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死にかけのダンジョンコアに拾われたので、清い水から生活インフラ迷宮を始めます  作者: 乾燥しいたけ


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第81話 白い小箱は、雫の日数を黙って止める



 霧蔵の小箱は、もう眺めて驚くだけの報酬ではなくなっていた。


 朝の確認は日課になった。


 側面の数字を見る。


 蓋を開ける。


 中身を確認する。


 帳面に写す。


 誰が触ったかを残す。


 最初の頃のように、数字が一つ減るたび第1層全体が固まることはない。


 代わりに、全員の目が少しずつ変わっている。


 これは珍しい箱だ。


 ではなく。


 これは使う箱だ。


 そういう目になってきた。


 俺は黒い水膜の前で、第1層の小箱を見ていた。


「小箱も、そろそろ次の段階か」


『そうね』


 ヴェルティアが答える。


『人間は、便利なものを見ると、最初は驚く。次に触る。最後に使い道で揉めるわ』


「嫌な順番だな」


『自然な順番よ』


 第1層では、小箱の前に人が集まっていた。


 グラントさん。


 イリオさん。


 ロザックさん。


 オルド村長。


 マイラ。


 そして、カイル、フィン、テラリア、ライラ。


 昨日、小箱には通常の琥珀の雫が一瓶入れられた。


 紅琥珀の雫ではない。


 まずは通常品から。


 金貨8枚相当の紅琥珀を最初の試験に使うべきではない、というグラントさんの判断だった。


 それは正しい。


 最初から高すぎる物を入れると、箱の検証なのか、周囲の胃の検証なのか分からなくなる。


 マイラが小箱の蓋に手を置いた。


「取り出します」


 周囲が静かになる。


 白い蓋が開く。


 中は、相変わらず白い。


 底があるようで、ないような空間。


 マイラが取り出したのは、昨日入れた琥珀の雫だった。


 小瓶。


 琥珀色。


 封はそのまま。


 グラントさんが受け取り、光にかざす。


「色の濁りはありません」


 瓶を軽く傾ける。


「澱もなし。封も変化なし」


 グラントさんは、ほんの少しだけ封を開けて香りを確認した。


 すぐに閉じる。


「香りも落ちていませんね」


 イリオさんが紙に筆を走らせる。


「小箱内で一晩保管。通常の琥珀の雫に、目立った劣化なし」


 グラントさんは深く頷いた。


「保存用途としては、予想以上です」


 ざわめきが広がった。


 ただ、イリオさんがすぐに手を上げた。


「検証できたのは、通常の琥珀の雫一瓶のみです。食料、薬草、薬品、その他商材については、別途確認が必要です」


 グラントさんも続ける。


「容量制限があります。生き物も入りません。期限もあります。所有者固定もない。万能ではありません」


 ライラは小箱を見て、嫌そうに笑った。


「万能じゃなくても十分厄介よ。酒が落ちない。食べ物が傷みにくいかもしれない。薬が保つかもしれない。荷物が減るかもしれない。商人も冒険者も貴族も、目の色を変えるには十分じゃない」


