芽生える感情⑤
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「ぅ……ぅぅうん? ここ……」
自室のベッドで目を覚ました華蓮はいつも通りのはずのその空間になんとも言えぬ違和感を覚えた。
普段見ている天井に普段使用している布団、そして起き抜けに聞くことはない声。
「起きた? 熱はないから過労だな。最近寝てなかったのか?」
声の主は銀色の盛り皿を持っている。その皿にはミカンやパイン、グレープフルーツ、メロンなどの種種雑多な果物が乗せられている。
「ど、どうして」
「ん? ああ、食堂で事情を話したら用意してくれたんだよ。『今日の所は目を瞑りますが明日からはキチンとご飯を食べるんですよ? キチンと食べてキチンと寝る。それが健康の基本です』っていう小言付きでな」
「え、あ……」
零としてはかなり上手く真似たのではないかと自負していたのだが華蓮の反応は芳しくない。
「いや、そうじゃなくて……」
「ん?」
「どうしてこの部屋にいるの?」
「…………は?」
「え? だってここあたしの部屋であたし寝てて、え? え? 夜這い⁉」
「落ち着け、ちょっと落ち着け! さてはお前相当混乱してるな⁉」
少しだけ警戒心を示すように布団を引っ張り上げる華蓮の態度に少しばかり傷つくがあんまり気にしても仕方ないと割り切る。
「お前、あの訓練室で倒れたんだよ。覚えてないか?」
「訓練室……? あっ! そうだあの時、桐谷が――、そっか、夜這いじゃなかったんだ。よかった」
華蓮は安堵の溜息を漏らして固く握りしめていた布団から手を放す。
「思い出したか。そりゃよかった」
零はそう言って足元にあったキャスター付きの小さな折りたたみ机を軽く足で押し出し、ベッドの隣に付け、その上に持っていたフルーツ盛り合わせを置く。
「これ食べて寝るんだな。あ、風呂には入った方がいいか」
零は早々に部屋を出ていこうとするが、
「ねえ! 聞かないの?」
華蓮に呼び止められる。
この状況で、『何を聞くんだ?』というのは無しだろう。
「話してくれるのか?」
そして『話したいのか?』という性根の悪い返しもなしだ。
華蓮はこくりと頷いてちょいちょいとベッドのそばに零を手招く。
零はベッドを背もたれにするように床に座りこんだ。そして華蓮は横にしていた体を起き上がらせ、床に足をおろす。腰はベッドに置いたまま華蓮は机の上に置かれた皿に手を伸ばす。楊枝を使って果物を口に運び、咀嚼する。
その動作を何度か繰り返し、皿が空になると華蓮は机を軽く押した。
机はカラカラと音を立てて一メートル程先で停止した。
「あのさ――」
そして意を決したように、華蓮がゆっくりと話し出した。
「零はこの状況についてどう思う?」
「日々の怪しいカリキュラムがめんどくさいってこと以外は特にないな。言えば何でも出てくる。食事は――あのおばちゃんが付くようになってから自由は減ったけどそれでもおいしいし不便はない。気持ちが悪いくらいに快適だ」
それは零の偽らざる本心だった。
「あのカリキュラムが何のためにあるのかは分かってるでしょ?」
「まあな、最初はあんな対人戦闘が何の役に立つんだと思ってたけどオーラの具体化と結び付ければ即解だったよ」
華蓮はそこで押し黙ってしまう。何かを考えているのか、それとも言葉に困窮しているのか。
「怖いのか?」
「ううん」
意外なことに零の問いには即答してきた。
「俺たちを高待遇でもてなしてるのは俺たちの力を恐れてるからだ。みんなも普通になったし協力すれば今すぐにでもここから出ることはできると思う」
「うん。あたしも同意見。ただもしもこの外が宇宙空間だったりしたら脱出した瞬間に死んじゃうけどね」
「確かに。そう考えるとオーラも案外万能じゃないのかもな」
いつもの柔らかい雰囲気が空間に漂い始める。しかしそれも一瞬のこと、華蓮の震えた声はその空間を暗く沈めた。
「――もしも……、ここから逃亡するとして、その指揮は誰がとるの?」
「え?」
零は答えを提示できなかった。
脱獄するにしても作戦は必要だ。そして集団で動いて任務を全うする際にはリーダーが必要だ。
零はそれを考えたことはなかった。いつかこの場所を出るんだ。そう思ってはいたがそれに対する具体的な案を模索したことはない。
そしてこの時に改めて気づかされた。
もうすぐなのだと。
「城風はリーダーになりたいの?」
分かっている。城風はそんなタイプの人間ではない。それは零にも分かっていたがこれ以上は何を言えばいいのか分からなかった。
「ううん。リーダーは誰になってもいい。一番冷静に、理性的に考えられる人がなればいいと思う」
