第82話 王都の火力と踏み込み役は、霧の奥へ行く
翌朝、第1層の空気はまだ白い小箱の話を引きずっていた。
琥珀の雫は劣化しなかった。
紅肌の雫は、一晩入れても残日数が減っていなかった。
まだ確定ではない。
何日で数字が変わるかも分からない。
それでも、小箱の価値が酒だけで終わらないことは、もう全員が分かっている。
食料。
薬品。
期限付きの雫。
遠征物資。
運搬。
保存。
小箱一つで、話がどんどん大きくなる。
だからこそ、ライラは当然のような顔で言った。
「第6層へ行くわ」
イリオさんは、すぐには驚かなかった。
昨日から予想していた顔だった。
「白い小箱を取りに、ですね」
「そうよ。あれ、あたしも欲しいもの」
ライラは白い小箱を見る。
そこには欲があった。
紅琥珀の雫を見た時の、酒への欲とは少し違う。
便利なものを、自分の手で取りに行きたい。
そういう冒険者の顔だった。
イリオさんは紙を一枚閉じる。
「王都側の護衛対象は、まだ到着していません。ライラ殿の行動は、現時点では基本的に自由です」
ライラが少しだけ口元を上げた。
「話が早いわね」
「ただし、確認します」
「言って」
「護衛対象を第6層へ連れていく想定はありません。護衛として必要なのは、現時点では第5層までです」
イリオさんの声は硬い。
だが、縛ろうとしている硬さではない。
線を間違えないための硬さだった。
「第6層の小箱は、護衛対象を守りながら取るものではありません。冒険者が自分の判断で踏破し、得る報酬です」
ロザックさんが頷いた。
「その通りだな。第6層は護衛仕事じゃない。取りに行くなら冒険者としてだ」
「なら、話は簡単ね」
ライラは肩を回した。
「あたしは冒険者として行くわ」
イリオさんは一歩だけ前へ出る。
「条件は一つです」
「何?」
「必ず戻ってきてください」
場が少し静かになった。
金額でもない。
同行者でもない。
報告書でもない。
ただ、戻ること。
ライラは茶化さなかった。
「戻るわ」
短く答えた。
「小箱を持ってね」
テラリアが横で身を乗り出す。
「わたしも行くわ!」
ライラは即座に頷いた。
「連れて行くつもりよ」
イリオさんが少しだけ眉を動かした。
「理由を伺っても?」
「第6層は霧でしょ。見えない場所に、あたし一人で大火力を撃ち込むわけにはいかないわ」
ライラは琥珀水紋門の奥を見る。
「火で全部吹き飛ばせるなら楽よ。でも、霧の中でそれをやると、敵も道も報酬もまとめて見失うかもしれない。第6層は、燃やせば勝ちって階層じゃない」
テラリアは少しだけ真面目な顔になった。
ライラは続ける。
「だから、前に出られる相手がいる。あたしが見つける。道を切る。敵の動きを止める。その一瞬に踏み込める人間が必要なの」
「それがテラリア様だと?」
「そうよ」
ライラは迷わず頷いた。
「この子は前へ出られる。怖がって足を止めすぎない。こっちの短い指示を聞ける。第4層で、待ってから走ることも覚えた」
テラリアの顔がぱっと明るくなる。
「覚えたわ!」
「そこで喜ぶのはまだ早い」
「はい!」
「でも、そこがいいのよ」
ライラは小さく笑った。
「あたしが霧に穴を開ける。敵の足を止める。道を作る。テラリアがそこへ入る。この子の役目は、敵を全部倒すことじゃない。あたしの魔法が届く形に、戦場を押し戻すことよ」
ロザックさんが低く言った。
「前衛として使うわけか」
「前衛っていうより、踏み込み役ね」
ライラはテラリアを見る。
「見えたから走るんじゃない。あたしが線を引いたら走る。止まれと言ったら止まる。戻れと言ったら戻る。それができるなら連れて行く」
テラリアはまっすぐ頷いた。
「できるわ」
「なら来なさい」
ライラは笑った。
「第6層は、火力だけで越える場所じゃない。だから、あたし一人で行くより、この子と行く方がいい」
カイルが少しだけ手を上げかけた。
ライラが先に見た。
「今回は連れて行かないわよ」
「まだ何も言ってない!」
「顔に書いてあるのよ」
