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死にかけのダンジョンコアに拾われたので、清い水から生活インフラ迷宮を始めます  作者: 乾燥しいたけ


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第37話 紅琥珀の試飲会



 紅琥珀の雫。


 仮称。


 金貨五枚。


 その言葉は、清水の酒場にしばらく残った。


 フィンたち若手五人が第4層から戻ったあと、酒場は妙な熱を持っていた。


 琥珀の雫、五本。


 紅琥珀の雫、仮称、一本。


 しかも、赤みを帯びた小型スライムを追わずに倒した。


 停止。


 射線。


 水弾。


 即帰還。


 この流れは、カティアにもクレスにも認められた。


 だが、冒険者たちの耳に一番残ったのは、やはり金額だった。


「金貨五枚……」


「飲んだんだよな、あいつら」


「五人で割ったとはいえ、金貨五枚を……」


「俺なら震える」


「震えてたぞ」


 酒場の隅で、フィンが清水を飲みながら小さくなっている。


 リオは自分の手を何度も見ている。


 ニーナは杖を抱え、何かを反省しているような、嬉しさを噛みしめているような顔をしている。


 マイラは記録板の前で、何度も同じ行を見直していた。


 サナだけは、いつも通りだった。


 いや。


 サナも、清水を一口飲むたびに、少しだけ目を細めていた。


 たぶん、あれは嬉しい。


 分かりにくいけど。


 ミルが五人の近くを通るたびに、にこにこして言う。


「おかえりなさい!」


 五人は、そのたびに少し照れた顔で答える。


「ただいま」


 それを見て、俺は黒い水膜の内側で頷いていた。


「いいなあ」


『何が?』


「戻ってきた感じ」


『それは、迷宮としても悪くないわ』


 ヴェルティアはいつものように腕を組んでいた。


 白い肌。


 銀白に薄紫の混じった髪。


 赤い瞳。


 黒いドレス。


 高貴なるダンジョンコア。


 今日も立ち姿だけなら完璧だった。


 立ち姿だけなら。


 問題は、視線だ。


 ずっと、空になった紅琥珀の雫の瓶を見ている。


 フィンたちが飲み終えたあと、グラントが一滴だけ味見したあの瓶だ。


 もう中身はない。


 ないのに、見ている。


「ヴェルティアさん」


『何かしら』


「見てるね」


『何を?』


「紅琥珀の瓶」


『見ていないわ』


「目線がずっと瓶に刺さってる」


『迷宮報酬の初確認品よ。確認するのは当然でしょう』


「空瓶だぞ」


『空瓶にも情報はあるわ』


「香りとか?」


『そうよ』


「飲みたかった?」


『確認したかったのよ』


「同じじゃない?」


『違うわ』


 ヴェルティアはすました顔で言った。


 だが、目線はまた空瓶へ戻った。


 これはもう完全に飲みたい顔です。


 高貴なる飲みたい顔。


 俺は少し笑った。


「やるか。試飲会」


 ヴェルティアの赤い瞳が、ぴくりと動いた。


『試飲会?』


「紅琥珀の試飲会。冒険者が取得したら、お祝いしようって言ってただろ」


『言ったかしら』


「言った気がする」


『曖昧ね』


「でも、やりたいだろ?」


『……迷宮報酬としての完成度確認は必要ね』


「はい、決定」


 俺は黒い水膜に意識を向けた。


 紅琥珀の雫。


 仮称。


 取得確認済み。


 第4層報酬。


 紅琥珀色小型スライム討伐報酬。


 大地、ヴェルティア、迷宮側確認用。


 表示が浮かぶ。


【紅琥珀の雫、仮称】


【取得確認済み報酬】


【迷宮側試飲用確認】


【DP消費:なし】


 よし。


 やっぱり、そうなる。


 俺は頷いた。


「前の琥珀の雫の時も、試飲でDP使ってないもんな」


『ええ。すでに迷宮内で生成済みの報酬を、迷宮主と迷宮核が確認するだけなら、追加消費は発生しないわ』


「新しく湧き口作るとか、部屋作るとかならDPがいる。けど、作成済みのものを俺たちが使う分にはいらない」