この答えは分かっていた。だからこそ、零が聞きたいのはこの先だ。零は華蓮が次の言葉を紡ぐのをじっと待つ。
「――でも……、あたしは驕っていたんだと思う。この異常な状況に最初に気付いた者として無意識にみんなより上の立場に自分を置いてた! 偉そうにこの場からの脱走なんかを言い出して優越感に浸ってたのかもしれない‼ 最悪だ‼ 最低だ‼ ……それなのに、今はあたしが一番の足手まとい……、無様だよ……、惨めだよ……」
なんと言えばいいのだろう。卓越した君子だったらこの場に最適な言葉を紡ぎだせるのだろうか。
だが零にはそんなことはできない。
華蓮の言い分は分かる。
足手まといというのはオーラの具体化のことだろう。置いてかれないように人知れず特訓場で具体化の練習をしていたのだ。そう考えればあの場所にいたことも過労で倒れたことにも合点がいく。
何を言えば興奮状態の華蓮を宥められるのか、それは分からないが華蓮の言い分に決定的な矛盾があることくらいは分かった。
「誰だってそうだよ。人が分からないことが分かれば得意げになるし有頂天になることもある。周りの人間を見下すこともあるかもしれない。でも華蓮は違うだろ。最初に俺の所に来たのは優越感に浸りたかったからじゃない。不安を折半したかったからだろ? そんなに自分を卑下するなよ。それに人には好き嫌いや得意不得意があるのが当たり前だろ。今みんながオーラの具体化をできるようになったのは華蓮がいたからなんだ。そんなお前が少し躓いてるくらいで足手まといになるわけないだろ」
目を見て、はっきりと告げる。今の零にできるのはこのくらいしかない。
「でも……だって……」
「一人で抱え込むなよ。俺だってお前に助けられてるんだ。お前がいなきゃ今の俺だっていない。だから少しは頼れよ。力になれるかは分からないけど、それでも可能な限りなんとかするからさ」
「――うん、うん……」
駄々をこね終わった華蓮は疲れたのか、ゆっくりとした動作で横たわり、頭まで布団をかぶった。
この状況でどうすればいいのか、部屋を出ていくという選択肢はノーだろう。
零が戸惑っていると、布団の中から声がした。
「さっき……、華蓮って言ったでしょ」
「へ? いや、そんなことは……」
勢いで言っていただけに自信が持てないがもし言っていたんだとしたら相当に恥ずかしい。
(それって無意識のうちに城風のことを華蓮って呼びたかったことだよな……⁉)
顔を真っ赤にして思わず身悶えそうになる。
――恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
零の中を羞恥心が駆け回る。
「――華蓮でいいよ。その代わりあたしも零って呼ぶからね!」
布団の中から聞こえてきた声に零は動きを止める。
(……取り敢えず水に流されたということでいいのか?)
零は安堵するがそれと同時に別の要因で顔が朱色に染まる。
(名前呼び⁉ ってことは華蓮って呼ぶのか⁉)
嬉しさと恥ずかしさがせめぎ合うような感覚に襲われた零は先ほど以上に身を熱くする。
「風呂は明日朝入るから。今日は寝る」
「そ、そうか、じゃあ俺はこれで――」
「ま、待って!」
立ち上がろうとした零を制止したのは布団中から聞こえた裏声った声。
「……その……」
はっきりとしない声に疑問を浮かべていると、布団の中から華蓮の右腕が出てきた。
「えっと……、寝るまででいいから……、握っててほしい……」
差し出された右手、突然の通告。零の脳はキャパシティーを超えてオーバーヒートした。
「え? ええと、それはわわわ?」
「や、やっぱり迷惑だよね! ごめん」
華蓮はそう言って素早く右手を布団の中に戻そうとするが、それよりも早く零の手が華蓮の手を掴んだ。
「ええっと! あれだ! やっぱり体調悪い時は人の温もりが恋しいって言うしな。うんそうだよ。迷惑なんかじゃないしね。全然。うん」
有無を言わせぬようにして捲し立てた零はその手を放さず、再びベッドに背を預けた。
「そ、そう? ……、じゃ、じゃあ、寝るまででいいからね? 寝顔は見ないでね⁉」
寝顔を見ずにどうやって確認すればいいのか、そもそも寝顔なら既に見ているのだが今の零にまともな思考能力は残っていない。
「あ、ああ、そうだな。寝るまでだな」
動揺した零は思わず握る手に少しだけ力を入れてしまう。
それと同時に華蓮の腕がピクッと震えた。
「あ、ご、ごめん」
「い、いや大丈夫」
気まずいような、心地の良いような、なんとも言えない感覚に二人は包まれる。
((やばい! あったかい‼))
この時、意図せずして二人の心はシンクロした。
たとえ、吊り橋効果でも構わない。この思いは本物だ。
――きっとこの手は離さない。




