瓦解⑤
8
「あー、やっちゃったなぁ」
華蓮はひび割れたイヤホンを眺めながらため息をついた。さらに港からは相当に離れ、さすがに一回の跳躍で戻れる距離でもない。
華蓮のいるこの船は周りの船が沈んでいく中、WIZARDという圧倒的戦略兵器の前に恐れをなして退散したのだが、その時には既に時遅く、華蓮が飛び乗った後だった。
既に敗戦を覚悟して逃げようとしたマフィア軍団の前に降り立った城風華蓮というWIZARD最強の戦士。既に船は出航しており、陸に逃げることもできない。しかし、逆に言えばこの一人さえ倒してしまえば後は本国に戻れるのだ。
彼らは己を奮い立たせ、勇猛果敢に華蓮に立ち向かった。時に腕が捥げ、頭が吹き飛び、胴に穴が開いた。
数の暴力。
戦闘開始時は一対五〇以上という五十倍もの圧倒的な数の彼我があった。それにも関わらず、五分もしないうちにその数の差は僅か十倍にまで近づいていた。
デッキは赤黒く染まり、這いつくばるようにして蠢くゾンビのような人間が無数に散見できる。彼らが発する言葉は一様で、ひたすら『助けてくれ、死にたくない』とたわごとのように繰り返している。
もう駄目なのか、全員このまま死ぬのか。まだ五体満足で立っていることができる数人は、苦痛に顔をゆがませ、ひたすらにもがき続けている仲間たちに未来の自分の姿を重ねた。
そんな地獄絵図を前にしても尚、WIZARDという悪魔は止まらない。無情な瞳で彼らを見下ろし、ひたすらに屠り続ける。
彼らかには対抗策の打ちようもない。彼女がどんな武器を使っているのか、どんな手段で自分たちを攻撃し続けているのか、理解ができない。
しかし、そんな中、二五程の年の青年があることに気が付いた。その青年は近くにいた仲間の一人に言伝を頼み、操縦室に向かわせた。
青年はポケットから取り出したスマホを固く握りしめ、悪魔から距離を取る。視界に入らないように、物陰に隠れながら、まだか、まだか、と激しく爆動する胸を服の上から抑え込む。
そして、その時は来た。
ブッー、と右手に走った振動音。それと同時に三〇ノット――約時速五五キロ――で進んでいた船が五ノット――約時速一〇キロ――スピードを増し直角に曲がった。
「なっ……」
突然の速度上昇と急カーブ。うねりを上げて湾曲にしなった船。当然だがそんな状態で直立立ちをできるものなどいない。吊革につかまっていない時に電車が急ブレーキを踏むのと同じ、バランスを崩してしまう。
青年の賭けは成功だった。いかに破壊的な存在の悪魔であっても人間であって、地に足を付けているなら地球の法則には従っているはずなのだ。
華蓮は身をよろめかせ、足を滑らせた。周りに吐いて捨てられたような仲間の血が青年をアシストしてくれたのは青年にとっても予期せぬ僥倖なことだった。
今しかない! 青年は勇気を振り絞り、左手で近くの木板を掴み、立ち上がる。チャンスは一度。右手に握られた拳銃を対象に向ける。
悪魔に銃弾は効かない。多くの仲間が銃を乱射したが、発射された銃弾は悪魔の皮膚を貫くことなく、直前で何か、とても固いものにあたって沈黙した。
そしてどんな防御手段を使っているのかは分からない。
それでも悪魔は防御の時にはあの不可視の攻撃をすることはなかった。引き金を引いた直後、人間はほんの一時硬直する。その隙を見逃すようなら悪魔ではない。
命がけの状況。考えることを放棄し死特攻した他の仲間と違い、青年は考え抜いた。
だからこそ、
「こっちだ‼」
震える声で名乗りを上げる。ほんの少し、悪魔は驚いたように表情を固めた。バランスを崩し、このままでは倒れこむという状況。だがデッキに残る残存勢力は青年一人だけだ。
青年は見た。悪魔が左手を地面に向けるのを。おそらく左手一本を軸にして、体操選手のように跳ね上がるつもりなのだろう。そして青年は見た。右手が固く握られるのを。
――来た‼
仲間の体が吹っ飛んでいく最中、悪魔は必ず右手を握っていた。
「あぁぁぁぁあああああああああ‼」
勇猛なる雄叫びを上げた青年は悪魔の眉間に銃口を向け、トリガーを勢いよく絞った。
視界が赤く溶けた。
(ああ……これが……死か……)
青年は感じた。自分の脳が潰れる感覚を。そして最後に抱いた。
――ちくしょう……。
最後に捉えた光景。それは自分の撃った銃弾が悪魔の足を掠めた光景だった。
「……っ」
デッキにもう人影はない。華蓮は腰をおろして、左手を押さえた。
