表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にかけのダンジョンコアに拾われたので、清い水から生活インフラ迷宮を始めます  作者: 乾燥しいたけ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/88

第69話 霧の中で、敵が隊列を組む



 冷霧区域へ入る前に、メリダは紙を1枚増やした。


 前の再調査で分かったこと。


 足が鈍る。


 声がずれる。


 倒せる敵が、追える距離に見える。


 その3つの下に、彼女は新しく線を引いた。


「今日は、敵を倒した数じゃなくて、敵がどこへ動いたかを見る」


 仮受付の机の前で、メリダが言った。


 クレスが頷く。


「目的は、敵の配置確認だ」


「配置、ですか」


 マイラが記録帳を開いた。


 カティアが短剣を指で回しながら言う。


「前に入った時、ばらばらに出てきたように見えた。でも、妙に足を動かされた」


 ティアも頷く。


「偶然かもしれない。霧でそう見えただけかもしれない。だから、今日は断定しないために見るのよ」


 カイルがクレスを見る。


「クレスさん、敵が組んでるかどうかを確認するんですね?」


「ああ。ただし、確認できても追わない」


「分かりました」


 カイルはすぐに頷いた。


 興味はある。


 顔に出ている。


 けれど、それを前へ出す前に、クレスへ確認する。


 それだけで、前より少し足の置き方が変わって見えた。


 ラハルは盾を置き、腰に手を当てている。


「ふむ。敵が隊列を組むなら、こちらも崩されぬようにせねばな」


「受ける場所を選んでください」


 メリダがすぐに言った。


「受けること自体が、誘導になるかもしれないので」


「ぬう。受けるにも場所が要るか」


「はい」


 ラハルは少し考え、真面目に頷いた。


「承知した。今日は、前に出る盾ではなく、戻る盾だな」


「それなら助かります」


 カティアが横から笑う。


「爺さん、今日は賢そうじゃねえか」


「今日は、とは何だ」


「いつも声が先に出るからだろ」


「ふはは! それは否定できぬ!」


 声が大きい。


 だが、足は浮いていない。


 前の再調査で、自分の右足の鈍さを申告したことが効いているのだと思う。


 マイラが今日の確認を読み上げる。


「冷霧区域再調査。目的は、敵の配置と誘導行動の確認。撤退申告語は、戻る。敵撃破数は目的外。霧の奥への追跡は禁止。隊列維持を優先」


 メリダが頷く。


「あと、今日は声つなぎを短くする。名前だけでいい」


「理由は」


 マイラが聞く。


「長い言葉は、霧の中で返り方が分かりにくいから」


 ティアが補足する。


「音の尾が伸びるのね。短い方が、ずれを拾いやすい」


「うん」


 メリダはそう言って、全員を見た。


「クレスさん、ラハルさん、カイルさん、カティアさん、ティアさん、私。順番はこのまま。声が違う場所から返ったら、言う」


 クレスが短く答えた。


「行くぞ」


 俺は黒い水膜の前で、そのやり取りを見ていた。


「今日は敵の動きを見る日か」


『進むためではなく、見誤らないための再調査ね』


「すごいな。迷宮攻略って、もっと勢いでガンガン行くものだと思ってた」


『その勢いで死ぬ者も多いでしょうね』


「ぐうの音も出ない」


 ヴェルティアの声は冷静だった。


 いや、少しだけ機嫌がいい。


 自分の作った階層を、雑に踏み抜かれないことが嬉しいのかもしれない。


 俺としては、嬉しいような、怖いような気分だった。




 第5層へ向かう道は、すでに彼らの足に馴染んでいた。


 だが、油断はない。


 第1層にある第4層入口から、琥珀の貯蔵庫へ入る。


 そこを越えれば、熱を帯びる通路。


 湯気の匂い。


 第5層の門番が待つ場所へ続く。


 ホットスプリングガーディアンとの戦いも、目的の前に置かれた扉として処理する。


 ラハルが受ける。


 クレスが位置を切る。


 ティアが蒸気の隙間を作る。


 カイルが踏み込み、カティアが関節を抜く。


 メリダは敵ではなく、味方を見ている。


 門番が崩れた後、ラハルは自分の足を軽く動かした。


「右足、問題なし」


 マイラはいないが、きっと記録しただろう声だった。


 メリダが頷く。


