第30話 数字とひと口
プロンテラから来る一行を迎えるため、クレスたちは朝から街道へ出ていた。
前日の森狼討伐で、群れは街道脇から離れている。
だが、全滅したわけではない。
森はまだ森だ。
安全になったのではなく、危険の位置が分かっただけ。
だから、迎えの護衛が必要だった。
クレス、カティア、メリダ。
リオ、サナ、フィン、マイラ、ニーナ。
そしてザック組。
人数は多い。
だが、誰も浮かれていない。
フィンは左腕に布を巻いたまま、骨笛を首から下げている。
昨日の傷は浅い。
だが、本人は何度もその位置を確認していた。
「痛むか?」
リオが聞く。
「痛いです」
「正直だな」
「痛くないって言って調子に乗ると、カティアさんに見抜かれるので」
サナが短く言う。
「見抜かれる」
フィンは真顔で頷いた。
「怖い」
カティアが少し離れたところで振り返る。
「聞こえてるぞ」
「聞こえる位置で言いました!」
「余裕があるな」
「余裕ではなく、生存戦略です」
カティアは鼻で笑った。
クレスは街道の先を見ている。
森の奥には、まだ気配がある。
灰色の影は見えない。
だが、視線のようなものは残っている。
昨日、頭の森狼に傷を入れた。
群れは学んだはずだ。
この道は、簡単な狩り場ではない。
フィンが森の方を見て、小さく言った。
「見られてますね」
クレスが頷く。
「ああ。だが、出てこない」
「昨日の戦いは、勝ったというより、境界線を引いた感じですか」
「そうだ」
クレスは静かに答えた。
「ここから先は、人間の道だと教えた。向こうが忘れれば、また来る」
ニーナが杖を抱え直す。
「魔物も、覚えるんですね」
メリダが笑った。
「覚えるねえ。だから、こっちも覚えておかないと食われる」
やがて、街道の先に馬車が見えた。
護衛に囲まれた、二台の馬車。
荷馬車ではない。
車体は頑丈で、扉にはプロンテラ商人ギルドの印が入っている。
先頭の護衛が、クレスに気づいて手を上げた。
「Bランク剣士クレス殿か」
「ああ」
馬車が止まる。
中から降りてきたのは、細身の中年男だった。
灰色の髪を後ろで結び、鼻に細い銀縁の眼鏡をかけている。
服装は商人というより、書記官に近い。
腰には小さな革鞄。
手には記録板。
男は丁寧に頭を下げた。
「プロンテラ商人ギルド所属、鑑定人セヴランです」
続いて、もう一人。
こちらは体格のよい男だった。
柔らかい笑みを浮かべているが、目は鋭い。
商人ギルドの交渉役、グラントと名乗った。
「いやはや、ここまで来るのに、ずいぶん警戒されましたな」
カティアが言う。
「森狼が出た道で警戒しない方がどうかしてる」
「ごもっとも」
グラントは笑った。
セヴランは街道脇の森を見ていた。
「報告では、森狼の頭個体に負傷を与えたとありました」
クレスが頷く。
「全滅ではありません。街道から剥がしただけです」
「十分です。商人にとって、道が通れるかどうかは命ですから」
セヴランはクレスたちを見る。
そして、リオたちにも目を向けた。
「あなた方が、清水の迷宮で訓練を受けている若手ですか」
リオが少し身構える。
「訓練を受けているというか、潜っているというか」
サナが短く言う。
「戻る練習をしている」
セヴランは一瞬だけ瞬きをした。
「戻る練習」
フィンが補足する。
「奥へ行く練習より、戻る練習です」
セヴランは記録板に何かを書いた。
「興味深い」
グラントが笑う。
「いや、実に面白い。報酬を出すだけの迷宮ではなく、冒険者を育てる迷宮というわけですな」
クレスは表情を変えずに言った。
「育てるかどうかは、迷宮が決めることです」
グラントの笑みが、少し深くなった。
「なるほど。噂通り、扱いにくそうだ」
カティアが短く言う。
「扱う気で来たなら帰れ」
「怖い怖い。今日は見て、確かめて、値段をつけるために来ました。まだ買い占めには早い」
「早いだけかよ」
「商人ですので」
カティアは舌打ちした。
だが、クレスは歩き出した。
「清水の迷宮へ案内します」