『そういうことね』


「つまり、今日は飲める」


『確認できる、でしょう』


「確認できます」


『よろしい』


 ヴェルティアの声が少しだけ弾んでいた。


 ほんの少しだけ。


 本人は気づいていないかもしれない。


 俺は気づいた。


 言わない。


 言ったら床が沈む。


 俺、ちゃんと学習している。




 黒い水膜の内側に、小さな低い卓を作る。


 その上に、小瓶を一本。


 紅琥珀の雫、仮称。


 冒険者たちが持ち帰ったものと同じ、赤みを帯びた琥珀色の酒。


 光にかざすと、琥珀色の奥に赤が沈んでいる。


 まるで、夕焼けを一滴だけ瓶に閉じ込めたみたいだ。


 小さな杯を二つ。


 泡立つ清水を入れるためのジョッキを一つ。


 匙。


 水。


 準備完了。


「まずは原液で」


『当然ね。薄める前に本質を確認するべきだわ』


「高貴なる本質確認」


『その言い方は軽いわ』


「すみません」


 ヴェルティアは小瓶を手に取った。


 細い指が、瓶の赤みを透かす。


 彼女の赤い瞳と、紅琥珀の色が重なった。


 少しだけ似合いすぎていた。


『……綺麗ね』


「だな」


『迷宮報酬として、見た目は合格よ』


「飲む前から評価高い」


『外観も重要でしょう』


「もちろん」


 ヴェルティアは封を切った。


 香りが、ふわりと広がる。


 琥珀の雫より深い。


 木の香り。


 蜜の甘さ。


 乾いた果実の酸味。


 ほんの少し、煙。


 それから、何か赤いもの。


 味ではなく、色が香りになったような感じ。


「うわ、すごいな」


『……ええ』


 ヴェルティアの声が少しだけ低くなった。


 俺は小さな杯に、ほんの少し注いだ。


「まずは一口」


『分かっているわ』


 ヴェルティアは杯を持ち上げた。


 口に含む。


 沈黙。


 赤い瞳が、ゆっくり開いた。


 そして、閉じる。


 喉が、かすかに動く。


『……』


「どう?」


『……静かにしなさい』


「はい」


 これは、かなり来ている。


 ヴェルティアはもう一度、杯を見た。


『琥珀の雫より、奥があるわ』


「奥」


『甘いだけではないの。香りの底に、乾いた赤い果実のような酸味がある。煙の余韻も長い。強いのに、刺さらない』


「めちゃくちゃ語るじゃん」


『品質確認よ』


「品質確認なら仕方ない」


『そうよ』


 ヴェルティアは、もう一口飲んだ。


 杯は空になった。


 その手が、自然にこちらへ伸びる。


「おかわり?」


『比較用よ』


「何と?」


『一口目と二口目の印象差』


「なるほど」


 俺はもう一度、少しだけ注いだ。


 ヴェルティアは飲んだ。


 今度は、頬にほんの少し赤みが差した。


 白い肌だから、よく分かる。


 あ。


 もう酔い始めてる。


 早い。


 迷宮核、酒に弱い説、かなり濃厚。


「次、泡水割りいく?」


『薄めるのは、少し惜しいわね』


「でもフィンたち、かなりうまそうに飲んでたぞ」


『……比較は必要ね』


「研究熱心だ」


『当然でしょう』


 俺はジョッキではなく、小さめの杯に泡立つ清水を注いだ。


 ぱち。


 ぱちぱち。


 匙に紅琥珀の雫を少し。


 泡水へ落とす。


 赤みがふわっと広がる。


 泡が紅琥珀を抱いて、細かく弾ける。


 香りが軽く広がった。


 原液より明るい。


 杯を渡すと、ヴェルティアは少しだけ眉を上げた。


『香りが変わるのね』


「軽くなるだろ」


『ええ。上に上がる』


「飲みやすくなる」


『それは危険ね』


「そう言いながら飲むんだろ」


『確認よ』


 ヴェルティアは飲んだ。


 一口。


 沈黙。


 もう一口。


 さらに沈黙。


 そして、ぽつりと言った。


『……これは、ずるいわ』


「ずるい?」


『原液は、杯の中に閉じているの。こちらは、口の中で開くわ』


「いい表現」


『泡が香りを連れてくる。薄まっているのに、軽くなった分だけ長く飲める。……人間が騒ぐのも、分からなくはないわ』