「進めます」


 湯溜まりには入らない。


 誰も湯に触れない。


 そこにある白い湯気は、今日は休息ではなく境目だった。


 その奥に、もう1つの白がある。


 冷たい霧。


 クレスが全員を見る。


「今日も浅く戻る。奥を見ても、奥へ行くな」


「はい」


 カイルが答える。


「見えたものを全部取ろうとしない」


 メリダが続ける。


「見えたものが、見せられたものかもしれないから」


 カティアが短く笑った。


「嫌な言い方だな」


「嫌な場所だから」


「違いねえ」


 6人は冷霧区域へ入った。


 1歩。


 湯気の温さが背中から剥がれる。


 2歩。


 床の湿り気が冷たくなる。


 3歩。


 ラハルの鎧の音が、左奥で小さく返った。


 メリダが言う。


「声」


「クレス」


「ラハル」


「カイル」


「カティア」


「ティア」


「メリダ」


 短い声が、霧に沈んで返る。


 今はまだ、位置が合っている。


 クレスが手を軽く上げる。


 進む。


 床に白い塊が見えた。


 アイススライム。


 前回も見た魔物だ。


 カイルの剣が少しだけ動く。


 だが、踏み込みは短い。


 斬りに行かない。


 進路を塞ぐ。


 ティアの小さな魔法が足元だけを照らし、カティアが横から動きを止める。


 倒した。


 誰も確認に行かない。


 メリダが後ろを見る。


「進める」


 さらに数歩。


 霧の上で羽音がした。


 フロストバットが見えた。


 前より低い。


 わざと目に入る高さを飛んでいるようにも見える。


 カイルは剣を構えたが、足は出さなかった。


 フロストバットは、すぐには逃げない。


 こちらの上を横切り、右奥へ消えた。


 ラハルの盾が少しだけ右を向く。


 メリダがそれを見た。


「ラハルさん、盾は正面」


「む」


 ラハルは盾を戻した。


「鳥に目を取られた」


「はい。今のは右へ向かせる動きかもしれません」


 ティアが霧の上を見た。


「ただの飛行かもしれないわ」


「うん」


 メリダは否定しない。


「だから記録だけ」


 カティアが低く言う。


「右奥に羽。正面は空いたように見える」


 クレスが頷いた。


「空いた場所へは進まない」


 進路は直線。


 変えない。


 霧が少し濃くなる。


 足元に、濡れた石が並んでいる。


 その1つが、わずかに横へ滑った。


 濡石クラブ。


 カティアが先に気づき、短剣の柄で叩いた。


 甲羅が割れる。


 小さな魔物はすぐ動きを止めた。


 だが、その音が大きく返った。


 右ではなく、後ろから。


 メリダがすぐに声をつないだ。


 全員の返事はある。


 だが、返りが少し重い。


 まだ戻るほどではない。


 メリダはそう判断したらしく、頷いた。


「進める。でも、音が太った」


「太った?」


 カイルが聞く。


「返ってくる音が、ひとつ多い」


 ティアが目を細める。


「反射する場所が増えたのかしら」


「分からない」


 メリダはあっさり言った。


「分からないから、次に重なったら戻る寄り」


 この言い方に、誰も反論しない。


 分からない。


 そのまま進むのではなく、分からないから引く準備をする。


 冷霧区域では、それが強さになる。


 俺は水膜の前で、少し口を開いた。


「分からないって言えるの、強いな」


『貴方も見習ったら?』


「刺してくるじゃん」


『柔らかく言ったつもりよ』


「柔らかい刃物ってある?」


『あるでしょう。薄いものほど深く入るわ』


 俺が返す前に、水膜の向こうで霧が動いた。


 笑いの隙間に、白が1枚増える。


 空気の温度が、すっと下がるように見えた。


 こちらまで黙ってしまう。


 そこで、ミストウルフが見えた。


 霧の中に溶けるような狼。


 前にいる。


 だが、輪郭が横へ流れる。


 クレスの剣がわずかに下がった。


 待つ姿勢だ。


 ミストウルフは、襲ってこない。


 こちらを見ている。


 それから、半歩下がった。


 道を譲るように。


 カイルの目が鋭くなる。


「行ける」


 言った瞬間、自分で止まった。


 クレスを見る。


「でも、行きません。クレスさん」


「ああ」


 クレスは短く頷いた。