清水の間にプロンテラ組が入った時、最初に反応したのはセヴランだった。
彼は水場を見た。
水汲み区域。
冒険者待機区域。
報酬確認台。
取引相談用の石席。
荷物置き場。
不要物投入口。
そして、壁に並ぶ短い木札。
セヴランはしばらく黙っていた。
次に、眼鏡を指で押し上げた。
「……人間が作ったのですか?」
仮受付の職員が首を横に振る。
「いいえ。清水の迷宮が、利用状況に応じて変化しました」
グラントが石席を見て笑う。
「これは、すでに小さな取引所ですな」
オルド村長が近くで言った。
「取引所ではない。迷宮の入口です」
グラントは村長を見る。
「しかし、人が集まり、報酬が記録され、依頼が発生する。商人の目には、取引所の芽に見えます」
「芽であっても、根は迷宮にある」
オルドの声は低い。
「村は迷宮を持っているのではない。迷宮のそばにあるだけです」
セヴランはその言葉も記録した。
トマが小声でエリオ神官に言う。
「また、記録されました」
エリオ神官が静かに頷く。
「人間が名前をつけようとする場所ほど、記録は増えます」
清水の間には、いつも以上に人が多かった。
冒険者。
村人。
宿場町から来た使者。
商人見習い。
そしてプロンテラ商人ギルドの一行。
水音だけが、変わらず響いている。
黒い水膜の内側で、俺はその様子を見ていた。
「来たなあ、本職」
『値段をつける者たちね』
「言い方が怖いけど、だいたい合ってる」
セヴランは水場を見る目も、石机を見る目も、普通の人間と違っていた。
便利そうだとか、不思議だとか、怖いとかではない。
何が確認できるか。
何が記録できるか。
何が取引の根拠になるか。
そういう目だ。
「商人って、怖いな」
『貴方も人間の欲を並べて迷宮にしているでしょう』
「俺のは生活インフラ運営。あっちは完全に値札の魔術師」
『値札の魔術師』
「怖いだろ」
『少し気に入ったわ』
「気に入るんだ」
ヴェルティアは赤い瞳を細めた。
『でも、見ておきなさい。値段がついた瞬間、人間は増えるわ』
「だよなあ」
俺は報酬確認台を見る。
今日、たぶんここが本番になる。
最初に確認されたのは、紅肌の雫だった。
報酬確認台の上に、本物の紅肌の雫が一本置かれる。
取得者はザック組のユーリ。
昨日、別のDランク組から買い取ったものではなく、記録の残っている取得品だ。
取得日は二日前。
有効日数は、現在十八。
その横に、宿場町で見つかった偽物の赤い瓶も置かれた。
こちらは普通の薬瓶だ。
中身は赤い。
だが、瓶の形も、封も、迷宮報酬のものとは違う。
セヴランは二つを見比べた。
「まず、本物の確認方法を」
マイラが前に出た。
「魔力を流すと、水紋数字が出ます」
「水紋数字」
「数字だけです」
マイラは強調した。
「そして、浮かぶのは残日数だけです」
セヴランが頷く。
「では、お願いします」
マイラは本物の紅肌の雫へ軽く魔力を流した。
瓶の底。
赤い液の向こう側に、淡い数字が一つだけ浮かぶ。
十八。
清水の間が静まる。
セヴランは眼鏡の奥で目を細めた。
「残日数、十八」
仮受付の職員が記録板を開く。
「取得記録と一致します。取得日は二日前。現在残日数、十八」
セヴランは頷く。
「水紋数字は残日数だけ。取得者や取得番号は、別の記録で照合するわけですね」
「はい」
続いて、報酬確認台に紅肌の雫が置かれる。
仮受付の職員が魔力を流す。
石面にも、同じ数字が浮かんだ。
十八。
仮受付の記録板には、取得者、取得日、現在残日数が残っている。
すべて一致している。
セヴランは小さく息を吐いた。
「なるほど。瓶の水紋数字と、報酬確認台の水紋数字。そして仮受付の記録を照合する」
グラントが偽物の赤い瓶を見た。
「では、こちらは?」
マイラは偽物の瓶へ魔力を流した。
何も出ない。
赤い液体が、ただ赤いだけで沈黙している。
さらに報酬確認台に置く。
台も沈黙した。
しばらくして、石面に短い文字が浮かぶ。
該当記録なし。
職員が小さく息を呑む。
グラントは腕を組んだ。
「分かりやすい」
