瓦解②
4
「作戦結構まであと三時間か」
零は施設下の駐車場から外に出た。八時ということもあり、居酒屋の客寄せや既に酔っぱらっている人物も散見できた。
計画よりもかなり早い時間帯に佳奈と修哉を見張りに送ったのは密輸の時間が前倒しされることを懸念してだ。だが今のところ二人からは特に異常なしという報告が入っている。報告を受けた時、何となく佳奈のテンションがいつもより低い気がしたが流石に何時間も待機しているのは性に合わなかったのだろうか。
「あーゆう役回りはアラタとか朱音に回すべきだったかもな」
計画の粗を振り返りつつ、零は駅前から離れるように歩く。流石に一目で未成年と分かる零に近づく客寄せはおらず、特に躓くことなく大通りを抜けられた。
零の服装は闇に紛れるための上下真っ黒な快適ジャージ。千円均一で売っていそうなジャージだが國枝が考案したかなり高性能な一品であり、軽いながらも防弾チョッキ並みの防護性を秘めており、通気性も抜群だ。見張りに出ている修哉と佳奈は私服で出ているが、着替えとしてこのユニフォームを持っている。
「華蓮、どこにいる?」
『今神奈川駅降りたとこ、時間までには余裕で間に合うよ』
「りょーかい」
零は華蓮との通信を切断し、今度は朱音にかける。
「今どこー?」
「埠頭から二キロくらい離れた倉庫の屋根の上よ。一応双眼鏡使ってみてはいるけど動きはないわ」
「さすが……」
準備万端に整えている朱音に負けないように、零も意気込む。周囲を見回すがかなり駅から離れ、過疎地域まで歩いたおかげか、人っ子一人いない。
零はそのまま地を蹴って近くの屋根に降り立つと、そのまま目的の地である横浜方面に向かう。
数分も跳ぶと過疎地域から都市部に舞い戻る形になるが、それはそれで高層ビルの上を伝って跳べばいい。時間まであと二時間以上あり、何か異常があったという報告もない。
零は既に全階消灯している一〇階建てのビルの屋上に降り立つとそこで少し休憩する。周りのビル群の中には光を放っているものもあるが黒い服を着た子供を視認できるような人間はいない。いるとしたら夜目が利くコウモリのようなやつだろう。
零は軽くジャンプして塔屋に登り、適当にわたりを見回す。無機質に見える東京の――場所的にはほぼ神奈川だが――夜の景色は想像以上に鮮やかだった。一人で眺めるには惜しい。そう思った零は無意識に耳のワイヤレスイヤホンに手を伸ばしそうになり、すんでのところで手を止めた。
(今、何を――‼)
目撃者は誰もいない。それにもかかわらず、自分のしようとした行動に赤面し、口の中でもぐもぐと唸る。そんな時だった。
「君も死ぬの?」
そんな声が聞こえてきたのは。
――誰かに見られた‼
赤面していた顔は一瞬で冷え、じっと声の方を見る。
声の主は零と同じくらいの年の男の子。顔色は暗く、声にも覇気がない。電車に飛び込む前のやつれたサラリーマンのような印象を与える。君も死ぬの、と聞いてきたあたり、自殺志願者なのだろうか。確かに自殺志願者にありがちな雰囲気を纏ってはいるが、決定的に違う部分がある。零はその少年を一瞥すると吐き捨てるように言った。
「お前は死ねない。お前の目には生気が残ってる、そんな状態じゃ自殺なんかできない」
零が今まで見てきた人間の中には自分がいつ死んでも構わないという覚悟を決めた人間が何人もいた。そんな連中に共通しているのは目に生気がないということだ。未来への展望がなく、その時を刹那的に生きている。そんな人間はきっと地獄への入り口を前にしても平気でその門を通り抜けるのだろう。
だが、今零の前にいる少年は違う。酷く酷く、壊れかけてはいるが全損しているわけではない。修復可能なレベルなのだ。まだ自分の未来を、可能性を求めているのだ。
「そんなことはない‼」
少年は威勢よく反駁するが零はもう少年に構う気はなかった。
「じゃあ飛んでみろよ」
はっきりと威圧的にその少年の目に訴えかける。飛べるわけがないのだ。零の予想通り、少年は柵にもたれかかってうなだれてしまった。
はやくどっかに行ってくれないだろうか。零は内心で若干の焦りを感じていた。時間には余裕があるが少年がそこにいるだけで零の行動は大きく制限されてしまう。
ふと、零が片目に少年の姿を映したとき、何かが軋むような嫌な音が耳に響いた。そして、少年が背をかけていた金網が暗闇に消えた。
そして、それを追うように少年の体も闇に吸い込まれるように屋上から姿を消した。
――何をやってるんだ俺は。
零は自分の行動が理解できなかった。目の前で人が死んでいい気分はしない。だからといってどうして、どうして自分は少年を追うように闇に向かっているのか。
それは無意識的行動だった。気付けば零は落下している少年に追いつき、空中で彼を掴むと、そのまま壁に手をめりこませた。
