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テレパシーの単位
になったということ。昇のNと鷲のSと橙のTを用いたnstが、テレパシーの学門的単位として正式に採用されたのである。「このテレパシー送受信機は最小1nstを受信でき、最大100nstを送信できる」みたいな感じかな(苗字の頭文字だと語感がイマイチだったようだ)。
言うまでもなく単位になるのは、本来なら科学者の最高の名誉と言える。前世の地球なら、パスカルの原理を発見したブレーズ・パスカルが圧力・応力の単位になり、謎多き天才発明家ニコラ・テスラが磁束密度の単位になったのがその例だね。それぞれをミリバールやガウスと呼んでいた時代を覚えている俺などは偽りなくそう思うけど、ヘタレ者としては昇達が頭を抱えるのも十分理解できる。戦士と無縁の単位ならまだしもテレパシーは「次の戦争の最終兵器」と呼ばれる程だから、名誉が生涯付きまとうに違いないからだ。昇、鷲、橙、ご愁傷様です。
幸い三人の伴侶の奏と晴と藍は、今回の出来事を心から喜んでいる。テレパシー送受信機の完成はテレパシー録音再生機への挑戦なくしては成されず、テレパシー録音再生機への挑戦は反重力エンジンの勉強なくしては成されなかった。そして奏と晴と藍は、夫達が反重力エンジンの勉強に一桁年齢から励んできたことを、一番近い場所で見続けてきたのだ。三人にとって単位に採用されたことは、夫達の長年の努力が認められたことに他ならなかったのである。よって心から喜ぶのは当然であり、また昇と鷲と橙も、自分のことのようにうれし涙を流す妻に愛情を強く感じた。それもあり普段は単位に採用されたことを普通に喜んでいるが、音楽仲間の男組だけで酒を飲んでいると、
「「「なんて大それたことを俺達はしてしまったんだ、ウギャ―――ッッ!!」」」
なんて感じに三人揃って頭を抱えるのが恒例になっていた。そんな三人に同情するでもなく諭すでもなく黙って酒を注いでやるのが、三人以外の男組の恒例になったのだった。
――――――
月日は少しさかのぼり、6月中旬。
「耳をすませ〇」を24fpsから72fpsにする作業、及びテレパシー吹き替えの作業を俺ら音楽仲間達は始めた。両方とも二回目のことなので作業はとても順調に進み、そして予想されていたとおり、あまりの順調さ故にこんな言葉が自然と囁かれるようになった。「刺激が足りないよね、何かをしてみない?」と。
少し遠回りになるが、俺の前世の話をしよう。
俺が社会人になった頃はスパルタ教育がまかりとおっており、入社2年4カ月目の俺は挫ける寸前になっていた。しかし「耳をすませ〇」を偶然見たお陰で危機を脱し、そしてそこから得た教訓は50歳をすぎるまで役立った。それは、
心身に余裕がないと創造性は生まれない
という事だったのである。
新入社員にまず求められるのは、雑務を納期厳守かつ正確にこなせるようになること。上司や先輩に「これをして」と言われたら納期厳守かつ正確にこなし、提出もしくは報告する。まずは、これが求められるのだ。俺は個人的にその時期を「手代の時期」と呼んでいた。手代とは江戸時代の商家の役職で「上役の手の代わりとして働く者」みたいな感じかな。そう江戸時代も平成も、やっていることは同じだったのである。
しかし「これをして」と言われた仕事をこなすだけでは、いつまで経っても手代のまま。俺の会社で手代を卒業するには新たな企画を考えねばならず、そしてそれが入社2年4カ月目の俺にはできなかった。理由はスパルタ教育がたたり、疲労困憊になっていたから。そうまさに「心身に余裕がないと創造性は生まれない」ということだったのである。そしてそこから得られた教訓は、後輩や部下を持つようになっても役に立った。仕事量を調整したり閑散期を利用したりして後輩や部下の心身に余裕を持たせ、創造性の高い企画書を提出してもらうことを、俺は心がけていたんだね。今思うと俺が多趣味だったのも、創造性を呼び込む方法の一つだったのかもしれないな。
さあ準備完了だ、話を戻すとしよう。
72fps化とテレパシー吹き替え作業は、トト〇でもしていたこと。二回目ゆえ難しさはなく心身に余裕がもたらされ、お陰で自然とこう囁かれるようになったのだ。「刺激が足りないよね、何かをしてみない?」と。
かくして話し合いを設け、試しにサントラを皆で演奏してみようという事になった。するとすかさず昇が挙手し「まだ3曲しか完成していませんがどうぞ」と、皆の手元に総譜を出現させたのである。鈴姉さんと奏に絶賛され、昇は顔をほころばせまくっていたな。
サントラを皆で演奏するのは問答無用で楽しかった。皆に感謝され嬉しかったのだろう、昇はサントラを楽譜に次々起こしていった。また天才作曲家の能力を存分に発揮し、オケに含まれていない楽器を使った曲も楽譜に楽々したので、俺達は小編成のグループを複数作りサントラを次々録音していった。オケに含まれていない楽器にはエレキギターとベースとドラムもあり、「バンドを結成したい」という俺の約一世紀越しの夢を叶えられたりもした。俺がギター、昇がベース、勇がドラムのバンドは予想以上の好評を博し、マジ最高だったな!
楽しいということは、まこと偉大。
俺ら音楽仲間達はふと気づくと、「耳をすませ〇」に用いられているすべての曲の録音を終えていた。練習と録音の区別なくどれもこれも楽しく、また皆の演奏技術の高さもあり演奏面での苦労は一度もしなかった。が、演奏以外では苦悩を一度だけした。それは、
主題歌のテレパシーを誰が担当するか
という、対応を誤れば遺恨を生みかねない問題だったのである。とはいえそれは「私が歌う!」「いいえ歌うのは私!」系の戦いでは、てんでなかったんだけどね。




