瓦解①
1
軍事訓練、実務訓練、実践任務、それらのカリキュラムを淡々とこなしながら空いた時間で怠惰を貪る。
一年以上繰り返され、すっかり慣れてしまった日常だ。
最近は訓練は殆どなく、國枝が与えた目的を遂行するため、計画を立案し実行する。その計画立案すらWIZARDに任されていた。
当人であるWIZARD達は計画の策定をアラタに一任したことで、徐々に役割分担が明確化してきた。
後方での計画立案をアラタ、前方で標的及びそれに付随する障害の排除を修哉と佳奈。中盤での戦況の見極め及び状況の修正を零と朱音、そして場合により中盤の補佐を行い、前線の火力不足の際には前線で猛火を吹くリベロ的存在が華蓮。
修哉と佳奈は細かい作戦を考えるのは性に合わないし不得手だ。逆に敵の思考パターンを読むことに長けているアラタは緻密な作戦を考えるのが向いている。ただ絶対の作戦などはなく、場合によって必ず修正が必要になる。そういった場合に必要なのが臨機応変に対応することができる零と朱音の存在だ。そしてどこにでも配置できるオールラウンダーの華蓮。
これほどまでに適材適所という言葉が似合う組織もないだろう。
自衛隊が保有する不透明な組織、特殊作戦群、その組織よりも一ランク上の機密レベルを誇るWIZARD、日本という狭い島国の中で権力を振るう猛者達、彼らにとってWIZARDは恐怖すべき対象であり、外敵から身を護る最大の盾でもあった。
そしてそんなWIZARDの担当管理者である國枝は自身の派閥の勢力を順調に高め、國枝に異見することができる力を持つ人間は限られるようになった。
防衛省特別局局長という表にはない肩書を手にした國枝は衆議院議員選挙において当選を果たし、正式に防衛大臣の地位に就任した。
2
「なあ、次の任務のことだけどさ、俺に作戦立てさせてくれねえか?」
WIZARDに与えられたのは三日後に横浜埠頭に帰航する密輸船のメンバーを押さえることだった。その密輸に関わっている人物が警察の上層部なので警察は一切の干渉を起こさない。しかしそれを押さえ、逮捕せざる負えない状況に追い込み、この件を公にすることができれば警察という斜陽している公権力の地位はさらに低下する。
それがひいては國枝の目的の一つである警察を防衛省の傘下に収めるという計画を推し進める一手になる。
WIZARDとしては裏でどんな思惑が動いていようと特に気に掛けることはない。自分たちは与えられたミッションをこなして暖かいベッドで寝て美味しい食事を得、好きなように遊べばいいのだから。
だからこそアラタは零の申し出に目をしばたかせた。
「計画を立てるなんてめんどくさいものは一任するに限る、と言っていたのは零だったと思うんですが?」
「まあそれはそうなんだけど……」
曖昧に口ごもる零にアラタは一瞬意味深な顔を向けた後、
「まあいいんじゃないですか? 結果的に僕は楽できるわけですし」
アラタが受領したことで次の任務の計画立案役は零に移る。だからといってアラタが零の担当する中盤での役回りを引き受けるわけではない。後方の役割をいくつか変えても戦況に支障はないが、前線の配置を変えれば致命的なミスが生じる可能性がある。
結果的に零の仕事が増えてしまうわけだが、
「それ大丈夫なの?」
案の定、その話をした際に零のオーバワークについて不安視する声が出た。
「ダイジョブだよ。今回は難易度的にも大したことないし、俺だって参謀役くらいできるさ」
「そりゃ……、できるかもしれないけどさ……」
華蓮は引き下がらず『そんなに零が負担する必要はない』という風に眉を寄せている。
「結構は三日後、時間には余裕があるんだしいつも通り軽くいこう」
華蓮は納得がいかない様子を見せるが零が締めてしまったのでそれ以上口出しはせず、その日を迎えた。
WIZARDにとってすべてが変わる、始まりであり終わりであるその日を。
3
「それにしても港湾に到着するのが一一時半で、出航が〇時ってさぁ……もっと早くしてくれないかな。眠くなっちゃうよー」
『一応密輸なんて名前がつけられてるくらいなんだから普通の船と一緒にやってきたりはしないでしょ』
「そりゃそうかもしれないけどさー」
佳奈は退屈そうに頬杖をついて窓の外を眺める。佳奈がいるのは埠頭が見えるカフェだ。窓際の席で外を眺めながら耳に付けているピンク色のワイヤレスイヤホンを人差し指で押さえる。
「せめて修哉と一緒にさー」
『同じ場所に二人がいたって効率悪いでしょうが、我慢しなさい』
朱音の無慈悲なお言葉に佳奈は肩を落とす。