「俺も第6層は経験してるけど」
「だからこそ、今回は待つ側にいなさい」
「待つ側?」
「ええ。帰ってくる奴が、どういう顔で戻るか。手が冷えているか。足が動いているか。小箱を持っているかより先に、何を見るべきか。経験者なら、外で見て覚えなさい」
カイルは少しだけ黙った。
連れて行かれないことへの不満は、顔に残っている。
でも、ライラが言った意味も分かったのだろう。
「……分かった」
声は軽くなかった。
「待ってる」
マイラは記録板を抱え直した。
「私は帰還後に記録と冷えの確認をします」
「頼むわ」
ライラは短く返した。
マイラは第5層をまだ越えていない。
第6層へ連れて行く理由はない。
無理に背伸びをさせる場所でもない。
ロザックさんが最後に言う。
「第6層は、火力だけじゃ越えられない」
「知ってるわ」
ライラは即答した。
「だから、あたし一人で行かないのよ」
俺は黒い水膜の前で、そのやり取りを見ていた。
「ライラ、ちゃんと考えてるな」
『口は雑だけれどね』
ヴェルティアが言う。
『霧に対して大火力だけで挑むつもりがない。あの娘は、自分の火力の強さと邪魔さを分かっているわ』
「強すぎる力って、使いどころ難しいな」
『だからこそ、隣に誰を置くかが重要になるのよ』
黒い水膜の向こうで、ライラとテラリアは第6層へ向かった。
第5層を越えた先。
霧冷えの門は、静かに白い息を吐いていた。
湯溜まりの温かさが背後に遠ざかる。
前から流れてくる空気は、冷たい。
ただ冷たいだけではない。
肌の上を滑り、指先の感覚を少しずつ鈍らせるような冷気だった。
テラリアが息を吐く。
白くなった。
「寒いわね」
「寒いって言えるうちは大丈夫よ」
ライラは杖を持ち直す。
「寒いのに気づかなくなったら帰るわ」
「分かったわ」
「あと、走る前に見る」
「戻る場所ね」
「そう」
ライラは霧の奥を見る。
白い。
近くの床は見える。
数歩先は薄い。
その奥は、ない。
視界が壁になっている。
「嫌な階層ね」
ライラの声が少し低くなる。
「報告で聞くより、ずっと性格が悪いわ」
「どうするの?」
「細く開ける」
ライラが指を上げた。
「霧を全部消そうとしない。見たいところだけ見る。進みたいところだけ作る」
「分かったわ」
「分かっただけで走らない」
「はい!」
ライラは小さく笑った。
「いい返事」
白い霧の中へ、二人は入った。
一歩目で音が変わった。
足音が吸われる。
二歩目で空気が重くなる。
三歩目で背後の門が白く滲む。
テラリアが振り返る。
「まだ見えるわ」
「見えるうちに覚えなさい。帰る方向は、目だけで覚えない」
ライラは床に細い火の線を引いた。
フレアライン。
赤い火が、石床の溝に沿って静かに伸びる。
燃え広がらない。
ただ、線だけが残る。
「これが帰り線。越えすぎない。消えたら戻る」
「分かった」
テラリアの返事が、さっきより少し真面目になる。
霧が揺れた。
右ではない。
左でもない。
前方の白が、ほんの少しだけ硬くなる。
ライラの指が動いた。
「止まって」
テラリアは止まった。
次の瞬間、白い槍が霧の奥から伸びてきた。
氷の槍。
音が遅れて来る。
テラリアが腕を上げる。
ガントレットと槍がぶつかった。
甲高い音。
火花ではなく、白い氷片が散る。
「重い!」
「押し返さない。下へ流しなさい!」
「分かったわ!」
テラリアは真正面から受けず、腕を斜めに落とした。
氷槍が床を削る。
その瞬間、ライラが霧へ細い光を撃った。
「ミストピアス」
白い霧に、針穴のような道が開く。
一瞬だけ見えた。
白霧の槍兵。
氷の槍を構えた人型の魔物。
その姿を見た瞬間、テラリアはもう動いていた。
走るのではない。
線の中を踏む。
ライラが開けた細い視界へ、迷わず入る。
「そこ!」
ライラの声。
「見えたわ!」
テラリアの声。
槍兵が引こうとする。
ライラが床へ火の線をもう一本引いた。
逃げ道が赤く切られる。
槍兵の足が止まった。
テラリアが踏み込む。