「正面の敵を見る。周りを見ろ」


 その言葉と同時に、ティアが指を上げた。


「左の霧が濃い」


 カティアが足元を見る。


「右下、石が動いた」


 ラハルが盾を少し沈める。


「音は、後ろから返った」


 メリダが全員を見た。


「今、正面の狼を見た時に、左、右下、後ろが動いた」


 その場が静かになる。


 ミストウルフはまだいる。


 前にいる。


 倒せる距離にいる。


 けれど、その周りが動いた。


 偶然か。


 霧のせいか。


 それとも、こちらが狼を見た瞬間を使われたのか。


 ティアが低く言う。


「まだ連携とは言い切れないわ」


「分かってる」


 カティアが答える。


「でも、こっちの目線に合わせたみたいだった」


 クレスはミストウルフを見たまま、剣を動かさない。


「試す」


 短く言って、クレスは半歩だけ右へずれた。


 攻撃ではない。


 間合いを変えただけだ。


 ミストウルフは動かない。


 だが、霧の奥で羽音が右から左へ流れた。


 ラハルの盾に、薄い氷の粒が当たる。


 攻撃というほど強くはない。


 だが、盾の音が鳴る。


 鳴った音が、後ろへ返る。


 メリダが声を出す。


「戻る準備」


 まだ、戻るではない。


 その一段手前。


 カイルが息を殺す。


 ティアが霧へ魔力を薄く流した。


 払うためではない。


 動きを見るためだ。


 霧の奥が、一瞬だけ薄くなった。


 見えたものは、全員で違っていた。


 クレスには、前を塞ぐ白い壁のように見えた。


 ラハルには、自分の盾より少し高い何かが、こちらの正面に立ったように見えた。


 カイルには、その壁の横を細い線が走ったように見えた。


 カティアには、足だった。


 それも1本ではない。


 ティアには、揺れた霧の奥に、青白い点がいくつか浮いたように見えた。


 メリダには、何も見えなかった。


 ただ、全員の目が違う場所を見たことだけが見えた。


 霧はすぐに閉じる。


 カイルが声を抑えて言った。


「クレスさん、奥に何かいました」


「見えた」


 クレスの声は落ち着いている。


「だが、形は分からない」


 ティアが低く言う。


「私は光の点に見えたわ。人型とは言い切れない」


 カティアは首を横に振る。


「足はあった。少なくとも、霧だけじゃねえ動きだった」


 ラハルが盾を構え直す。


「わしには壁に見えたぞ」


 メリダが言う。


「戻る」


 今度は、はっきりした。


 理由は聞かない。


 クレスが即座に返す。


「戻る」


 全員が向きを変える。


 その瞬間、ミストウルフが初めて動いた。


 前からではない。


 斜めから、戻り道を切るように走る。


 カイルが剣を上げる。


 だが、クレスが先に声を出す。


「追うな。道を開ける」


「はい!」


 カイルは斬り込まない。


 横へ切る。


 ミストウルフを倒すためではなく、戻り道からどかすための一撃。


 刃が霧を裂き、狼の輪郭を崩した。


 倒したかどうかは見ない。


 ラハルが盾を置く。


 白い氷粒が、今度は少し強く当たった。


 盾の上で弾ける。


「軽い!」


 ラハルが笑いかけたところで、メリダが言う。


「受けて止まらないで」


「承知!」


 ラハルは踏ん張らない。


 盾を斜めにして流す。


 受け止めるのではなく、歩きながら逸らす。


 カティアが足元の濡石クラブを蹴り飛ばした。


「下、増えてる」


 ティアが小さな光を落とす。


 床が一瞬だけ見えた。


 白い石。


 白い蟹。


 白い氷。


 全部が似ている。


 見分けるだけで目が疲れる。


 メリダの声が飛ぶ。


「名前」


「クレス」


「ラハル」


「カイル」


「カティア」


「ティア」


「メリダ」


 メリダの声だけが、少し右から返った。


 彼女はすぐに言った。


「速度を上げない。足を短く」


 カイルが答える。


「分かった」


 ティアが霧を払いたそうに指を動かす。


 けれど、魔力を広げない。


 足元だけを見る。


「前、温度が上がった」


 クレスが頷く。


「湯気が近い」


 湯気の匂いが戻ってきた。


 温かい床に足が乗る。


 その瞬間、冷たい霧が背中で閉じた。


 追ってこない。