だが、セヴランはすぐに言った。
「今後は、数字を刻んだ偽物が出るでしょう」
マイラの表情が硬くなる。
「はい」
「では、数字があるだけでは本物扱いしない」
セヴランは記録板へ書き込む。
「水紋数字で残日数を確認。さらに取得者記録、取得日、報酬確認台での照合。これらが一致するもののみ、本物として買い取り可能」
グラントが頷いた。
「商人ギルドとしても、その形が良いですな。数字だけなら真似できる。記録までは真似しにくい」
マイラが言う。
「水紋数字は残日数を見るためのものです。本物かどうかは、記録と確認台まで見てください」
セヴランはマイラを見た。
「あなたは治療師ですか」
「治癒も使います。でも今は記録係です」
「良い記録係です」
マイラは少しだけ目を伏せた。
フィンが隣で小さく言う。
「褒められた」
「静かに」
「はい」
カティアが横から睨む。
フィンはすぐに天井を見た。
グラントは報酬確認台を見ながら、にこやかに言った。
「紅肌の雫は、店に並べるより取得依頼の形が良いでしょうな」
冒険者たちがざわつく。
「取得依頼?」
「店で売るんじゃないのか?」
グラントは人々を見る。
「日数が減る品です。保管して並べるには向かない。欲しい者が冒険者へ依頼を出し、取得後、報酬確認台で真贋と残日数を確認する。その方が安全で、値段もつけやすい」
セヴランが続ける。
「残日数十八以上なら高くなる。十を切れば下がる。記録なしは買い取り不可。治療薬としての販売は禁止すべきです」
マイラが強く頷いた。
「それは徹底してください」
グラントは笑った。
「もちろん。病が治るなどと吹聴されれば、商人ギルドも困ります。美容、顔色、肌の印象改善。そこに絞るべきです」
サナが短く言う。
「依頼が増える」
リオが報酬確認台を見る。
「第3層を安定して回れるだけで、仕事になるのか」
クレスが言う。
「なる。だからこそ、危険でもある」
リオは頷いた。
「欲を見たら、足が速くなる」
サナも頷く。
「戻る足も必要」
清水の間に、新しいざわめきが広がっていく。
紅肌の雫は、商品として棚に並ぶのではない。
冒険者への取得依頼として、人を動かし始める。
次に、琥珀の雫が報酬確認台へ置かれた。
封をされた小瓶。
琥珀色の液体。
その場にいた冒険者たちの目が、自然と集まる。
カティアはすでに飲んでいる。
バルムも香りと味の価値を知っている。
だが、まだ飲んだ者は少ない。
グラントが身を乗り出した。
「こちらが琥珀の雫ですな」
セヴランは封を確認し、瓶の厚みを見る。
光に透かす。
匂いを確かめる。
それだけで、表情が変わった。
「通常の醸造酒ではありません」
バルムが横から言う。
「だろうな。あれは宿場町の酒樽から出る匂いじゃない」
セヴランは頷く。
「酒に近い。だが、熟成とも少し違う。魔力を帯びた嗜好品、と記録するのが妥当でしょう」
グラントの目が光る。
「富裕商人、酒商、貴族家の宴席。欲しがる者は多い」
カティアが言う。
「欲しがるだけなら誰でもできる。取りに行くのは冒険者だ」
「もちろん」
グラントは笑みを崩さない。
「だからこそ、取得依頼です」
クレスは琥珀の雫を見ていた。
セヴランが問いかける。
「クレス殿。前回と今回、あなたは第4層を踏破していますね」
「ああ」
「取得者代表として、一本開けていただけますか。鑑定用の全量消費ではなく、飲用時の反応確認です」
カティアが眉を上げた。
「今度はクレスか」
メリダがにやにやする。
「いいねえ。真面目な人間が飲むと、酒の怖さがよく分かる」
クレスは少しだけ困ったような顔をした。
「飲む必要があるなら飲む」
カティアが笑う。
「必要があるなら、って言い方で酒を飲むやつ、初めて見たぞ」
バルムが小瓶を見つめる。
「小瓶一本で、ほんのひとくち分だ。杯に分ける酒じゃない。これは、ひと口で終わる。だから高い」
グラントが頷く。
「量が少ないから安い、ではありません。量が少ないから奪い合いになる品です」
その言葉に、冒険者たちがざわめいた。
