最初の一歩③
「え、なんで?」
「ん? どうぞって聞こえたから入ってきたんだけど……」
零の怪訝な表情に対して華蓮も困惑した表情を浮かべる。
「あ、いや……」
ベッドメイクの人だと思ったとは言えずに何となく曖昧な感じで笑う。
「それよりも、何か……?」
「ここでもいいんだけど――」
華蓮は言葉を切って少しあたりを見回してからこう言った。
「風呂場に行きましょ」
「は? え? なに? なんで?」
零は言葉の意味が分からずに呆然とするが、華蓮の表情はおふざけをしているようには見えなかった。
零は状況が分からないままなぜか二人で風呂場に向かう。零の場合はさっきまでいたのだから戻ったという方が適切かもしれない。
「やっぱり、ここはそうなんだ」
零の風呂場に入り、浴槽に腰かけた華蓮は勝手に一人で満足げな顔をしている。
何か言うべきなんだろうか、だけど何を言えばいい? 零は華蓮の真意が読めずに困惑するしかない。
零は少し思案する。
クエスチョン、なぜ白風華蓮は自分の部屋に来たのか。
アンサー、友達が欲しかったから?
クエスチョン、ならばなぜ異性である零なのか。
アンサー、零以外の奴はまるで人間のような感じがしないから。
もし零がだれか他の人の部屋に訪問しなさいと言われたらおそらく華蓮を選んだだろう。
そういう考え方をすれば華蓮が零の部屋にきたのも頷ける。
クエスチョン、ならば食事にでも誘えばいい。二人で風呂場にいる意味は何か。
アンサー、……。
ここで手詰まりだ。
もしも華蓮が風呂場に入った瞬間に颯爽と服を放り投げるような痴女だったならばこの答えも簡単にでるだろう。
だがとてもそのようには見えない。まだ知り合って一時間くらいしかしていないが、そこまで空っぽの脳をしているとは思えない。
零は華蓮という人間について何も知らない。
だとしたら分からなくても仕方ないように感じるが、何か奇妙な違和感を無視することはできなかった。
過去のことをさっぱり覚えていないが、それでも零は感じた。
――自分はこんなに頭の回転が速かっただろうか。
零が思考を始めてからまだ〇・〇〇一秒も経過していない。
再試行。
クエスチョン、二人で風呂場にいる意味は何か。
これに対する答えを提示するため零は今までの華蓮の行動を寸分違わず呼び覚ます。
『自分にだけオーラ発言のヒントを与えた』『なぜか突然やってきた』『リビングで周りを見回した後なぜか風呂場に来た』『風呂場での、やっぱりここはそうなんだという言葉』
重要だと思うワードを引き出しから取り出して目の前に並べ、吟味する。
何か、あと一つでパズルが完成しそうだ、という感覚を持つが最後の一ピースが分からない。
『部屋のつくりっていうのはあたしのところと同じなんだね』
それは些細な日常ワード、だがそれを持った零は、頭の中でパズルを完成させることができた。
だとしたら言うべき言葉はこうだ。
「ここについてどう思う?」
華蓮は思わず目を丸くする。
開きかけていた口は閉ざされた。まるで、今から自分が言おうとしていた言葉を先取りされてしまったように。
「……」
「あ、あれ、違った? そうかなと思ったんだけど」
途端、零は顔の体温が上がったように感じた。これから相手がいうことを先取りする。ドヤ顔でカッコよく決めただけに、それが外れてた場合の恥ずかしさは何倍にも膨れ上がる。
「いや、そうなんだけど、どうして分かったの?」
「まあ、簡単に予測しただけだよ」
うぉー、合ってたー、と興奮する気持ちはおくびにも出さず、努めて冷静に返す。
「ここについてどう思う?」
華蓮は改めてその問いを零にぶつけた。
ここ、というのは風呂場ではないだろう。零達がいるこの場所全てを指す指示語だと解釈して零は少し考える。
どう思うか、零からすればなんでこんな高待遇を受けているのか分からないが、貰えるものはもらっておこうと思っている。
だが目の前の少女が求めている答えはそんなものなのだろうか、これについては予想のしようがない。これは本人の感覚的な問題。華蓮と一言二言しか言葉を交わしていない零にそれを予測することはできない。
「居心地が悪い、とは思わない」
肯定とも否定ともとれる言葉。結局、曖昧な返答で逃げてしまった。