「かなり気に入ってるな」


『気に入ったとは言っていないわ』


「じゃあ、もういらない?」


『……まだ比較が終わっていないわ』


「何と?」


『原液、泡水割り、そして濃度差』


「研究項目が増えた」


『必要な確認よ』


 高貴なる確認は、どんどん増えていく。


 俺は笑いをこらえながら、紅琥珀の雫をもう少し注いだ。




 そこから先は、試飲会というより、完全に小さな宴会だった。


 原液をほんの少し。


 泡水割りを少し。


 泡を強めに。


 紅琥珀を少し濃いめに。


 また原液。


 香りだけ。


 もう一口。


 比較用。


 確認用。


 高貴なる再確認。


 言葉は増えた。


 理由も増えた。


 瓶は減った。


 ヴェルティアの頬は、はっきり赤くなっていた。


 座り方も、少しだけ崩れている。


 いつもの背筋ぴん、顎すっ、赤い瞳きりっ、という高貴なるダンジョンコアではない。


 黒いドレスの裾を少し乱して、卓に片肘をついている。


 目が、とろんとしている。


 杯を持つ手も、いつもより少し遅い。


 それなのに本人だけが、まだ高貴なる確認中の顔をしていた。


『大地』


「はい」


『これ、おいしいわ』


「うん。分かる」


『とても、おいしいわ』


「二回言った」


『大事なことよ』


「そうだな」


『大地』


「はい」


『貴方、変ね』


「急に?」


『とても変よ』


「褒めてる流れだと思ってた」


『褒めているわ』


「変が?」


『ええ』


 ヴェルティアは杯を両手で持って、じっと中の泡を見つめた。


 ぱちぱちと、赤みを帯びた泡が弾けている。


『普通の迷宮主なら、もっと欲深いわ』


「いや、俺もだいぶ欲深いぞ」


『違うわ。そういう欲ではなくて』


「どういう欲?」


『支配したがる。奪いたがる。殺して、集めて、積み上げて、自分のものだと叫びたがる』


「物騒だな」


『迷宮は、そういうものよ』


「まあ、否定はできない」


『でも貴方は、水を出したわ』


 ヴェルティアの声が、少しだけゆっくりになる。


『最初に、水を出したの』


「そうだな」


『私は、割れて、乾いて、もう終わると思っていたわ』


 ヴェルティアは杯を見たまま言う。


『誰も来ない。何も残らない。迷宮だったものが、ただの石の穴になって、忘れられる。そうなると思っていたわ』


「……うん」


『そこに貴方が来たの』


 赤い瞳が、こちらを見る。


 いつもより近い。


 いつもより柔らかい。


 いつもより、逃げ道がない。


『変な男だったわ』


「そこは変わらないのか」


『変だったもの。知らない言葉を使って、変な例えをして、すぐ調子に乗って、すぐ足元を沈められて』


「だいぶ沈められたなあ」


『沈めたのは私よ』


「誇らしげ」


『当然よ』


 ヴェルティアは少し笑った。


 笑った。


 いつもの高貴な笑みではない。


 ふにゃっとした、柔らかい笑みだった。


『でも、貴方は逃げなかったわ』


「逃げ場もなかったしな」


『そういうことにしておいてあげる』


「ありがたい」


『水を出して、村人を呼んで、泥を作って、冒険者を転ばせて、赤い雫を出して、琥珀を出して、酒場まで作って』


「並べると、なかなか節操がない」


『節操はないわ』


「ないのか」


『でも、全部つながっているの』


 ヴェルティアは、少し身を乗り出した。


『清水で命がつながった。泥で足が止まった。藻の迷路で帰る意味を覚えた。琥珀で欲を知った。酒場で戻る場所ができた。泡で笑う理由が増えた』


 言葉が、いつもより多い。


 多すぎる。


 だけど、胸の奥にまっすぐ入ってくる。


『貴方が来なければ、私は、ここまで育たなかったわ』


「ヴェルティア」


『私は、高貴なるダンジョンコアよ』


「うん」


『本当は、人間に礼を言う必要なんてないの』


「そうだな」


『でも』


 彼女は杯を置いた。


 少しだけ手が揺れている。


