最初の一歩⑤
4
朝九時からカリキュラムという名の授業が始まる。
必然的にそれまでに朝食を取らなくてはいけないので零は八時頃に目を覚ますつもりでいた。
零の部屋には、目覚ましがない。そんな中で時間通りに起きれるのか、一抹の不安があったがそれは杞憂に済んだ。
それは安眠状態だった零を現実世界に引っ張り出す濁声。
「起きろ、起きろ」
ドアをドンドンと叩きながら発せられるその濁声によって意識を覚醒させた零はぼうっとした足取りでドアに向かう。
そこにいたのは老けた一人の男、背は零よりも低く、胴周りが零より大きいその男は煩そうにしている零を一睨みしてこう告げる。
「わざわざ起こされる前に起きてこい!」
男は腕に付けている時計をコンコンと叩きながら現在時刻を主張する。
「……まだ八時じゃないですか」
起床は九時、八時に起きる予定ではいたがその時間に起きないといけないわけではない。
「予定変更だ。さっさと食堂に来い」
それだけ言うと、バタン、とドアを閉めてしまった。
「そんなん急に言われたってなぁ……」
零はあくびをしながらぼやいて適当に服を引っ張り出して着替える。
食堂、というには些か大きすぎるそこには既に五人の子供が集まっていた。
昨日と変わらず無表情を貫く四人、そして目に隈を作っている華蓮。
「お、おはよう……、どしたの?」
「……なんで寝れるの」
華蓮はこの理解不明の状態で睡眠をとることができなかったのだろう。
単純に睡魔に身を任せたとは言えない零は曖昧に笑うしかない。
「全員揃ったな」
最後に入ってきたのは國枝だ。彼は六人がいることを確認し、こう言った。
「これから朝食を作ってもらう。材料、場所はこちらが提供する」
國枝は目を丸くしている零と華蓮を気にせず、一方的に話をまとめてしまった。
料理は二人一組で行う。一人が二人分を作り、もう一人はその感想を具体的に述べる。
何を作っても構わないが可能な限り一時間で終わらせること。
ペアは、零と華蓮、朱音と佳奈、修哉と朱音で行う。
要約するとこんな感じだった。
「じゃああたしは食べるから桐谷君――」
「ちょっとまて」
颯爽と去ろうとする華蓮の首根っこを摑まえ、零は笑顔で詰め寄る。
「昨日の夜、朝ごはん作るって言ってたよねー」
「えー、実はあたし記憶がなくてさー」
「いいから作れい!」
華蓮を厨房の方に放り投げ零は逃げるようにイスにつく。その姿に対し華蓮は憎々しげな眼光を浴びせるが零は明後日の方向を向いてそれを回避。
結局流される形で華蓮が作ることになってしまった。
どう決めたのか、他の二組は修哉と朱音が料理に回っていた。
批評家の役割を仰せつかった零は今か今かと料理を待っていた。
腹が減ったわけではない。ただ単純に二人といることが苦痛なのだ。
佳奈とアラタ、一回聞いただけでよく覚えているもんだと零自身感心しているが、その二人は零と同じテーブルに腰かけている。
しかし彼らの間に会話はない。ただシンとした空気が流れるのみだ。
零は虚空を眺めている二人に対して友好的に接しようとは思えない。
(せめて華蓮みたいに喋ってくれればな……)
零は昨夜の華蓮とのやり取りを思い出す。
だがそこで零は気づいた。
零は受動でいただけだ。能動的に動いたのは全部華蓮、零の部屋を訪問したのも、話を切り出したのも、食事に誘ったのも、全部華蓮がそう動いたからだ。
華蓮は違うやつだと、動かない他の奴らが間違っているとそう決めつけていた。
(フランクに振舞ってるけどあいつだって不安はあったに決まってる……)
その証拠に華蓮は寝不足になっている。これからのことを案じていたのだろう。
(それに引き替え俺はどうだ? 周りへの不信感を持ってはいても結局何も考えてない。何も動いてない)
ゴクリ、と唾を飲む。
(動かなきゃ何も始まらない‼)
零は未だ焦点定まらぬ二人を見据えゆっくりと口を開く。
「二人は……好きな食べ物とかあるの……?」
小学生低学年がしそうな質問、だが今の零にはこのくらいのことしか浮かばなかった。
反応がなくても仕方ない、そう覚悟していたが意外なことに、二人はゆっくりと零の方へ視線を向けた。
「……とくには」
「……別に」
だが返ってきたのはそんな答え。めげるな、がんばれ、零は自分を励まして再び口を開く。
「昨日の夜ご飯美味しかったよねー、二人は何食べた?」
「寿司」
「サラダ」
返ってくるのは簡潔な答え、だが零はそれでも目を輝かせる。『特に』に比べたら大きな前進だ。若干麻痺した感覚の零はそう考える。