「桐谷君は、ここに来る前のこと、覚えてる?」
華蓮は様子を窺うように、区切りながらゆっくりと言った。
「覚えてない。城風さんも?」
「うん、覚えてない」
こう返答が返ってくることは零にも予測できた。自分が記憶喪失でもない限り、人に確かめようとはしないだろう。
「でもいいんじゃない? なんていうか、それで不便はないんだし」
「不便がないのがおかしいとは思わない?」
「え?」
「記憶を失ったら不安になるはずなのにそれを補うように至れり尽くせりな場所が設けられてる。出来すぎだと思わない?」
零は思わず、はっ、と息を呑んでしまう。華蓮が言っているのは極々当たり前のことだ。
なのに、零はそんなことを考えもしなかった。
考える必要がない空間、自分に必要なものがすべて取り揃えられる空間に零の心は浸食されていた。
「……監視カメラ、あるのか?」
華蓮がわざわざ風呂場で話そうといった理由、それを考察しているときに、浮かんだ一つの疑惑は力強く肯定された。
「ある。あたしの部屋にはリビングと寝室にあった。どれもカモフラージュされてたけどね。監視カメラがないのはトイレと風呂場だけ」
それを聞いた零は思わずぞっとしてしまう。一応の常識的部分はあるのかもしれない。
だがそれでも、自分たちは監視されている。
もしもそれに気づかなければ疑うことをせず、ただ従順に彼らのカリキュラムをこなし、恵まれた環境で過ごしていたはずだ。
恐ろしい。恐怖だ。
零は考えもしなかった。
外に出よう、と。
この場所は、天国なんかじゃない。まるで牢獄のような……。
「城風さんは、抜け出そうとしてるの?」
「……まだわかんない。記憶がないから何が正解なのかも分からないし」
零はそれに返す言葉を見つけることはできない。
自分も全く同じ立場なのだ。
「当面は様子を見ることにしない? あの人達も気になるし」
「あの人達っていうのは大人? それともあの無感情達?」
「後者の方」
零は簡潔にそう答え、少し華蓮から視線を外す。
(あいつらも俺らと同じように記憶がないのだとしたら……、でもなんで? 監視対象を手厚くもてなす理由は……)
零の脳裏に読んだこともない一冊の本が浮かぶ。
『注文の多い料理店』
だが零はブンブンと首を振る。
自分たちを大人しく留まらせたい目的、零は腕組みをして考えたとき、自分の姿が華蓮の姿と重なった。
あの時の、オーラについて考えていた時の華蓮と。
(難しく考えすぎてた……⁉)
絡まっていた糸がほどけ、一本の道筋が出来上がる。
「分かった‼」
急に大きな声を出した零に驚き、華蓮は少しのけぞる。浴槽はフタがされているから落ちる心配はないが、それでも華蓮は少し慌てた様子で態勢を元に戻す。
「わ、分かったって何が?」
「大人たちはオーラについて知りたいんだよ‼ だからオーラを使える俺たちを重要な監視対象にしてるんだ‼」
零は今まで前提を間違えていた。
大人たちはオーラというものを知っていて零達にもオーラを使わせようとしたと考えていた。だがもしも大人たちがオーラというものについて漠然としか知らず、零達を通して知ろうとしているとしたら。
零達の機嫌を損ねずに丁重にもてなしていくのが一番だ。
「なるほど……、だとしたらオーラっていうのは相当強力なもの……」
華蓮の言葉に零も強く同意する。
力で恐怖させずにおべっかを取るのは零達に反抗されたくないからだ。
「よし! 今後の方針は決まったね‼」
浴槽の縁に座っていた華蓮は勢いよく両手をついて跳ね上がり、バク宙をするように空中で一回転して、仁王立ちの姿勢で浴槽フタの部分に立った。
「まずは、オーラについて知ること、そして次に――」
「ち、ちょっと!」
「なによ――ぉぉぉぉぉおおおおおお⁉」
零が声を上げたときには既に遅し、メキッ、と音を立てた浴槽フタは人の重さに耐えられず、ひしゃげ、浴槽の中に沈んでいく。
そしてもちろん、その上に立っていた華蓮も言わずもがな、足場が崩れ、奇声なのか悲鳴なのか判別つかない声を上げた。
これが一般的な家庭の浴槽だったら落ちる際に側面部などに頭をぶつけたかもしれない。だが零の部屋の風呂は小さな旅館の浴槽くらいには大きい。