 それから、俺の方へ手を伸ばした。


 指先が、俺の袖をつまむ。


 ぎゅっと。


 弱い力で。


 でも、離さない。


『ありがとう』


 その一言は、清水の間の水音より静かだった。


 でも、はっきり聞こえた。


『大地。私の迷宮を、終わらせないでくれて、ありがとう』


 俺は、しばらく何も言えなかった。


 紅琥珀の香り。


 泡の音。


 黒い水膜の向こうの清水の酒場。


 笑う冒険者。


 働く村人。


 そして、袖をつまむヴェルティア。


 全部が、妙に近く感じた。


「……俺の方こそ」


『何?』


「俺も、ここに来てよかったよ」


 ヴェルティアの目が、少しだけ開く。


「死んで終わりだと思ってた。次に目が覚めたら、知らない場所で、わけ分からない迷宮核に契約されて」


『わけ分からないとは何よ』


「そこ拾う?」


『拾うわ』


「はい」


 俺は少し笑った。


「でも、今はちゃんと仕事してる気がする。水を出して、場所を作って、人が戻ってくるのを見て。なんか、俺でも役に立てるんだなって思える」


『役に立っているわ』


「酔ってるから言ってる?」


『酔っていても、嘘は言っていないわ』


 その返しは、強かった。


 俺は困ったように笑うしかなかった。


「そっか」


『そうよ』


 ヴェルティアは満足そうに頷いた。


 そして、俺の袖をつまんだまま、もう片方の手で杯を探す。


「まだ飲むの?」


『確認が、まだ』


「もうかなり確認したぞ」


『あと少し』


「それ、酔ってる人の台詞だ」


『私は酔っていないわ』


 言った瞬間、黒い床がふにゃっと波打った。


 俺の足元ではない。


 床全体が、ゆるい水面みたいに揺れた。


「床が酔ってる」


『床ではないわ』


「じゃあ何?」


『高貴なる余韻よ』


「便利な余韻だな」


『余韻は高貴なの』


「はい」


 今度は「はい」で止めた。


 俺、学習しました。


 ヴェルティアは杯を見つけられず、少しむっとした顔をした。


『大地』


「はい」


『杯が逃げたわ』


「逃げてない。そこにある」


『近くに持ってきなさい』


「もう水にしとこう」


『紅いのがいいわ』


「今日はここまで」


『けち』


 けち。


 高貴なるダンジョンコアから、けち。


 俺は思わず笑ってしまった。


 ヴェルティアは、むうっと頬を膨らませた。


『笑ったわね』


「笑うだろ。ヴェルティアがけちって」


『けちよ』


「はい」


『素直ね』


「沈みたくないからな」


『沈めるかどうか、少し迷っていたわ』


「危なかった」


『清水を持ってきたら、許してあげる』


「すぐお持ちします」


 俺は小さな杯に清水を注いで渡した。


 ヴェルティアは不満そうに受け取る。


 飲む。


 少し黙る。


『……清いわ』


「清水だからな」


『最後は、清水なのね』


「フィンも言ってた」


『悪くないわ』


 ヴェルティアは、清水の杯を両手で持ったまま、ゆっくり目を閉じた。


 そのまま、こくりと頭が傾く。


「寝るなよ」


『寝ていないわ』


「目、閉じてる」


『高貴なる休息よ』


「はい」


 数秒後。


 ヴェルティアは、本当に静かになった。


 寝た。


 高貴なる休息、完全に寝た。


 俺は小さく息を吐いて、黒い水膜の向こうを見る。


 清水の酒場では、片付けが始まっていた。


 ミルはエナさんに連れられて帰るところだ。


 フィンたちは、まだ少しだけ震えながらも、最後には笑っていた。


 カティアは腕を組んで何かを言い、クレスは静かに頷いている。


 迷宮は、今日も終わらなかった。


 終わらずに、一日を積み重ねた。


「ありがとう、か」


 袖には、まだヴェルティアの指先が軽く触れていた。


 その言葉は、思ったより重かった。


 そして、思ったより嬉しかった。




 翌朝。


 ヴェルティアは、ものすごく静かだった。


 黒い水膜の内側。


 いつもの椅子。