肩からぶつかるように間合いを潰し、槍の柄を弾き、腹へ一撃を叩き込む。
霧の奥で、鈍い音が響いた。
白霧の槍兵が吹き飛ぶ。
「追わない!」
ライラの声が飛ぶ。
テラリアは踏み出しかけた足を止めた。
その直後、倒れたはずの槍兵の向こうから、氷の鎖が飛んできた。
追っていたら絡まれていた。
テラリアは息を呑む。
「次がいる!」
「そういう階層よ!」
ライラは鎖の動きを見た。
鎖だけではない。
槍が引かせ、鎖が捕まえる。
霧の奥に、役割を分けた敵がいる。
ライラの目が細くなる。
「報告で読んだ時は、ただの呼び名だと思ったけど」
霧の奥で、金属ではない氷の音が続く。
「番隊って、そういうことね」
短い言葉だった。
だが、その声は軽くなかった。
クレスたちが何度も戻り、記録し、言葉にしてきたもの。
その意味が、今、目の前の霧の中で形になっていた。
槍が前を作る。
鎖が捕まえる。
盾が押す。
鐘が惑わす。
隊長が仕留める。
単体の敵ではない。
役割のある小隊だ。
「テラリア」
「何?」
「ここからは、一体倒した、で安心しない。敵じゃなくて組み方を見る」
「組み方?」
「今、あたしたちは一体ずつ相手してるんじゃない。ひとつの隊を崩してるのよ」
テラリアの表情が引き締まる。
「分かったわ」
冷鎖の狩人が霧の奥から鎖を振る。
霧に紛れた鎖は、音だけが先に来る。
ライラは大きく撃たない。
床に指を向ける。
「グラビティプレス」
霧の一部が沈んだ。
空気そのものが重くなる。
白い影が、膝をついたように揺れた。
「左奥、低い。鎖を踏める?」
「踏むわ!」
テラリアは跳ばなかった。
足を取られるからだ。
低く、速く、踏み込む。
鎖が足首を狙った瞬間、テラリアは片足を引き、もう片方で鎖を踏んだ。
「捕まえたわ!」
「引き寄せて!」
テラリアは鎖を踏みつけたまま、狩人を引き寄せた。
狩人が霧へ逃げようとする。
ライラのフレアラインが背後に走る。
逃げ場が消える。
テラリアの掌底が狩人の胸を打った。
一撃。
狩人の身体がくの字に折れる。
ライラの雷がそこへ重なる。
「ボルトランス」
雷槍が貫く。
狩人が白い粒になって崩れた。
「二体」
ライラが数える。
だが、すぐに顔を上げた。
霧が低く鳴っている。
鐘の音。
小さい。
遠い。
でも、耳の奥で広がる。
テラリアの足が一瞬止まりかける。
ライラが即座に言った。
「耳で追わない!」
テラリアがはっとする。
「音が変!」
「方向を嘘にしてるのよ」
鐘がもう一度鳴る。
今度は背後から聞こえた。
だが、ライラは振り返らない。
「前」
「後ろじゃないの?」
「後ろに聞かせて、前から押す気よ」
霧の奥で、白い盾が現れた。
霜盾の番兵。
大きな氷盾を構え、ゆっくり押してくる。
その後ろ。
見えない位置で、霧鐘の術士が鐘を鳴らしている。
番兵が押す。
鐘が惑わす。
槍兵の残った気配が横をうろつく。
単体ではない。
隊で動いている。
「ここを崩すわ」
ライラの声が低くなる。
「盾を割れば、術士が見える。術士を止めれば、隊長が動く。たぶん最後はそこ」
テラリアが腕を構えた。
「盾を割ればいいのね」
「そのまま殴ると手が冷える。温めてから割るわ」
「分かったわ!」
ライラは火の矢を放つ。
「フレアアロー」
一本。
二本。
三本。
大きな爆発ではない。
盾の表面だけを焼く。
白い氷に赤い筋が走る。
表面が鳴り、細いひびが入った。
「今!」
テラリアが踏み込んだ。
盾が迫る。
正面から受ければ押し潰される。
だから、テラリアは斜めへ入った。
肩を沈め、盾の角を滑らせる。
ガントレットが、ひびの一点を叩く。
氷盾が割れた。
「止まらない!」
ライラの声。
テラリアは割れた盾の隙間へ身体を入れ、番兵の腕を掴む。
そのまま引き倒す。
番兵の巨体が傾いた。
ライラは待っていた。
「シールドクラッカー」
衝撃が、番兵の内側へ響く。
氷の鎧が砕けた。
同時に、霧鐘の術士が姿を見せる。
鐘を鳴らそうとしている。
ライラは術士ではなく、鐘を見た。
「テラリア、腕!」
