第7話:電子マネー・経済の神様と、無欲の鑑定士
「ふぅ……。戦争ゲーム、SNSの炎上、AI、Vtuberか。おいエル、そろそろ俺のご褒美の『都会のラーメン食べ歩き転生』の順番は来ないのか?」
俺――岩田めぐるは、天国を巡る激務にいい加減骨が折れ、ポリポリと頭を掻きながら文句を言った。
「め、めぐるさん! ラーメンなら私が天国特製の『徳積み冷やし中華』を作ってあげますから、今は走ってください! 大変なんです、天国の『中央銀行・経済エリア』の金庫が、データエラーで大爆発寸前なんです!」
エルの叫び声とともに、天国の地面がぐらりと揺れた。遠くに見える、ギリシャの神殿と近代的なウォール街を融合させたような経済エリアの空から、黄金の光の数字が土砂降りのように降り注いでいる。
エルが差し出してきた端末には、現世の最新の電子決済、ポイント還元、暗号資産のデータが目まぐるしく流れていた。
「これです! 現世では今や、お財布からお金を出さずにスマホやカードでピッと決済する『電子マネー』が主流になりました! 天国の古いシステムは、この形のない新しい富に対応するために『電子決済・仮想経済の神』のポストを作ったんです。……ですが、選別が完全にバグって、天国の経済バランスが崩壊しかけてるんです!」
「スペシャリストなら、現世で何兆円も動かしていた『ウォール街の天才投資家』だの『世界的メガバンクの頭取』だの、いくらでもいるだろ」
「それが、全員エラーで弾かれちゃうんです! 生前の大富豪や投資家たちを神様の椅子に座らせた瞬間、彼らの『もっと金を増やしたい、市場を支配したい』という生前の強烈な欲望のデータが天国のシステムと同期しちゃって、お金の価値が無限にバグって増殖し始めたんです! もう天国の金庫がパンクしちゃいます!」
「あはは、そりゃそうだ」
俺は歩くスピードを上げ、名探偵のロジックを起動させた。
天国のクソ真面目な古いルールは『その道の最高峰』を神にしようとする。だが、現世の電子マネーの本質は何か? お札や硬貨という実物がない、ただのデジタル上の数字、つまり『信用』だ。現金と違って、ボタン一つで一瞬にして何億もの数字が動き、人間の欲望を際限なく肥大化させる。
「エル、またしても人選の間違いだ。大富豪や投資家は『お金を増やすプロ』であって、お金の誘惑から完全に解脱しているプロじゃない。
形のない電子マネーの神に必要なのは、お金を稼ぐ技術じゃないんだ。実体のないただの数字に振り回される現世の人間たちを冷徹に見下ろし、お金の価値を常に『ただの記号』として一ミリの私欲もなく平等にコントロールできる、徹底的に金銭欲がゼロの、価値の鑑定スペシャリストだ」
お金に最も詳しく、しかしお金に最も興味がない魂。そんな矛盾をクリアした最高の適任者を、俺の探偵脳はすでに意外な場所から導き出していた。
「大富豪のオーディション会場じゃない。エル、天国の『文化財・埋蔵資源エリア』の……一番端にある、古びた物置小屋へ行くぞ」
「は、はいぃぃっ!」
辿り着いたのは、天国の賑やかな中心地から遠く離れた、静かな森の中の小屋だった。
中に入ると、埃一つない机の上で、現世の様々な時代の硬貨や、見たこともない海外の古い紙幣を、ピンセットで一枚一枚丁寧に磨いている、作務衣を着た物静かな老人の魂がいた。
彼の魂の履歴書には、生前、国宝級の古銭や世界のレア通貨を何万点も鑑定し、その総額は数百億円にのぼりながらも、自身は家賃三万円の四畳半アパートで生涯を終えた『伝説の貨幣・古美術鑑定士』と書かれていた。
「失礼。元鑑定士の先生、お仕事中すいません」
「おや……。天国のお巡りさんと、お若い天使様。こんな何も無い場所へ、何か鑑定の依頼ですか?」
老鑑定士はピンセットを置き、濁りのない、鏡のように綺麗な瞳で俺たちを見た。
「ええ、天国のシステムが『お金の価値』を見失っちまいましてね。あんたのその、無欲な目が必要なんです」
俺は彼のノートを指差した。そこには、数億円の価値がある古銭のスケッチの横に、ただ一言、こう書かれていた。――『ただの、丸い銅の板』。
「先生、あんたは生前、何百億という富をその手で触り、鑑定してきた。その気になれば、いくらでも中抜きして大富豪になれたはずだ。だが、あんたにとって、お金は欲望の対象じゃなかった。ただの歴史の記録であり、美的な数字や記号でしかなかった。だからこそ、自分のためにお金を一円も増やさず、ただその価値を正しく見極めることだけに生涯を捧げた。
実体のない電子マネーというただの数字の羅列を、私欲を挟まずに完璧に管理できるスペシャリストは、天国を探しても大富豪たちじゃない。お金の魔力を完全に無効化できる、無欲のあんただけだ」
「な、なんですってぇぇ!?」
エルがいつものように物置の木箱につまずきながら叫ぶ。
老鑑定士は、一瞬だけ優しく微笑むと、静かに首を振った。
「……恐れ入りましたよ、名探偵。私にとって、お金とは人間が勝手に決めた幻のようなものでしてね。現世の電子マネーとやらも、いよいよお札という器すら捨てて、純粋な数字の幻になっただけの話。いくら数字が増えようが減ろうが、私の心は一ミリも動きませんよ」
「だからこそ、あんたが適任だ」
俺は五つ目の選別バッジ――『電子決済・仮想経済の神』のバッジを机に置いた。
「天国のシステムが、あんたのその無欲の鑑定眼を求めています。大富豪たちが狂わせた天国の金庫のバランスを、ただの記号として元に戻してやってください。……先生、天国の新しい経済、鑑定してみませんか?」
老鑑定士は静かにバッジを手に取ると、それを愛おしそうに眺めた。
「金銭欲のない私が、天国のすべての富を司る神になる……。なんとも奇妙な配役ですが、ただの数字の整理整頓だと思えば、老後の手慰みには丁度いいかもしれませんな。引き受けましょう」
その瞬間、バッジから数式の書かれた数千億の光のラインが走り、天国の空から降っていた黄金の数字の嵐が、ピタリと止んだ。経済エリアのメイン金庫に表示されていたエラーの文字が、一瞬にして正常へと書き換わっていく。
お金の魔力に溺れない『無欲の経済神』が誕生したことで、天国を揺るがした最大級のバグが、完全に大解決したのだ。
「めぐるさん! やりました! 天国の経済崩壊が止まりました! 五つ目の大解決です!」
エルが涙をボロボロ流しながら、俺の腕の中で大はしゃぎする。
「やれやれ。お金なんてのは、島じゃ物々交換の代わりみたいなもんだったからな。都会の数字のゲームは疲れるよ」
俺がポリポリと頭を掻きながら物置小屋を出ると、天国の経済エリアの空には、バグが直った証として、穏やかで美しい黄金色の夕焼けが広がっていくのだった。