船の急な加速と急な進路変更によってバランスを崩した華蓮は左手を軸とし、てのひらで床を押し、そのまま空中で一回転してバランスを戻そうとしたのだが、隠れていた刺客によって意識をそちらに引き付けられた。オーラを大量に消費していたこともあり、オーラを攻撃にまわした結果、左手から落下し、全体の体重が乗っかり、左腕が損傷。放たれた銃弾によって左足も傷を負った。
しかも着地に失敗したせいでイヤホンまで損傷してしまった。
「あー、やっちゃたなぁ」
呑気な声とは裏腹に内心ではかなりの焦燥感を抱える。
港からは遠く離れ沖に出てしまっている。
この状態で海を泳ぐのは現実的ではないし生還率だって高くないだろう。それでも損傷したのが左腕だったのが幸いだ。華蓮は右腕を握る。次の瞬間、目の前に穴が開き、華蓮はその穴に飛び込む。
華蓮は思い体を引きずり、操縦室に向かう。急に動きを変えたことから察するに、操縦室には必ず人がいるはずだ。華蓮はそう考えていたのだが、操縦室の光景を目にして唇を噛んだ。
操縦士と思わしき人物は三人、そしてその三人は既に自決している。
「戦時中の兵士かよ……」
敵に殺されるならいっそ……、と思ったのかもしれない。なんにしても操縦士に港へ戻らせるという華蓮の計画は水泡に帰した。この左腕では舵を取るのは難しい。オートパイロットのような機能はついていないのか、華蓮が機器に目を凝らすと、ふと、異常に減りが早いメーターが目に飛び込んできた。
華蓮は目を見開くと、弾かれるように操縦室を飛び出してある部屋に走った。左腕の痛みなど気にする余裕もない。ひたすらに走った華蓮は数秒でその部屋にたどり着いた。
「くっ……‼」
ドアを開けた途端立ち込める強烈な異臭。華蓮が駆け込んだのは機関室だ。
そして部屋にむせ返る臭いはガソリン。そしてそのタンクには三発程の銃痕が目立ち、近くには自分の頭を撃ちぬいて自決した男が倒れている。
そしてタンクに開いた穴からはガソリンが漏れ出している。
最悪なのは銃痕の位置だ。全く関係ない場所に三か所ならたいしたことはないが三か所は隣接しており、吹き出るガソリンの勢いで穴は広がり、三つの穴は一つの大穴になろうとしている。
「この船……‼」
奥歯を噛みしめる華蓮の目に入ってきたのはガソリンが垂れ流れる先にあるケーブルだ。
先ほどの揺れの時にどこかの配線から外れたらしいそのケーブルは当然のように端子がむき出しになっている。そんなところにガソリンが触れれば……。
華蓮が声を漏らしたその瞬間。
ボゥ‼ と激しい音がするのと同時に華蓮は急いで部屋から飛び出し、ドアを閉めた。
そして次の瞬間、機関室は炎が渦巻く死地に変わった。そして、その炎が機関室にあった他の燃料と混ざり合い、猛烈な爆音と共に部屋を吹き飛ばした。
それよりも一足先にデッキまで跳躍していた華蓮は爆発に巻き込まれることはなかったが、焦りをはらんだ顔で港の方角を見つめる。
この船が港に戻ることはない。いや、戻ってはいけない。この船はもはや爆弾だ。そんな爆弾をみんながいる場所に、零がいる場所に持っていくことはできない。
華蓮は最後の望みをかけて壊れかけのイヤホンに語り掛ける。全体共有モードではなく、個別通信モードで。
「零、聞こえる? 零?」
ジジジとノイズが走り、上手く通信できているか分からない。それでも華蓮は零が聞いていることを信じた。下の階からは爆発音が鳴り響き、じきに船は沈むだろう。たとえ爆発から身を守れたとしても爆発直後に発生する大渦に巻き込まれては助からない。
「ねえ、聞こえる零?」
華蓮は港の方へ目を向け、ゆっくりと語りかける。
っぅー、と頬を温かな水が伝った。一滴だったその雫は徐々に量を増し、床に流れていく。
――ああ、こんな……、こんな時に気付くなんて……。
華蓮は胸に溢れかえって膨張する思いを握り締めるように、胸を押さえる。
目を閉じれば浮かんでくるのは一人の少年。彼は今どうしてるだろうか、無線を聞いているだろうか、それとも悪戦苦闘しているところだろうか。
胸に溢れる思いは涙になって排出され、それにもかかわらずその思いは際限なく膨らみ続ける。
涙を流しているのに泣き顔ではなく、困ったような笑顔を浮かべる華蓮。
――馬鹿だなぁ、あたし。せめて最後に……。
無線の応答はない。完全に壊れてしまったのだろうか。それともまだ虫の息ながら生きていて、彼とあたしを繋いでいてくれているのだろうか。
――だったらいいな。
黒々とした業炎が辺りを包み、船は軋み、沈むための準備を整えつつある。
最後なら……、そう自分に言い聞かせ、加速する鼓動を押さえつける。
「ねえ、零……、あたしさ……零のこと――」