 そこで終わりだった。


 湯溜まりの手前で、全員が止まる。


 誰も湯には入らない。


 クレスが短く言う。


「確認終了。戻る」


 カイルが霧の奥を見た。


 まだ、あの白い何かが頭に残っている顔だった。


「クレスさん、あれ、普通の魔物じゃないですよね」


「普通ではない。だが、今は戻る」


「分かりました」


 カイルは素直に頷いた。


 カティアが肩を回す。


「面倒なのが見えたな」


 ティアが静かに言う。


「見えた、というより、見え方を崩された可能性もあるわ」


「どっちでも面倒だ」


「そうね」


 メリダが息を吐いた。


「戻る時に動いた。あれは嫌だった」


 ラハルが盾を下ろす。


「戻り道を切りに来たな」


「はい」


 メリダは頷く。


「進ませるだけじゃない。戻る時にも試してくる」


 その言葉で、全員の表情が少し硬くなった。




 第1層へ戻ると、マイラがすぐに救護席へ案内した。


「全員、足と魔力消耗の確認をお願いします」


 カイルが靴を脱ぐ。


「前より冷えてる。でも動く」


 ティアが手を添える。


「足先の冷えは軽度。魔力消耗も軽いわ。霧を広く払わなかったから」


 ラハルは盾を置き、右肩を回した。


「氷粒は軽かったが、音が嫌だったな」


 メリダが足を見る。


「今日は足、戻ってます」


「そうか」


 ラハルは救護席の前で少し止まった。


 座るほどではない。


 そう言いかけた口が、途中で閉じる。


 メリダは何も言わない。


 カティアも何も言わない。


 ラハルは大きな体を、少し窮屈そうに救護席へ下ろした。


「念のためだ」


 メリダが頷く。


「はい。念のためです」


 マイラが記録する。


「ラハルさん、救護席確認」


「自主的とは書かんでよいぞ」


「書きません」


「うむ」


 カティアが笑った。


「爺さん、照れてんじゃねえか」


「照れておらん。確認だ」


「はいはい」


「はいは1回、と言いたいところだが、それはわしの役ではないな」


 ティアが少しだけ眉を動かした。


「言わなくていいわ」


 軽口はそこで切れた。


 全員の視線は記録帳へ向いていた。


 マイラが今日の確認事項を並べる。


「確認された魔物。アイススライム、フロストバット、濡石クラブ、ミストウルフ」


 ティアが続ける。


「奥に、不明瞭な影。私には青白い光点に見えました。人型とは断定不可」


 カティアが言う。


「俺には足に見えた。少なくとも、霧だけじゃねえ動きだった」


 ラハルが唸る。


「わしには壁だ。盾か、岩か、でかい腕か。そこまでは分からぬ」


 カイルが言う。


「オレは横に細い線が走ったように見えた。弓か槍かまでは分からない」


 クレスは少し黙った。


 それから、言う。


「全員が違うものを見た」


 マイラの筆が止まる。


「記録は、どうしますか」


「冷霧区域奥部に、不明瞭な複数影を確認。各人の視認内容に差あり」


 マイラが書いた。


 ティアが静かに補足する。


「霧による見誤りの可能性あり」


 カティアも続ける。


「ただし、複数方向に動きあり」


 マイラが書き足す。


 ラハルが盾を指で叩いた。


「わしの盾に当たった氷粒は、矢か魔法か分からぬ。軽かったが、こちらの音を鳴らすには十分だった」


 クレスが静かに言った。


「正面に狼。上に蝙蝠。下に蟹。奥に不明瞭な影。戻り道を切る動き」


 マイラの筆が止まらない。


「敵が、こちらの隊列を崩すように配置されている可能性あり」


 ティアがすぐに言う。


「可能性、で止めて。まだ断定は早いわ」


「はい」


 マイラは頷いた。


 カイルが少し前のめりになる。


「でも、偶然にしては重なりすぎじゃないか?」


「重なりすぎているから、次を見る」


 クレスが答える。


「今日の目的は断定じゃない。敵が散っているのか、組んでいるのか、その可能性を見ることだった」


「はい」


「結果は、組んでいる可能性あり」


 カイルは頷く。


「次は、そこを崩すんですか?」


「まだ崩さない」


 クレスは首を横に振った。


「次は、相手の役割を見分ける」


 カティアが頷く。


「前に立つやつ。横へ目を向けさせるやつ。足元を触るやつ。戻り道に来るやつ」


 ティアが続ける。