「はい!」
テラリアが番兵を踏み越え、術士へ届く。
鐘を持つ腕を叩き上げた。
氷鐘が空中へ飛ぶ。
ライラがそれを撃ち抜く。
「スパークショット」
鐘が砕けた。
音が消える。
術士が崩れかける。
だが、その背後から、最後の影が動いた。
氷爪の隊長。
低い。
速い。
霧の床を滑るように、ライラへ向かう。
術士は囮だった。
「ライラ!」
テラリアが叫ぶ。
ライラは笑った。
「来ると思ったわ」
氷爪が伸びる。
ライラは避けない。
代わりに、足元へ小さな爆風を入れる。
「ブラストステップ」
身体が半歩だけずれる。
氷爪が外套をかすめた。
布が凍る。
隊長がさらに踏み込む。
ライラは杖を向ける。
だが撃たない。
近すぎる。
ここで大きく撃てば、自分もテラリアも巻く。
隊長の爪がもう一度来る。
テラリアが間に入った。
受けるのではない。
爪の軌道へ肩から身体を入れ、外側へ押し流す。
氷がガントレットを削った。
テラリアの足が滑る。
「踏ん張らない!」
ライラが叫ぶ。
「流しなさい!」
テラリアは踏ん張りを捨てた。
滑る力をそのまま使い、身体を回す。
隊長の爪を外へ逃がし、自分は半回転。
その動きで、隊長の胴が一瞬だけ開いた。
「そこ!」
テラリアの膝が沈む。
下から突き上げるように、打撃が入った。
氷爪の隊長の身体が浮く。
その瞬間、ライラはもう詠唱していた。
「ボルトランス」
雷槍が飛ぶ。
浮いた隊長を貫く。
だが、隊長はまだ崩れない。
霧へ逃げる。
ライラの目が冷える。
「逃がさない」
床に赤い線が走る。
一本。
二本。
三本。
フレアラインが、隊長の逃げ場を切る。
テラリアが息を整える。
隊長は火の線の間を縫うように低く走った。
速い。
だが、道は狭い。
ライラが作った道だ。
「テラリア」
「何?」
「次、右じゃない。下」
それだけだった。
テラリアは疑わなかった。
右へ構えかけた身体を、即座に沈める。
隊長は床すれすれの霧を裂いて来た。
下。
本当に下だった。
テラリアの腕が、霧の中へ突き込まれる。
手応え。
氷の爪。
冷たい腕。
掴んだ。
「捕まえたわ!」
「押し上げなさい!」
テラリアが隊長を床から引き剥がすように持ち上げた。
力任せではない。
低い姿勢から腰を入れ、身体ごと上へ運ぶ。
隊長の足が浮く。
ライラの周囲に熱が集まる。
大きな爆発ではない。
一点。
狭く。
報酬も通路も霧も巻き込まない形。
「高い魔法を使うほどじゃないわね」
ライラは笑った。
「でも、締めには十分よ」
赤い光が指先に集まる。
「フレアバースト」
圧縮された火が、隊長の胸元で弾けた。
爆風は外へ広がらない。
内側へ叩き込まれる。
テラリアが同時に手を離し、横へ転がる。
氷爪の隊長が赤白い火に包まれ、霧の中で砕けた。
音が消えた。
霧が揺れる。
白かった通路の奥が、少しだけ開ける。
ライラは息を吐いた。
「五体」
テラリアが床に片膝をついた。
「寒いわ」
「言えるなら大丈夫」
「腕が少し痺れるわ」
「それは大丈夫じゃない方に近い」
ライラはすぐにテラリアの手を見る。
ガントレットに白い霜が付いている。
指は動く。
遅いが、動く。
「戻る?」
ライラが聞いた。
テラリアは奥を見る。
霧が薄くなった先に、白い台座が見えていた。
その上に、小さな白い箱。
霧蔵の小箱。
テラリアは笑った。
「取ってから戻るわ」
「いい返事」
ライラは歩き出した。
ただし、急がない。
テラリアの歩幅に合わせる。
白い台座の前で、二人は足を止めた。
小箱は静かだった。
昨日まで第1層で見ていたものと同じ形。
だが、霧の中で見ると、また違う。
白い。
軽そうで。
重い。
ライラが小箱へ手を伸ばす。
「ほら。欲しいものは、取りに来るものでしょ」
テラリアが隣で笑う。
「二人で取ったわ!」
「二人で取って、二人で戻るのよ」
ライラは小箱を抱えた。
その瞬間、台座の霧がゆっくり沈んだ。
帰りの線が、遠くに見える。
ライラが振り返る。
「帰るわ」
「うん」
テラリアは立ち上がる。