華蓮はバシャン、と音を立て、たった今沸いたばかりのお湯に沈んだ。
だがそれも一瞬、
「あっっっっっっぅぅう‼」
芸人のようなリアクションを取った華蓮はすぐさま湯船から脱出し、体をこすっている。
「あっついよ‼ てかなんでお湯張ってんのさ‼ 熱傷になるわ‼」
なかなか小気味よく突っ込んでくれるが、零からすれば自業自得としか言えない。
「フタに立つ方が悪いです」
「ぅ……」
きっぱりと言い切られた華蓮は少し小さくなる。
「テンション上がっちゃって……」
視線を泳がし、ごにょごにょと口の中で何かを言う華蓮を尻目に、零は湯の温度を確認する。
『45℃』
そこに示されている数字を見て零は思わず「たっか‼」と声を漏らしてしまう。
「大丈夫? 火傷してない?」
さすがに少しばかり気の毒に感じた零は華蓮を気に掛けるが、そこでとてつもなく重大なことに気が付いた。
(――ノーブラ……⁉)
華蓮が着ているのは零と同じで浴衣のような白い服。
着衣水泳をしたことがある人ならばわかるが、濡れた服は肌にくっつく、そして透けるのだ。
黒い服なら透けても無問題で済む場合もあるが、白はほぼ百パーセントの確立でアウトだ。
そして、ブラジャーを付けているのならば、その色が鮮明になるはずなのだが、そういったものは浮かび上がらず、ただ肌色が広がっている。薄く透けただけで鮮明にはなっていなので肌色の下着を付けているという可能性はゼロではないが、零は弾かれたように天井に視線を向けた。
「……なんか服取ってくるよ」
あくまで紳士的に、零はそう告げて、風呂場を去った。
「へ、あ……」
自分の様子に気付いたのか、華蓮は俯いてしまう。
零は寝室にあった洋服ダンスから適当に服を取り出し、タオルと一緒に浴室の扉越しに華蓮に渡す。
もちろん、可能な限り、華蓮の方を見ないで、だ。
「……見た、よね?」
「ちょっと……」
それは事実だった。零の脳内メモリーに残っている画像は鮮明に映しても一八禁にはなりえない。ちょっと刺激が強いお色気画像でしかない。
「……できれば忘れてくれると嬉しい」
「てっきり怒るかと……」
二人は扉を一枚挟んだだけ、同い年位の女の子がすぐそばで着替えているという状況になんとも言えない感覚を覚えるが、それは決して言葉にしない。
「怒らないよ、別に桐谷君は悪いことしてないし。あたしの自爆だしね」
少し落ち着いたのか、噛みつきそうだった興奮状態はなりをひそめていた。
「ただ、できれば忘れてほしい」
「分かってる」
華蓮の声が少し細くなったことに零は気づいた。相当にショックだったのだろう。
だから零は、すごく、すごく、すごく、惜しいと思いながらもその記憶を抹消することにした。
数分もすると華蓮は風呂場から出てきた。片手にはさっきまで着ていた服が絞られた状態で握られている。
「それにしても、センスないね」
クスッと笑うようにして華蓮は自分が今着ている服に視線を落とす。
零が適当に引っ掴んだのは英字が沢山書かれたティーシャツにハーフパンツ。
「タンスに用意した奴に言ってくれ」
零としてはかなりいい、と思っていただけに、ちょびっとショックを受けるが、自分のセンスを否定されないように適当にごまかした。
「あたしは大浴場で入りなおしてくるけど、桐谷君はいかないの?」
「まあ、行く気はないかな。あの二人と会いたくもないし」
「あー」
華蓮は微妙な表情で頷いて、
「さっさと入ってきちゃうからさ、そのあと夜ご飯行こ? 試したいこともあるしさ」
華蓮はそう言って跳ねるように零の部屋を出て行ってしまった。
その後ろ姿を無言で見送った零は風呂場に戻り、壊れたフタを見て軽くため息をつく。
「これは後で直してもらわなくちゃな」
機能しない自動開閉フタを手動で風呂の端に移動する。
脱衣所で服を脱ぎ散らかし、裸になって改めて風呂場に入る。
「やっぱ広いよなぁ」
一人には大きすぎる風呂を改めて見渡し息が漏れる。
子供三人用に用意された大浴場というのがどれだけ大きいのか興味がないわけではないが、風呂でどちらかに遭遇し、気まずい雰囲気になるのとを天秤にかけた結果が自部屋の風呂だ。
華蓮のように、普通に話せるようになればその時に行ってみよう、零はそう思った。