 テラリアが小箱を覗き込むように見る。


「小さい箱なのに、すごいのね」


「小さいから余計にすごいのよ」


 ライラは言った。


「大きな倉庫が便利なのは当たり前。持ち運べる小箱が便利なのが、一番厄介なの」


 そこで、琥珀の雫の劣化なしという報告を聞いていたカイルが、ぽろっと言った。


「じゃあさ、紅肌の雫を入れて置いたら、日数の期限ってどうなるんだ?」


 空気が止まった。


 本当に止まった。


 小箱の前にいた全員が、カイルを見た。


 カイルは少しだけ後ろに下がる。


「え、何?」


 ライラがゆっくり額に手を当てた。


「あんた、また余計な事を……」


「え、何が?」


 ライラはカイルをじろりと見た。


「酒の次は紅肌の雫? どうしてそう、金と面倒が増える方向ばっかり気づくのよ!」


「いや、だって、日数あるだろ? 箱の中だと時間が遅いなら、どうなるのかなって」


「そこに気づくのが厄介なのよ!」


 グラントさんの顔色が変わっていた。


「……なんで最初に思いつかなかったんでしょう」


 珍しく、声に焦りがあった。


 イリオさんもすぐに紙を取り直す。


「紅肌の雫の残日数と、小箱内時間の関係ですか」


 マイラが小さく頷く。


「紅肌の雫には残日数表示があります。通常であれば、日ごとに数が減ります」


 グラントさんが早口になる。


「もし小箱内で日数の減りが遅くなるなら、紅肌の雫の価値が変わります。保存、輸送、買い置き、遠距離販売……」


 そこで言葉を切った。


 周囲の冒険者たちが、すでにざわつき始めていたからだ。


「紅肌が長持ちするのか?」


「買い置きできるってことか?」


「大銀貨2枚の品が遠くまで運べる?」


「王都まで持っていけるんじゃないか?」


 ライラが鋭く言う。


「まだ決まってない!」


 声が通った。


 ざわめきが少し止まる。


 ライラは続けた。


「今は、カイルが気づいただけ。正しいかどうかはこれからよ。分からないものを値段に乗せると、人が走るわ」


 カイルが小さく言う。


「俺、人を走らせた?」


「まだ走ってない」


 ライラは即答した。


「だから今、止めてるのよ」


 グラントさんが息を整える。


「検証しましょう。紅肌の雫を一瓶、小箱へ入れます。ただし、これは試験品です。販売品ではありません」


 イリオさんが紙を押さえながら言う。


「投入時の残日数。翌日の表示。数日後の表示。取り出し時の状態。これを継続確認します」


 マイラが補足する。


「効果そのものは変わらない可能性が高いですが、残日数の減り方は確認が必要です」


 ロザックさんが周囲を見た。


「この件は、まだ外で値段つきで広めるな。検証中だ」


 冒険者たちは黙った。


 でも、完全に飲み込んだわけではない。


 顔に出ている。


 これは金になる話だ。


 そういう顔だ。


 大地だった俺でも分かる。


 俺は黒い水膜の前で、思わず頭を抱えた。


「……カイル」


『また、気づいたわね』


 ヴェルティアが言った。


「これ、どうなる?」


『小箱内の時間は外の10分の1よ。紅肌の雫の残日数も、その影響を受けるわ』


「じゃあ、かなり長持ちするってことか」


『そうなるわね』


「うわあ」


 声が出た。


「紅肌の雫まで小箱向きなのか」


『ただし、人間側には今すぐ分からないわ』


「そうか。翌日になっても減らないだけか」


『ええ。しばらく見ても減らない。どのくらいで一つ減るかは、実際に確かめなければならない』


「それでも十分やばいな」


『ええ。紅肌の雫だけではないもの』


 ヴェルティアの言葉で、俺も改めて気づく。


 食べ物。


 薬草。


 薬品。


 香草。


 期限付きの雫。


 遠征用の物資。


 商材。


 小箱は、ただ物を入れる箱じゃない。


 中に入れたものの時間を遅らせる。


「時間と物流を預かる箱か」


『そういうことね』


 ヴェルティアは静かに言った。


『だから、期限をつけたのよ』


 第1層では、試験用の紅肌の雫が用意された。


 残日数表示は、十八。


 少し前に取得されたものらしい。


 マイラが瓶を持ち、周囲に見せる。


「紅肌の雫。残日数、十八」


 イリオさんが書き取る。


 グラントさんも書き取る。


 ロザックさんは、周囲の冒険者が近づきすぎないよう見ている。


 ライラは腕を組んでいた。


「これで明日も十八だったら?」


 カイルが聞く。


 ライラは答える。


「価値が変わる」


「じゃあ、何日で数字が減るか分かったら?」


「商人と貴族が本気になる」


「分かりやすい」


「分かりやすく嫌なのよ」


 テラリアが小箱を見て言う。


「食べ物も長持ちするなら、旅が楽になるのね」


 グラントさんが頷く。


「楽になります。だから危険です」


「楽になるのに?」


「楽になる道具は、誰が持つかで争いになります」


 イリオさんが続けた。


「軍も、商人も、冒険者も、貴族も欲しがります。ですから、この箱は小さいですが、扱いは小さくありません」