腕は少し重い。
足も冷えている。
でも、目は前を向いていた。
二人は来た道を戻った。
霧の中で、火の線が細く残っている。
ライラが作った道。
テラリアが踏み込んだ道。
そして、戻るための道だった。
第1層では、カイルが入口の方を見ていた。
さっきまでの軽口はない。
白い霧の向こうを見られるわけではない。
戦いの音が届くわけでもない。
それでも、彼は何度も入口と救護席の位置を見比べていた。
戻ってきた時、どこを見るか。
誰が足を引いているか。
誰の手が動いていないか。
小箱より先に何を確認するか。
待つ側には、待つ側の仕事がある。
やがて、第6層側の通路から白い霧が流れた。
最初に見えたのは、小箱ではなかった。
ライラの外套についた霜。
テラリアの腕に残った白い冷え。
それから、二人の足。
どちらも、自分で歩いている。
カイルが息を吐いた。
「戻った」
イリオさんがすぐに前へ出る。
彼も小箱ではなく、二人を見た。
「帰還確認」
その声で、場の空気がほどける。
ライラは白い小箱を掲げた。
「約束通り、戻ったわ」
テラリアも胸を張る。
「取ってきたわ!」
カイルがようやく笑った。
「本当に二人で行って取ってきたのか!」
「見れば分かるでしょ」
ライラが言う。
だが、声に少しだけ疲れがあった。
マイラがすぐにテラリアの手を見る。
「冷えています」
「少し痺れるだけよ」
「少し、は記録します」
「記録されるのね」
「帰還後の状態確認も記録です」
マイラは淡々と言いながら、テラリアの指の動きと腕の霜を確認していく。
グラントさんは新しい小箱を見て、完全に固まっていた。
「二つ目……」
オルド村長が胃のあたりを押さえる。
「白い胃痛が増えましたな」
ロザックさんが低く笑った。
「見事だ」
ライラは小箱を抱え直した。
「これ、あたしが取った報酬よね」
イリオさんが頷く。
「はい。護衛対象のために持ち帰ったものではありません。冒険者ライラ殿とテラリア様が、第6層を踏破して取得した報酬です」
「言い方が大事ね」
「大事です」
「嫌いじゃないわ」
イリオさんは続けた。
「ただし、運用については相談が必要です」
「でしょうね」
ライラは白い小箱を見た。
嬉しそうで。
厄介そうで。
それでも、手放す気はなさそうだった。
「でも、今日はまず帰還確認でしょ」
イリオさんは少しだけ目を伏せた。
「ええ」
そして、もう一度言った。
「帰還確認。異常確認中。第6層踏破報酬、白い小箱一個」
ロザックさんが仮受付へ視線を投げる。
「記録しろ」
仮受付が慌てて筆を取る。
ライラは笑った。
「小箱を取るより、取った後の方が大変そうね」
グラントさんが静かに答える。
「価値あるものは、いつもそうです」
「商人が言うと説得力が嫌ね」
俺は黒い水膜の前で、その光景を見ていた。
「……取ってきたな」
『取ってきたわね』
「王都の火力、すごいな」
『火力だけではないわ』
ヴェルティアは黒い水膜の向こう、白い小箱を抱えるライラと、隣で手を動かしているテラリアを見ていた。
『片方が道を作り、片方がその道へ迷わず入る。片方が止め、片方が押し返す。派手さだけではないわ』
「第6層、結構きつい階層のはずなんだけどな」
『きつい階層よ』
ヴェルティアは淡々と言った。
『ただ、彼女たちが強かっただけ』
白い小箱は二つになった。
便利な箱が、もう一つ。
胃痛の種も、もう一つ。
けれど、今日の第1層で最初に記録されたのは、小箱の価値ではなかった。
帰還確認。
二人は、取って戻った。
後書き
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ライラとテラリア、二人だけの第6層攻略になりました。
火力だけでは越えにくい霧の中で、道を作るライラと、そこへ踏み込むテラリア。
白い小箱は、二人の連携で手に入りました。
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