「じ、じゃあ……――」
頑張って、頑張って、零はひたすら話題を捻りだす。
5
(うーん、どうしたものか……)
零が孤軍奮闘している中、華蓮もまた悩んでいた。
厨房で黙々と作業を進める修哉と朱音、華蓮はその二人に挟まれる形で作業をしている。
(気まずい……)
二人に、何作るの? 昨日の夕食どうだった? などと聞いてみたものの、一言二言で終わってしまい、場が盛り上がることがない。
(……できれば四人全員、最低でも二人は感情を戻さないと……)
華蓮が徹夜で考えた謎――自分たちはどうしてここにいるのか、なんで記憶がないのか、四人が極端に大人しいのはなぜなのか――それらに対する解答を何となくだが用意できていた。
ただ一つ、
(だけど、そうだとしたらなんであたしと桐谷君は感情があるんだろ)
完全ではないロジックの穴を埋めるために脳を回すがそれだけは分からなかった。
6
「おまたせ……」
「――これ何?」
華蓮が持ってきたものを見た零は思わず自分の目を疑ってしまう。
「目玉焼き……」
「だろうね」
華蓮が目玉焼きと言ったそれは黄身や白身といったものは散見できず、すべてが純黒だった。
「どうしたらこうなるの?」
「ちょっと別のことに意識を割いていたら……、で、でも味付けはちゃんとしたし、ダメなのは見た目だけだから」
「もうその理屈が適用される範疇外だと思うんだが」
「い、いいからさっさと食べる‼」
華蓮は――発がん性物質によって覆われた――目玉焼きがのった皿を零の前に押し出す。
「う……っ」
それを間近で凝視したことで零は顔を顰めてしまうが食事係を華蓮に押し付けたのは他ならぬ零だ。
箸で軽く叩くと、カンカンというフライパンを叩くような本来食べ物からしないような音がする。箸では食べられないのでナイフで一部分を切り離し、フォークで突き刺し、意を決して暗黒物質を口の中に放り込む。
「……‼ ……んごぢゃあなふいせんどいわぐぢうわりお……」
固形物質と化した目玉焼きを噛み切り、喉を通過させる。たったそれだけの作業なのだが零はそれによって喉を押さえ、形を成さない絶叫を上げた。
目の前に水道でもあれば零は迷わずそれを吐き出しただろうがさすがにそんなわけにもいかず、死に物狂いで胃に押し込んだ。
頭がガンガンと鳴り響き、目がチカチカと霞む。
「ど、どう?」
華蓮もその惨状を分かったうえで目を逸らしておずおずと聞いた。
「………………死ぬ」
ボソリ、と零は死にかけの喉から掠れた声を出した。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ‼ なんだよあれは‼ 味付けはちゃんとした⁉ アホか‼ 固いししょっぱいし苦いし‼」
言ってから、零ははっとした。言い過ぎた。しかし、その言葉は取り消せない。
(華蓮は不眠状態になるほど追い詰められている。俺はそれが分かっていたはずなのに‼)
盛大に自分を殴ってやりたい、しかしそんなものは自己満足だ。零はゆっくりと視線を華蓮の方に向ける。華蓮は目を伏せ、握った拳を小刻みに震えさせている。
「……ごめんね? ちょっと間違えちゃったみたい、ここの人に言えば何か出てくるはずだから、桐谷君それ食べて」
華蓮は捲し立てるようにそういうと一目散に去ってしまった。
「あっ……」
零は微かに手を伸ばすがそんなものは届かない。
「くっそ……‼」
奥歯が弾け飛ぶんじゃないかというほど歯に力がこもる。
結局その日、午後になっても華蓮はカリキュラムに姿を表さなかった。
7
晴れない気持ちのまま、零は自室の風呂に入る。浴槽の温度を変えていなかったために45℃という熱湯だがそれすら気にならないほど零の心は別にあった。
原因はもちろん朝のこと、結局その後はなにも食べず、暗く臥せった心を抱えて一日を過ごした。
昨日出せたオーラも今日は嘘のように出せず、國枝に小一時間原因究明をさせられた。
(……最低だ)
零と華蓮は知り合って一日しか立っていない。それでも零にはまるで昔から知っているかのように華蓮の存在が大きくなっていた。
閉鎖空間の中だからなのか、自分に記憶がないからなのかは零自身にも分からない。
(ずっとこのままで……いいはずがない‼)
勢いよく湯船から立ち上がると零はシャワーの温度をわざと高温にし、それを思い切り浴びる。
そして、パン‼ という弾ける音が風呂場に鳴り響くほど強く、自分の頬を叩いた。




