第13話:【ショート動画の闇】を江戸落語の『間』でハッキングせよ
天国の『古典芸能・伝統文化エリア』は、さっきまで俺がいたモダンな最上層や、喧騒の激しいゲームエリアとは打って変わり、静謐な空気が流れる場所だった。
玉砂利が敷き詰められた美しい日本庭園、格式高い能楽堂や寄席の建物が並び、どこからか三味線の音が心地よく響いてくる。
「め、めぐる先輩……本当にこんなお堅いエリアに、現世の最新トレンドである『ショート動画』のバグを直せる神様候補がいるんですか?」
エルが着物の袖に引っかからないように羽をすぼめながら、小声で尋ねてくる。
「いいかエル。現代の人間は、自分たちが新しい文化を生み出したと錯覚しがちだが、人間の脳の構造なんて数百年、数千年前から大して変わっちゃいないんだよ」
俺は、エリアの奥にひっそりと佇む、歴史を感じさせる寄席の楽屋の扉の前に立ち止まった。
魂の履歴書をめくれば、そこに書かれていたのは、生前に演芸界の頂点に君臨し、数々の弟子を育て上げた『伝説の江戸落語の黄金期を支えた大名人(落語家)』の魂だった。
「失礼。師匠、お仕事中すいません」
ガラリと戸を開けると、そこには座布団の上に胡坐をかき、扇子を愛おしそうに眺めている着物姿の老人の魂がいた。
「おや、天国の最高顧問さんと、お若い天使様かね。こんな年寄りの楽屋に、粋じゃない御用でもあるのかい?」
師匠は、べらんめえ調の、しかしどこか聞き惚れてしまうような心地よい通る声で応じた。
「ええ、粋じゃない天国のシステムが、現世の『ショート動画』っていう、ほんの数十秒の芸の暴走に頭を抱えてましてね。師匠の、人間の『飽き』を支配するプロの技が必要なんです」
俺がそう言うと、師匠は細い目をさらに細めて、フッと煙のない煙管をくゆらせた。
「め、めぐる先輩! ショート動画って、画面を激しく動かしたりダンスしたりする若者の文化ですよ!? 落語の師匠とは真逆の世界じゃ……」
「お前は本当に、見ているだけで観察していないな、エル」
俺は師匠の前に腰を下ろし、彼の前に置かれた天国製の小さなモニターを指差した。そこには、現世のショート動画の「視聴維持率グラフ」――動画が始まって最初の『3秒』で、どれだけの人間が画面をスワイプして離脱したかを示すシビアな数字が映し出されていた。
「先生、あんたは天国に来てからも、現世のこの数字を見ていただろ。
今の現世のショート動画は、最初の3秒で人の心を掴まないと即座に捨てられる。だから若者たちは、過激な演出や大声を張り上げて必死にバズを狙うが、そのせいで現世の人間はすぐにその刺激に麻痺して『飽きる』。流行の消費スピードが速すぎて、天国のサーバーがパンクした。
だがな、師匠。最初の3秒、いや『コンマ数秒』で、客が自分を見るか、あるいは他のものに目を移すか――その、人間の『飽き』の心理と命懸けで戦い続けてきた本物の元祖は、あんたたち寄席の芸人だ」
俺の言葉に、師匠の扇子を持つ手がピタリと止まった。
「あんたは高座に上がって座布団に座るまでの、ほんの数秒の『歩き方』『羽織の脱ぎ方』だけで、何百人もの目の肥えた客の視線を完全に釘付けにした。演目が始まれば、無駄な言葉を極限まで削ぎ落とした『引き算の美学』で、客の脳内に一瞬で江戸の景色を思い浮かべさせ、数十分の間、一秒たりとも退屈させずに手のひらで転がした。
バズを狙って足し算しかできない若者クリエイターじゃ、このバグは直せない。極限まで短い時間で人の心を掴み、なおかつそれを『飽きさせないようにブレーキをかける(持続させる)』ことができる真のスペシャリストは、伝統芸能の極致にいた、あんただけだ、師匠」
「な、なんですってぇぇ!?」
エルがいつものように楽屋の屏風を派手に倒しながら絶叫した。
師匠はしばらくの間、俺をじっと睨みつけていたが……やがて、ポン、と扇子で自分の膝を叩き、豪快に笑い出した。
「ハッハッハ! 恐れ入ったね、名探偵! まさか現代の、あのせわしない板切れ(スマホ)の中の芸と、あっしの落語の『間』を同じ天秤にかける男がいるとはねぇ!」
師匠の瞳の奥に、芸の深淵を極めた者だけの、圧倒的なプロの鋭さが宿った。
「その通りだよ、お巡りさん。今の現世の動画ってやつは、喋りすぎだ。客に想像させる『間』がないから、すぐに飽きられちまう。芸ってのはね、短ければ短いほど、余白が大事なんだよ」
俺は懐から、第2部最初の神様バッジ――『短尺動画・倍速視聴の神』のバッジを畳の上に滑らせた。
「天国の新しいルールが、あんたのその『間を支配する力』を欲しがっています。現世のせわしない若者たちに、本物の『刹那の芸』のコントロールってやつを教えてやってくれませんか」
師匠はニヤリと笑い、バッジを懐へすっと仕舞い込んだ。
「おもしろい。現世の何億人ものスマホの『スクロール』を、あっしの小噺一つでピタリと止めてみせようじゃないか。高座(神様の座)に上がらせてもらうよ」
その瞬間、バッジが深い朱色の光を放ち、古典芸能エリアから天国全体のネットワークへと波紋のように広がっていった。
さっきまで天国のサーバーを激しく狂わせていた、ショート動画の異常なトレンド消費速度が、まるで魔法にかかったかのように、心地よい『適切なテンポ』へと減速し、正常値へと落ち着いていく。
人間の『飽き』をコントロールする伝統の神が配置されたことで、第2部最初の超巨大バグが、完璧に大解決したのだ。
「めぐる先輩! 流行管理サーバーの熱暴走が止ました! グラフがめちゃくちゃ綺麗な波形になってます! 凄いです!」
エルが倒れた屏風の陰から飛び出してきて大喜びする。
「やれやれ。最新のテクノロジーだろうが、動かしているのは人間の心だからな。古典のロジックが一番効くのさ。……さあエル、冷める前に店に戻ってつけ麺の続きを食うぞ」
「はいっ! 私もついていきます!」
俺がポリポリと頭を掻きながら伝統エリアを後にすると、天国の空には、バグが直った証として、どこか風情のある美しい茜色の夕焼けが広がっていくのだった。