 ライラが肩をすくめる。


「紅肌の雫を入れる前から、もう胃が痛いわね」


 オルド村長が静かに手を上げた。


「それは私の役目では?」


「譲るわ」


「いりませんなあ」


 少しだけ笑いが起きる。


 でも、空気の芯は硬い。


 マイラが小箱の蓋を開けた。


「入れます」


 白い箱の中へ、紅肌の雫が入る。


 蓋が閉じる。


 それだけだった。


 それだけなのに、第1層の空気が少し変わった。


 小箱に、酒が入った時とは違う。


 期限のある報酬。


 日数が価値に直結する雫。


 それが白い箱の中に消えた。


 グラントさんが、ぽつりと言う。


「酒の保存だけではありませんね」


 イリオさんが頷く。


「食料、薬品、期限付き報酬、遠征物資、商材。すべて検討対象になります」


 ライラは小箱を睨んだ。


「小さいくせに、話がでかすぎるわ」


 カイルが恐る恐る言う。


「俺、やっぱり余計なこと言った?」


 ライラはカイルを見た。


「言ったわね」


「ごめん」


「でも、必要な余計事よ」


 カイルが目を丸くする。


 ライラは少しだけ不機嫌そうに続けた。


「気づかないまま使うより、今気づいた方がまし。厄介だけどね」


 フィンが横で頷いた。


「知らないで使う方が怖いよな」


 マイラも言う。


「検証できるうちに検証します」


 そこで、テラリアが小箱の前でぽつりと言った。


「時間を入れる箱なのね」


 その場にいた何人かが、黙った。


 俺も、黒い水膜の前で黙った。


 テラリアの言い方は少し違う。


 小箱に時間そのものを入れているわけじゃない。


 でも、近い。


 物を入れているようで。


 実際には、その物の時間を遅らせている。


 ヴェルティアが小さく言った。


『あの子は、時々本質だけ踏むわね』


「カイルとは違う気づき方だな」


『ええ』


 ヴェルティアは第1層のカイルとテラリアを見比べるように、水膜へ視線を向けた。


『カイルは問題の入口を見つける。あの子は、中に何があるかを言葉にする』


「どっちも厄介だな」


『どちらも必要よ』


 第1層では、小箱の周囲から少しずつ人が離れた。


 けれど、全員が離れたわけではない。


 グラントさん、イリオさん、ロザックさん、マイラは残っている。


 小箱の運用は、今からさらに細かく決める必要がある。


 どこに置くか。


 誰が触るか。


 誰が確認するか。


 何を入れるか。


 入れてはいけないものは何か。


 紅肌の雫の結果は、今日すぐには分からない。


 それでも、検証は始まった。


 そして、翌朝。


 小箱の前には、昨日より少ない人数が集まっていた。


 見物は絞られた。


 イリオさん、グラントさん、ロザックさん、マイラ。


 ライラ、テラリア、カイル、フィン。


 それからオルド村長。


 小箱の蓋が開かれる。


 中から取り出された紅肌の雫を、マイラが確認する。


 瓶の色。


 封。


 濁り。


 そして、側面に浮かぶ残日数。


 十八。


 昨日と同じだった。


 空気が、静かに重くなる。


 減っていない。


 たった一日。


 それだけなら、誤差かもしれない。


 表示の変わる時間がずれているだけかもしれない。


 まだ、何も確定していない。


 それでも、全員が同じことを考えた。


 これは、長持ちするかもしれない。


 グラントさんが小さく息を吐く。


「……昨日と同じですね」


 イリオさんがすぐに言う。


「まだ確定ではありません。継続検証です」


「ええ。ですが、可能性は強まりました」


 マイラが頷く。


「紅肌の雫。小箱内保管、翌日確認。残日数、十八のまま。再投入します」


 ロザックさんが周囲を見る。


「外へは、まだ出すな。分かっているのは、翌日減らなかったという事実だけだ」


 ライラが紅肌の雫を見て、口元をゆがめた。


「一日でこれなら、変化する期間が分かった時が怖いわね」


 カイルが言う。


「何日で減るか、か」


「そこが分かったら、商人が本気になる」


 グラントさんが静かに訂正する。


「走りません。歩いて準備します」


「そういう顔で言われると、余計怖いのよ」


 テラリアは小箱を見ていた。


「本当に、時間がゆっくりなのね」


 イリオさんが言う。


「その可能性が高い、という段階です」


「王都文官の言い方ね」


 ライラが言った。


 イリオさんは頷く。


「確定前に確定させないのが、文官の仕事です」


「いいじゃない」


 ライラは素直に認めた。


「それは必要だわ」


 イリオさんは、そこでライラを見る。


「では、もう一つ必要な話をします」


「何よ」


「小箱の追加取得についてです」


 空気が変わった。


 ライラの目が、少しだけ鋭くなる。


 イリオさんは続けた。


「この箱の価値は、すでに酒の保存を超えています。期限付き報酬、食料、薬品、遠征物資。用途が広がるなら、当然、追加取得を望む声が出ます」


