進む先に③
「固い……」
数日前まで使っていたベッドとは比にならない固さ。枕も反発力がなく、本を重ねた上に頭を置いている気分になる。
寝苦しく、息苦しい。
そして、疲労し、摩耗して擦り切れた心は彼を悪夢へと誘った。
何もない真っ暗な空間。上下左右も分からず。四方八方を見渡しても差し込む光は一切ない。零が一歩足を踏み出すと足の位置に水の波紋が広がる。まるで水面を歩いているような感覚だ。
暗く、暗く、光を一切通さない水。
そんな時、ふと、水面から手が這い出してきた。その手は零の足を掴む。そして同じように水面から手が現れ、足を掴む。一本だった手は、二本、三本、と増え、次第に数えられなくなるほど大量に増殖していった。
足に掴む部分がなくなれば膝に、膝が手で埋め尽くされれば腿に、まるで水面に引きずりこむように無数の手が体を掴む。
――ドウシテ、ドウシテ、シナナクテハイケナイ……。
――シニタクナイ……。
――ドウシテ、オマエハイキテイル……。
――ドウシテ……。
――ドウシテ……。
――ドウシテ、レイハイキテルノ……? アタシヲコロシタクセニ……。
「ああああああああああっ‼」
絶叫によって跳ね起きると、太陽は既に真上に登っている時刻だった。
「……っ」
零は右手で髪を掴み、顔を歪ませる。
怖い。死が怖い。華蓮を失った時に感じた感覚。心臓を抉り取られ、虚無になるあの感覚。
思い知った。大事な人が消えるとこんな感覚を味わうのか、と。
そしてそれと同時に理解した。今まで自分はどこかの誰かにこんな感覚を与えてきたのだと。
「華蓮……」
弱った心が生み出した無意識の言葉。
「何を甘えてんだ俺は……」
すぐにその言葉を否定するかのようにかぶりを振る。
そんな資格は零にはない。自分が出過ぎた真似をしたせいであんなことが起こったのだ。被害者ズラする権利なんかあるわけがない。
零はのっそりと立ち上がり、洋服ダンスの中を見る。中には何着か服が入っているが零のサイズより少し大きい。暖色と寒色が混じり合ったような色合いのシャツや中途半端に流行おくれのダメージジーンズ。
「センスないな……」
自嘲気味に笑う。
「俺と同じか……」
――それにしてもセンスないね。
零の中にある時の声が反響する。思わず痛みをこらえるようにして奥歯を噛みしめるが、すぐに冷めた目つきに戻った。
――俺にそんな資格はない。
零は汚れた上着に手をかけ、一息に脱ぐ。そして改めてその服を凝視する。必然と握っている手に力がこもり、勢いでゴミ箱に叩き込もうとしたが、すんでのところで思いとどまった。
WIZARDであったことを証明する唯一の証拠。あの謎の男性はWIZARDとしての肩書を捨てて、と言っていたが、零はそんなつもりは毛頭なかった。
思い返したくないようなことは山ほどある。それでも、あの仲間たちと出会ったこと、一緒に過ごしたこと、それをすべてなかったことにしてしまうのはとても物悲しいように感じた。
それになにより、忘れることなど許されるはずがない。
零は上下セットのズボンも脱ぎ、パンツ一丁の状態で一階に降りた。適当に物色すると、洗面所に洗濯機があったので、そこに着ていた服を放り投げ、洗面所に隣接している風呂場でシャワーを浴びた。
シャワーを終えた零は白色の無地のティーシャツに黒のズボンというザ・普通の姿で居間のソファーに腰かけていた。
処理しきれないことが多すぎる。
華蓮を失ったこと、自分たちが今までしてきたこと、そして謎のあしながおじさんに助けられたこと。種種雑多な思考が渦を巻いて頭の中で暴れまわる。
これからどうすればいいのか。選択肢はおよそ二つ。今までの過去をなかったことにし、平和な日常生活に身を置くか、いっそ暗雲立ち込める闇の世界に堕ちて殺し屋のように生きていくか。
だがどちらの選択肢も選べない。零の中にある葛藤はどちらの選択肢も同様に拒んでいる。
過去を清算することも、これ以上ひとを殺すことも、どちらもしたくない、してはならない。
零はひたすらに熟考し、苦悩した。失ってから初めて彼女の大きさを思い知った。自分の中を彼女がどれだけ占めていたのか、遅すぎた感情を痛いほど思い知った。
数日では答えが出ず、何週間も胸中を痛め続け、彼は一つの結論を出した。




