ先生達にとって、見知らぬ初体面の人になっていたのである。