佳奈の出番は船が港に着いてからだ。佳奈は斜め上に掛けられている時計に向けて大きくため息をつく。時計の短針は六を指しており、長針は丁度短針と重なっている。作戦結構までまだ五時間以上もあるのだ、退屈死しそうになる。
しかもこのカフェは八時までそこを過ぎたら出なくてはならないし、そうなってはいよいよ暇死まっしぐらだ。
佳奈は通信が切れたイヤホンから指を放し、無心で外を眺める。近くで市場が開かれているために通行量は多い。ふと、外を歩いていた男と目が合う。合うというよりは佳奈の視線の先に男が無理やり割り込んで合わせた形だ。
男はにやけ顔を浮かべるとカフェのドアを押し、入店してくる。カランカランという音と、店員さんのいらっしゃいませーが重なる。案内に向かおうとした店員さんを手で制止した二〇代前半の男はずかずかと佳奈の席に近づいてくる。
「ねえ君、一人かい? もしよかったら――」
またか、佳奈は内心で盛大にため息をついた。カフェに入ってから二時間経過した現在、わざわざ来店して佳奈に声をかけた男はこれで五人目だ。最初の方は遠目から心配そうに見ていた店員さんも慣れたのか、ちらりと視線を向けるだけで過干渉はしないつもりのようだ。
「すみません。彼氏と待ち合わせしてるんです」
「そ、そうか……」
男はだよなぁと呟いて肩を落として店を出ていく。五人中四人はこれで成敗できた。イレギュラーとして一人だけやたらと粘着してきた奴がいたが警察を呼ぶといったら去っていった。
日本人はロリコンが多いのか、と辟易していると、
「大人気ですね」
遠目で気に掛けていた女性の店員さんがコーヒーを片手に声をかけてきた。
「これはサービスです」
高校生くらいのそのバイト店員は慣れた手つきでコーヒーをテーブルに置いて一礼する。
「そ、そんな、受け取れませんよ……」
店側からすれば佳奈に迷惑をかけていると思っているのかもしれないが、佳奈からすれば自分がいるせいで店に迷惑をかけてしまっているのだ。
「いえ、一度入れてしまったものを返されても困るので貰っちゃってください」
笑顔を浮かべて丁寧に接客をするその女性は佳奈の数歳年上とは思えない。
「でも……」
いつもならはい頂きますといって遠慮なくもらうが、これはどうにもやりにくい。
「何か待っているんですか?」
「え? ま、まあ……」
急に話題を変えられ、面食らった佳奈は曖昧に頷いた。
「私はもう上がりの時間なんですが、少し一緒してもいいですか?」
「へ? あ、ああどうぞ……?」
佳奈がそう言うとその店員さんは微笑んでから一礼し、奥に戻ってきた、そして五分もしないうちにどこかの高校の制服らしきものを着て戻ってきた。
「すみません。無理を言ってしまって」
「あ、いえ、そんなことはないですよ」
この柔和な表情からは想像できないほどアクティブな女子高生に押されるが、佳奈としても時間を潰したいのは山々なので拒む理由はない。なにより二人で話していればナンパ男も減るだろう。
彼女は中央大二高校に通う二年生の倉内静香、お金に困っているわけではないが社会経験としてバイトをしているらしい。
「佳奈ちゃんはどこの中学なの?」
互いに自己紹介を済ませ、お互いの呼び名を決めて、フランクに話そうということになった矢先、世間話の一環として飛んできた質問に対して佳奈は言葉に詰まってしまった。
中学校、自分の年ならば行っていて当然の場所。だが自分は行っていない。
「えっと……、行ってない……」
佳奈は自分の言葉に自信を持てずに縮こまった声をだした。
「えっ」
静香は一瞬驚きの声を漏らすが、すぐに手元の水を口に含み、別の話題を振った。
「そういえばもう二時間くらいここにいるけど何を待ってるの? もしかしてホントに彼氏ぃー?」
「いや……そうじゃなくて……」
これから行われる密輸現場を押さえて、連中を摑まえる。
たったそれだけのことが口に出せない。
(どうして? 悪い奴らを摑まえるのはいいことじゃん! なのに……)
何か、佳奈の思考を妨げているものがなにかある。頭の中で特定の考えに到達せないようなそんな何かが。佳奈は変な違和感に襲われながら、唇を震わせた。
「ねえ……、悪い人ってどんな人なのかな?」
「悪い人? 随分と漠然としてるけど……」
「じゃあ――」
なにか、それ以上は踏み込んではいけないような心理的な壁を感じ、頭に僅かな痛みが走る。
「人を殺す人っていうのは悪い人なのかな?」
人を殺す。殺人。それについて深く考えたこともなかった。いや考える必要もなかった。
「……そうね、人を殺す人は悪い人だと思うわ」
当然の返答。分かり切っていたはずの答え。本来なら誰しもが頷くだろう。だが、空調の聞いているこのカフェで佳奈の額には僅かな汗雫が流れていた。