壁はどんどん削れるが、摩擦によって落下スピードは減速する。地上まで後三メートル、今の摩擦力では落下速度をゼロにするのが不可能だと判断した零は手を壁から引き抜き、それと同じタイミングで壁を蹴る。いわゆる壁ジャンプのようにして空を飛ぶ。
掴んでいた彼を一瞬、空中に放り投げ、自分は先に地面に降り立つ、衝撃でアスファルトが少し削れた。そして、落下してくる彼に対し、少し、ジャンプして、衝撃を限りなく減らすように滑らすように自分の腕に収めた。周りに人がいなかったのは本当に幸いだ。
超絶絶叫アトラクションを終えた少年はそのタイミングでいつの間にか失っていた意識を取り戻し、目をぱちくりとしながら呆然としていた。死ねると息巻いていたくせにいざそうなるとこうなのだ。零は大きくため息をついて彼をおろし、ゆっくりと口を開いた。
「お前は何がしたいんだ」
「僕は……僕は――」
呆然としていた少年は一転、堰を切ったダムのようにひたすらに吐き出した。
「僕のせいで……、お母さんが死んで……、それは僕のせいで……」
「ち、ちょっと落ち着け!」
まるで未就学児のように滅茶苦茶に喚く彼を落ち着かせる。少しして落ち着いた彼は今度はゆっくりと明瞭に話し出した。
零としてはこのまま話さずにハイ解散の方がよかったのだがどうやらそうはいかないらしい。零は頭の片隅に常駐している密輸船任務に少しだけ蓋をした。
ゆっくりと話すせいでかなりの時間を取られたが、彼の話を要約すると、お母さんが自分の同級生である秋之宮恋という子に殺された。
そしてその秋之宮がそんな凶行に及んだのは自分のせいであると。
正直言って零がこの少年に言えることは何もない。いや、適切な言葉をかけるという意味であれば疑似カウンセラーのようなことはできるだろうがそんなことをしても意味はないだろう。結局のところ、この少年は自分で壁を乗り越えなくてはいけないのだ.
だからこそ零は目の前の少年に問うた。
「じゃあ、お前はどうしたいんだ?」
零には誰かを救えない。その資格は零にない。
「苦しみが分かるものにしか苦しんでいる人を救うことはできない」
ポツリとこぼれた言葉に自分で驚きながら零は取り繕うように続けた。
「それになきっとお前のお母さんだってお前が不幸になることは望んでねえよ。お前は今までの自分をすべて否定してるみたいだけど人間は恒温動物なんだぜ? 環境の変化に対応できる能力を持ってるんだ。いくらでも変われるしいくらでも成長できる。無限の可能性があるんだ。過去を悔やむのも人間の特権だけどな、その過去をどう生かすのか。お前のお母さんが残してくれたものを生かすも殺すもお前次第なんだ。自分でがむしゃらにやりたいことをやってみろ。失敗したら精一杯後悔してもう一度挑戦すればいい。人生はトライアンドエラーなんだからな」
何たる偽善、何たる愚劣。よくここまで虚言が浮かぶものだ。零は自分の悪魔的才能に呆れ、感心した。目の前の少年はどう感じただろうか。
零が少年の表情から思考を読み取ろうとした時、キィィィイン! という鋭い音が右耳を貫いた。音源は当然のごとくワイヤレスイヤホン、通信を開いた状態で高速移動でもしているのだろうか、なんて迷惑な、と零が顔をしかめた瞬間。
『動きがあったわ‼』
飛んできた無線に目を見開いた零は頭の中で蓋をしていた事項を緊急開封した。これ以上、目の前の少年に関わっている時間はない。多少の違和感は覚えられても仕方ないと判断し、零は右足のつま先でアスファルトを砕くように叩いた。それにより若干の砂ぼこりが舞ったのを確認した瞬間、零は思い切り、跳躍した。少年に軌道を見られないほど、早く。
それの影響で僅かな痛みを体に覚えたが、真下にいる少年は零の姿を見失ったらしく、キョロキョロ辺りを見回している。上を見られたら多少危険だが、零は既に高度五〇メートル程の場所にいる上、今は夜だ。そんなところにいる人間を視認することはできないだろう。
とはいってもこのままではまた数秒後に同じ場所に降りることになるので、零は自分が元居た一〇階ビルの場所を背中越しに捉えた。
場所は後方三メートルほどの場所。
零はそのビルに降り立つことを決め、右腕にオーラを集中させ脇の横に構える。
「ゼロ・ブラスト‼」
具体化と同時に右腕を突き出す。右腕に纏ったオーラが渦巻き、前方に螺旋状に放出され、それを推進力として零はグングンと後方に押し流される。件のビル上空に自分の体があることを目視した零は右腕を真下に向け、ジェットエンジンのようにして高度を一メートルほど上げた。そこでオーラの供給を断ち、体を重力に任せる。そして床に接触する寸前に具体化しないオーラを両手に宿し、鳥が羽ばたく時のようなしなやかな動作で両手を目の前でクロスさせ真下に向かって風を飛ばす。それにより多少の浮力を獲得した零は屋上を損壊させることなく無事に着地した。
「おい! 何が起こった!」
零は右耳に付けているイヤホンを個別通信モードから全体共有モードに切り替え、五人の誰でもいい、誰かから返答があるのを待った。




