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死にかけのダンジョンコアに拾われたので、清い水から生活インフラ迷宮を始めます  作者: 乾燥しいたけ


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3/22

第3話 清い水は、欲も映す



 村人たちが帰った翌朝。


 清水の迷宮は、昨日よりも少しだけ明るかった。


 いや、気のせいかもしれない。


 洞窟の壁は相変わらず黒ずんでいる。


 床は相変わらず粗い。


 看板は相変わらずちょっと斜め。


 でも、石の割れ目から落ちる水音だけは、昨日より元気に聞こえた。


 ぽたり。


 ぽたり。


 ぽたり。


「……なあ、ヴェルティア」


『何?』


「水音が三割増しで前向きじゃない?」


『水音に前向きも後ろ向きもないわ』


「あるだろ。今のは、やる気のある水音だ」


『貴方、疲れているのではなくて?』


「昨日からずっと疲れてる」


『迷宮主が二日目で疲労を訴えないでちょうだい』


「二日目だから疲れるんだよ。初日の緊張が翌日に来るタイプなんだ」


『面倒な肉体ね』


「元人間だからな」


 俺は水場の前に座り、青白い表示を見上げた。


【現在DP:38】


 それだけだ。


 余計な候補は出ない。


 何ができるかは、俺とヴェルティアで考える。


 DPはポイントではあるが、メニューから選ぶゲームの項目ではない。


 俺の欲と、ヴェルティアの迷宮核としての力。


 その二つを混ぜて、形にする燃料だ。


「よし。清水の間を整えるぞ」


『ようやく罠を作る気になったのね』


「違う」


『毒針?』


「違う」


『落とし穴?』


「違う」


『では、天井から槍が降る仕組み?』


「なんで朝イチから殺意の通販番組を始めるんだよ」


『迷宮核だもの』


「今は生活区域!」


 俺は床を指差した。


「まず、この床。ガタガタすぎる。足の悪い老人が転ぶ。子どもも転ぶ。水がこぼれる。水がこぼれると床が濡れる。濡れるとさらに滑る。滑ると転ぶ。転ぶと見てるこっちの気が気じゃない」


『最後だけ貴方の事情ね』


「管理する側としては大問題なんだよ」


『迷宮主でしょう、貴方』


「迷宮主だって安全第一だ」


 ヴェルティアのコアが、赤黒くゆっくり明滅する。


『つまり、床を整えるのね』


「ただ滑らかにするだけじゃ駄目だ。濡れても滑りにくいように少しざらつかせる。水が流れる溝を作る。水汲み場と待つ場所を分ける。入口から入って、左で待つ。中央で汲む。右から出る」