 ライラは、小箱を見た。


 そして、ぽつりと言った。


「その小箱、あたしも欲しいわね」


 イリオさんがすぐ反応する。


「王都側への譲渡は認められていません」


「誰が譲れって言ったのよ」


 ライラは琥珀水紋門の方を見る。


 その奥。


 第4層。


 さらにその先。


 第5層。


 そして、第6層。


「第6層を越えれば、出るんでしょ?」


 テラリアの目が輝く。


「第6層!」


 カイルが声を上げる。


「行くの!?」


 ライラはにやりと笑った。


「欲しいものがあるなら、取りに行くのが冒険者でしょ」


 イリオさんは、少しだけ考えた。


 苦労人の顔ではない。


 文官として、線を引く顔だった。


「ライラ殿」


「何?」


「王都側の護衛対象は、まだこの迷宮に到着していません」


「そうね」


「護衛対象が到着するまで、あなたの行動は基本的に自由です」


 ライラが少し意外そうに眉を上げた。


「へえ」


 イリオさんは続ける。


「そもそも、護衛として想定する範囲は第5層までです。第6層の白い小箱は踏破報酬。護衛対象を守りながら取りに行くものではありません」


 ロザックさんが頷いた。


「第6層は冒険者が取りに行く場所だ。護衛仕事とは別だな」


「ですので」


 イリオさんはライラを見る。


「行くなら、ライラ殿自身の冒険者行動として扱います」


 ライラの口元が上がる。


「話が早いじゃない」


「ただし」


「来た」


「必ず戻ってきてください」


 場が少し静かになった。


 条件というには、単純すぎる。


 だが、第6層へ向かう冒険者にとって、それ以上に大事な条件もない。


 ライラは笑わなかった。


 まっすぐイリオさんを見る。


「戻るわ」


 短い返事だった。


 イリオさんは頷いた。


「では、王都側としては止めません」


 テラリアが拳を握った。


「わたしも!」


 ライラはテラリアを見る。


「来たいの?」


「行きたいわ!」


「第6層よ」


「分かってるわ!」


「霧よ」


「それも聞いたわ!」


「前みたいに、見えたから走る、は無し」


「待ってから走る!」


「今回は、待つだけじゃ足りないわ」


 ライラは第6層の方を見た。


「見えなくても戻れること。寒くても動けること。敵を倒すだけじゃなく、迷わないこと。そこまで必要よ」


 テラリアは、少しだけ真面目な顔になった。


「分かったわ」


 カイルがそわそわしている。


「俺は?」


 ライラが見る。


「第6層経験者でしょ。話は聞くわ」


「行くのは?」


「来たいなら、ちゃんと戻れる説明をしなさい」


「説明?」


「そうよ」


 ライラは言った。


「第6層で何を見たか。何が危なかったか。どこで迷いそうになったか。小箱を取った時、何が起きたか。そういう話をして、役に立つなら連れて行く」


 カイルの顔が引き締まった。


「分かった」


 フィンも小さく頷いた。


「僕も話せることは話します」


 マイラが続ける。


「記録もあります」


 ロザックさんが低く言う。


「なら、まず聞き取りだ。行く前に、第6層をもう一度言葉にしろ」


 ライラは頷いた。


「そうね。白い小箱が欲しいからって、霧に頭から突っ込む気はないわ」


 そして、少しだけ笑った。


「でも、行くわよ」


 その声には、紅琥珀の時とは違う熱があった。


 酒が欲しい熱ではない。


 便利な道具が欲しい熱。


 それを自分の手で取りに行きたい熱。


 冒険者の熱だった。


 俺は黒い水膜の前で、その様子を見ていた。


「第6層か」


『来るでしょうね』


 ヴェルティアは静かに言う。


『王都の火力が、第6層へ向く。小箱の価値が分かった以上、当然の流れよ』


「大丈夫かな」


『第6層は、火力だけでは越えられないわ』


「だよな」


『でも、あの娘は火力だけではないでしょう』


 黒い水膜の向こうで、ライラは小箱を見ている。


 欲しそうに。


 厄介そうに。


 楽しそうに。


 そして少しだけ、本気の顔で。


 白い小箱は、酒を保存する箱ではなかった。


 食べ物も、薬も、期限付きの雫も、遠くへ運ぶ荷も。


 その中では、外よりゆっくり時が進む。


 物を入れる箱ではない。


 時間と物流を預かる箱だった。


 だからこそ、次に人が向かう場所は決まっている。


 霧冷えの第6層。


 もう一つの白い小箱を求めて。


 王都の火力が、霧の前に立つ日が近づいていた。



後書き

ここまで読んでいただきありがとうございます。


小箱の中では、琥珀も紅肌も静かに時を遅らせます。


便利な箱は、物だけでなく、人の予定まで変えていくようです。


続きを追っていただける方は、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。

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