「霧を濃くするものがいるかも確認したいわ。自然に濃くなったのか、何かが操作しているのかで対応が変わる」


 メリダが静かに言う。


「次に入るなら、戻る距離を決めたい」


「距離?」


 マイラが聞く。


「はい。奥を見るほど、帰る時間も伸びる。今日は戻れた。でも、戻りながら敵が動いた。次は、どこまで行ったら必ず戻るかを先に決めたい」


 クレスは即座に頷いた。


「採用する」


 カイルがクレスを見る。


「クレスさん、戦う前に戻る場所を決めるんですね」


「ああ」


「分かりました」


 カイルはそう言って、少しだけ霧の方を見た。


 たぶん、奥の不明瞭な影を思い出している。


 行きたい。


 戦いたい。


 確かめたい。


 それを飲み込んで、クレスの判断に従っている。


 ティアがカイルを見る。


「そのまま飲み込んでおきなさい。次に吐き出す場所を間違えなければいいわ」


 カイルは一瞬だけ目を瞬いた。


 それから、少し笑った。


「分かった。場所は間違えない」


 カティアが横から言う。


「間違えたら首根っこ掴むからな」


「それも分かった」


 ラハルが豪快に笑う。


「若い者が我慢を覚える。よきことよ」


「ラハルさんも、受けて止まらないのを忘れないでください」


 メリダが言う。


「うむ。今日も忘れかけた」


「そこは胸を張らないでください」


「む、そうか」


 そのやり取りを見ながら、俺は黒い水膜の前で腕を組んだ。


 冷霧区域は、ただ寒いだけじゃない。


 ただ視界が悪いだけでもない。


 ただ音がずれるだけでもない。


 敵がいる。


 それも、単体で飛び出してくるだけではない。


 正面に置く。


 横へ向ける。


 足元を見るようにさせる。


 戻り道を切る。


 こちらの形を崩すために、複数の動きが重なっている。


 まだ断定ではない。


 だが、かなり嫌な輪郭が見えてきた。


 表示が浮かぶ。


【冷霧区域中層手前の再調査を確認】


【通常魔物の誘導行動を確認】


【冷霧区域奥部の不明瞭な敵影を確認】


【各人の視認内容に差があることを確認】


【敵側隊列構造の可能性を確認】


【撤退路を保った帰還を確認】


【次回調査における役割判別方針を確認】


【獲得DP:780】


【現在DP:4276】


「4276」


『また少し戻ったわね』


「少しずつだな」


『少しずつでいいわ。階層を作る時にまとめて使い、扱いが定まるたびに戻る。それで迷宮は育つ』


「人間の記録と判断で、育ってる感じがする」


『そうね。迷宮は勝手に深くなるだけではないわ。歩く者が意味を与える』


 俺は黒い水膜を見る。


 第5層は、1体の門番を全員で崩す場所だった。


 冷霧区域は違う。


 こちらが隊列を組むように、向こうも何かの形を持っている。


 正面に立つのかもしれない影。


 横で音を鳴らすもの。


 足元に紛れる魔物。


 戻り道へ走る狼。


 それらが偶然なのか、役割なのか。


 次は、そこを見ることになる。


「隊列を崩されないまま、向こうの形を見る」


『見た後は?』


「たぶん、崩す」


『できるかしら』


 俺は水膜の向こうのクレスたちを見た。


 メリダが記録に戻る距離を書き足している。


 カイルは霧の奥を思い出す顔をしている。


 ティアは魔力の使い方を考えている。


 カティアは足元の動きを頭の中でなぞっている。


 ラハルは盾の角度を何度も確かめている。


 クレスは、全員を見ている。


「できるかどうかは分からない」


 俺は言った。


「でも、できる形に近づいてる」


 冷たい霧の中で、敵はばらばらに見えた。


 でも、ばらばらに見えるものが、ばらばらとは限らない。


 清水の迷宮の第6層。


 そこでは、向こうも隊列を組んでいるのかもしれなかった。


後書き

ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回は、冷霧区域の再調査で、敵がただ散っているのではなく、こちらの隊列を崩すように動いている可能性が見えてくる回でした。

まだ断定はできませんが、第5層のような単体の門番とは違う構造が見え始めています。


続きを追っていただける方は、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