 いつもの黒いドレス。


 いつもの赤い瞳。


 いつもの高貴なる姿勢。


 ただし、耳が赤い。


 とても赤い。


 紅琥珀の雫より、分かりやすく赤い。


「おはようございます」


『……おはよう』


「体調は?」


『問題ないわ』


「昨日のこと、覚えてる?」


『……』


「覚えてるんだ」


『黙りなさい』


「はい」


 ヴェルティアは顔をそらした。


 だが、耳の赤さは隠せない。


『私は、何か余計なことを言ったかしら』


「うーん」


『言ったのね』


「かなり」


『忘れなさい』


「無理だな」


『なぜ』


「嬉しかったから」


 ヴェルティアが、こちらを見た。


 赤い顔のまま。


 怒っているようで、怒りきれていない顔だった。


「ありがとな。昨日の言葉」


『……酔っていたわ』


「酔ってても、嘘じゃないって言ってた」


『それも忘れなさい』


「それはもっと無理」


 床が、俺の足元だけ少し沈んだ。


 深くはない。


 注意くらいの沈み方だ。


「はい、ここまでにします」


『そうしなさい』


 ヴェルティアは咳払いをした。


 そして、何事もなかったように黒い水膜へ視線を向ける。


『それで、次はどうするの?』


「切り替え早いな」


『高貴なる迷宮核は、過去の失態に長く囚われないのよ』


「失態扱いなんだ」


『……失態ではないわ』


「どっち?」


『聞かない』


「はい」


 俺は笑いながら、黒い水膜に意識を向けた。


 第1層。


 清水の酒場。


 第2層。


 ぬかるみ回廊。


 第3層。


 藻の迷路。


 第4層。


 琥珀の貯蔵庫。


 ここまで、回り始めた。


 水。


 訓練。


 赤い雫。


 琥珀の酒。


 泡立つ水。


 紅琥珀の一滴。


 冒険者たちは挑み、戻り、飲み、笑う。


 村人は働き、商人は値段をつけ、職人は道具を直す。


 迷宮は、少しずつ生活と欲を抱えて育っている。


 なら、次だ。


「第5層だな」


 ヴェルティアの目が、少し鋭くなる。


『構想は?』


「ある」


 黒い水膜に、青白い表示が揺れた。


【第5層構想候補】


【髪艶】


【手肌】


【爪】


【香り】


【生活と欲を結ぶ報酬群】


 ヴェルティアは表示を見て、少しだけ眉を上げた。


『美容寄りね』


「紅肌の雫で血色。琥珀の雫で嗜好品。次は、日常に戻った時にじわっと効くやつがいいと思う」


『治療ではなく、整えるもの』


「そう。怪我を治すとか、病気を治すとか、若返るとかはまだ重い。まずは髪、手、爪、香り。冒険者にも村人にも商人にも貴族にも刺さる」


『欲が広いわね』


「生活の欲は強いぞ」


『でしょうね』


「それに、第5層まで来る冒険者は増える。報酬も、争いになりすぎない方向で種類を増やしたい」


『清水の迷宮らしいわ』


「そう言われると、ちょっと嬉しいな」


 ヴェルティアは、少しだけ口元を緩めた。


『変な迷宮主ね』


「昨日も言われた」


『何のことかしら』


「覚えてるじゃん」


 俺の足元が、また少し沈んだ。


 浅い。


 でも、確かに沈んだ。


「はい、忘れました」


『よろしい』


 清水の間には、朝の水音が響いている。


 ぽたり。


 ぽたり。


 酒場の泡はまだ静かだ。


 冒険者たちは、これから起き出す。


 村人たちは、これから働き始める。


 第4層では、琥珀色の水脈が静かに流れている。


 そして、その先に、まだ形のない第5層が待っている。


 俺は黒い水膜の前で、軽く手を叩いた。


「よし。今日も迷宮運営、やりますか」


『当然よ』


 ヴェルティアが言った。


 昨日より、ほんの少しだけ柔らかい声で。


 清水の迷宮は、また次の層へ向けて動き始めた。


後書き

ここまで読んでいただきありがとうございます。


紅琥珀の試飲会でした。

最後はやっぱり、清水で。


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