クレスは小瓶を受け取り、封を切った。
空気が変わる。
琥珀の香りが、清水の間に淡く広がった。
甘い。
だが、甘すぎない。
木の樽。
火を通した蜜。
乾いた果実。
遠い煙。
その全部が、ほんの小さな瓶の中に閉じ込められていた。
フィンが小声で言う。
「香りだけで、もう高そう」
マイラが記録板を構える。
「静かに」
クレスは香りを確かめた。
そして、ほんの一口。
琥珀の雫を飲んだ。
飲み込んでから、しばらく何も言わなかった。
清水の間が静まり返る。
カティアが腕を組む。
「どうだ?」
クレスは空になった小瓶を見た。
「……これは、急がせる味だな」
グラントが目を細める。
「急がせる?」
「うまい。だから危ない」
クレスは静かに言った。
「もう一度取りに行きたくなる」
その一言で、周囲の冒険者たちが息を呑んだ。
カティアが小さく笑う。
「だろ」
メリダが香りの残る空瓶を見て、少しだけ悔しそうにする。
「香りだけで我慢するのは、なかなか修行だねえ」
フィンが目を輝かせる。
「そんなにですか」
カティアが即座に言う。
「お前はまだ第4層へ飲みに行くな」
「飲みに行くとは言ってません」
「顔が言ってる」
「顔、また先走った」
ニーナが小瓶を見て、小さく呟いた。
「飲みたくなる報酬……」
サナが短く言う。
「危ない」
リオも頷く。
「欲が、目に見えるな」
セヴランは記録板へ書き込む。
「琥珀の雫。治療効果、強化効果は未確認。酒に近い魔力嗜好品。極めて高い嗜好価値。少量ゆえに、取得依頼向け」
グラントが指を組んだ。
「これは、依頼が出ますな」
カティアが言う。
「もう出す気だろ」
「はい」
正直すぎる返答だった。
「酒商から一本。富裕商人から一本。貴族家の試飲用に一本。商人ギルド保管用に一本。最低でも、すぐに四件は出せます」
清水の間が揺れた。
声ではない。
欲で。
冒険者たちの目が変わる。
第4層。
琥珀の雫。
金貨。
名声。
飲みたい。
売りたい。
取ってきたい。
その全部が、空気に混ざる。
クレスはすぐに言った。
「依頼を出すのは自由だ。ただし、受けられる者は限る」
カティアも続ける。
「第4層踏破記録がないやつに出すな。飲みたいだけの馬鹿を殺す依頼になる」
グラントは真顔で頷いた。
「もちろんです。依頼条件は取得物と取得本数、報酬額、必要な踏破記録。余計なことは書きません」
クレスが言う。
「危険行動の注意は、依頼札ではなく講習で扱う」
「承知しました」
グラントは書類を出した。
そこには、すでに依頼案が書かれている。
琥珀の雫 取得依頼。
本数 一。
報酬 金貨一枚。鑑定結果により上乗せあり。
条件 第4層踏破記録保持者。
確認 仮受付で取得記録を残すこと。
カティアがそれを見て言った。
「商人だな」
「商人ですので」
グラントはにこやかに答えた。
黒い水膜の内側で、俺は頭を抱えていた。
「うわ、依頼札が増える」
『欲が仕事の形になったのよ』
「水場から始めたのに、完全にクエストボードになってきた」
『悪いことではないわ』
「悪くはない。でも、依頼が増えたら挑戦者も増える。第3層も第4層も、人が増えたら死ぬやつが出る」
『だから、先に仕組みを作るのでしょう』
「そうだな」
俺は報酬確認台を見る。
紅肌の雫は、残日数だけを示す水紋数字。
でも、それだけでは足りない。
取得者記録。
取得日。
報酬確認台での照合。
迷宮の記録。
全部を合わせて、本物扱いにする。
「偽物対策、ちゃんと形になりそうだな」
『人間は真似をするものね』
「数字だけなら真似する。瓶も真似する。効能も盛る。でも、記録までは簡単に真似できない」
『迷宮の内側で得たものは、迷宮の記録に残る』
「便利だなあ、迷宮」
『今さら?』
「毎回思ってる」
俺はクレスを見た。
クレスは琥珀の雫を飲んでも、顔を崩さなかった。
でも、言葉は重かった。
うまい。
だから危ない。
もう一度取りに行きたくなる。
「いい反応だったな」
『あの剣士は、欲も言葉にできるのね』
「本当に主人公力が高い」
『また言っているわ』
「だってさあ」
ヴェルティアは呆れたように息を吐いた。
だが、否定はしなかった。
その日の夕方。
仮受付の横に、依頼札が増えた。
最初は一枚。
すぐに二枚。
そして、三枚。
紅肌の雫 取得依頼。
本数 一。
報酬 大銀貨三枚。
条件 第3層踏破帰還記録保持者。
確認 水紋数字および報酬確認台での記録照合必須。
紅肌の雫 取得依頼。
本数 二。
報酬 一本につき大銀貨二枚。残日数十八以上なら上乗せ。
条件 第3層踏破帰還記録保持者。
確認 取得者記録必須。
琥珀の雫 取得依頼。
本数 一。
報酬 金貨一枚。鑑定結果により上乗せあり。
条件 第4層踏破記録保持者。
確認 仮受付で取得記録を残すこと。
冒険者たちが、依頼札の前に集まった。
リオが低く呟く。
「第3層を回れるだけで、仕事になる」
サナが言う。
「でも、欲を見たら足が速くなる」
マイラが頷いた。
「だから記録と確認が必要」
ニーナが少し不安そうに言う。
「挑戦者、増えますね」
クレスが静かに答えた。
「増える。だから、死なせない仕組みを先に作る」
カティアも腕を組む。
「第3層講習を増やす。第4層はまだ絞る。紅肌で浮かれたやつを藻に沈めて、琥珀で酔ったやつを貯蔵庫に沈めるわけにはいかねえ」
メリダが笑う。
「臆病者講習も忙しくなりそうだねえ」
フィンが依頼札を見上げる。
「依頼札って、こんなに増えると圧がありますね」
サナが短く言う。
「欲の壁」
「言い方が強い」
だが、誰も否定しなかった。
赤い雫は、鏡の前へ行きたい者を呼ぶ。
琥珀の雫は、杯の前へ行きたい者を呼ぶ。
だが、そのどちらも、まず迷宮の奥へ行かなければ手に入らない。
そして、迷宮の奥へ行く者には、戻る判断が必要だった。
黒い水膜の内側に、青白い表示が浮かんだ。
【プロンテラ商人ギルド関係者の来訪を確認】
【紅肌の雫 残日数を示す水紋数字を外部認識されました】
【紅肌の雫 報酬確認台および取得記録との照合が取引条件化されました】
【琥珀の雫 高級嗜好品として外部評価されました】
【琥珀の雫 取得依頼発生を確認】
【紅肌の雫 取得依頼増加を確認】
【商人欲、冒険者欲、記録欲、鑑定欲、警戒、名声欲を獲得】
【獲得DP:486】
【現在DP:3458】
「……増えたな」
『増えたわね』
「DPも、人も、依頼も、面倒も」
『高貴なる成長よ』
「成長って、だいたい雑務も増えるんだよな」
『元会社員らしい感想ね』
「元会社員だからな」
俺は依頼札を見た。
紅肌の雫。
琥珀の雫。
第3層踏破者。
第4層踏破記録保持者。
文字だけで、人間の欲が見える。
それは少し怖くて、少し面白くて、そしてかなり忙しそうだった。
「大丈夫大丈夫! なんとかなるって!」
『今回ばかりは、根拠を用意してから言いなさい』
「はい。講習、記録、確認台、導線、帰還基準」
『……少しは考えているようね』
「そりゃあな。死にかけのコアを拾った時よりは、俺も成長してる」
『拾ったのは私よ』
「拾われました」
『よろしい』
ヴェルティアは少しだけ満足そうに頷いた。
清水の間では、依頼札の前に冒険者たちが集まっている。
水音は変わらず響いている。
ぽたり。
ぽたり。
水場だった場所は、依頼が生まれる場所になった。
けれど、その奥にあるのは迷宮だ。
値段がついたからといって、優しくなるわけではない。
紅肌の雫も、琥珀の雫も。
欲しいなら、潜れ。
欲しいなら、戻れ。
清水の迷宮は、そう言っているようだった。
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
プロンテラの商人ギルドが到着し、紅肌の雫と琥珀の雫に本格的な値段と依頼がつき始めました。
紅肌の雫は残日数を示す水紋数字と記録照合、琥珀の雫はクレスの一口で、その危うい価値が見えてきました。
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