『……妙に具体的ね』


「前世で店舗改装の打ち合わせに巻き込まれたことがある」


『貴方の前世、便利なのか不幸なのか分からないわ』


「どっちもだな」


『でも、動線という考え方は悪くないわ。人間は群れると鈍くなるもの』


「その言い方はひどいけど、だいたい合ってる」


 俺は小さな水場を見た。


 昨日は、あれで足りた。


 でも、村に知られた以上、今日からは無理だ。


 人は増える。


 桶も増える。


 病人の家族も来る。


 水を売ろうとする者も出る。


 親切な顔をして、樽を持ってくる奴もいるかもしれない。


 その全部を、感情だけで受け止めたら壊れる。


 だから仕組みにする。


 俺が毎回うんうん悩まなくてもいいように、迷宮そのものに判断させる。


 昨日分かった。


 この迷宮は、欲を読める。


 困っている者と、売ろうとしている者。


 本当に必要な追加と、ただの大量持ち出し。


 その区別を、水場自身が勝手にやってくれる。


 便利すぎる。


 高貴なる自動判定システムである。


 本人に言うと怒るので、心の中だけで呼ぶ。


「あと、水を汲む場所は二つに分けたい」


『二つ?』


「その場で飲む場所と、桶に汲む場所」


『なぜ分けるの?』


「飲みたい人と持ち帰りたい人が同じ場所に立つと詰まる。病人本人が来た時、桶を持った人の列に並ばせるのはきつい」


『なるほど。弱った者を優先する構造にするのね』


「そう。壁文字だけだと、どうしても人間同士で揉める。場所そのものに優先順位を持たせる」


『場所そのものに命令させるわけね』


「それ。口で言うより、構造で誘導した方が早い」


『貴方、人間のくせに迷宮っぽい発想をするわね』


「会社員時代に人間誘導は散々やったからな。行列、動線、貼り紙、床の矢印、全部大事」


『床の矢印?』


「人間は床に線があると、わりと従う」


『人間、単純すぎない?』


「単純だから混むんだよ」


 俺は立ち上がった。


「じゃあ作るぞ。水場を広げる。床を整える。待つ場所を作る。飲む場所と汲む場所を分ける。排水溝を作る。壁文字は見やすいところに移す」


『高貴な装飾は?』


「今はいらない」


『黒薔薇の柱は?』


「いらない」


『赤い魔石を埋め込んだ玉座は?』


「誰が座るんだよ」


『私』


「まだ宝石じゃん」


『いつか座るのよ!』


「気が早い!」


 ヴェルティアがぷるぷる震えた。


 死にかけコアのくせに、自己演出への欲だけはやたら元気だ。


「まあ、将来的には高貴な感じも出そう。今はまず、安全で清潔な水場」


『清潔……』


「嫌そうに言うな」


『迷宮なのに清潔を重視する日が来るとは思わなかったわ』


「生活インフラ型ダンジョンだからな」


『その言葉、相変わらず高貴さが薄いわ』


「でも強い」


『……否定はしないわ』


 水音が、一瞬だけ止まった。


 次の瞬間、床の下から低い音が響いた。


 ごごご、と石が動く。


 黒ずんでいた床が、ゆっくり淡い灰色の石へ変わっていく。


 真っ白ではない。


 少しだけ青みを帯びた、しっとりした石だ。


 表面には細かな凹凸があり、濡れても滑りにくそうだった。


 水場の周囲には、浅い溝が刻まれる。


 こぼれた水は自然に端へ流れ、奥の細い穴へ落ちていく。


 入口から左側には、低い石の段差。


 腰を下ろせる待機場所だ。


 中央には、桶を置ける高さの水受け。


 右側には、手ですくって飲める低い水盤。


 子どもでも届く。


 老人でも屈みすぎずに飲める。


 壁文字は、入口正面の見やすい高さへ移動した。


 転売禁止。


 大量持ち出し禁止。


 破壊行為禁止。


【清水の間を整えます】


【DPを24消費しました】


【現在DP:14】


「おお……」


 俺は思わず声を漏らした。


「めっちゃ水汲み場っぽい」


『感想が庶民』


「だって水汲み場だから」


『高貴なる清水の間よ』


「名前はかっこいい」


『名前だけではないわ!』


 ヴェルティアが怒る。


 でも、コアの光はどこか誇らしそうだった。


 昨日まで死にかけの洞窟だった場所が、今はちゃんと人を迎える形を持っている。


 それは、少しだけ感動する光景だった。


「よし。これなら村人も使いやすい」


『人間を迎えるために迷宮を整えるなんて、妙な気分ね』


「嫌か?」


『……嫌ではないわ』


「お」


『ただし、勘違いしないで。これは人間に媚びたのではない。人間の欲を、より効率よく集めるための高貴なる整備よ』


「はいはい」


『はいは一回!』


「小学校の先生か」


『誰が先生よ!』


 その日の朝、ルスカ村の人々はまた森へ向かった。


 先頭に立つのは、村長オルド。


 その後ろに、桶を持った村人たち。


 昨日より人数は多い。


 ただし、足取りは昨日ほど荒くなかった。


 水がある。


 それを知っただけで、人は少しだけ落ち着く。


 だが、落ち着きは余裕とは違う。


 空桶を握る手は強く、目は真剣だった。


「村長、本当にまた水はあるんだろうな」


「あると決まったわけではない」


「でも昨日はあった」


「昨日あったから今日もある、と決めつけるな」


 オルドは振り返らずに言った。


「相手は井戸ではない。迷宮だ」


 その言葉に、村人たちは口を閉じた。


 森を抜け、黒い石の洞窟が見えてくる。


 入口の看板は昨日と同じだった。


 清い水、あります。


 困っている人、歓迎。


 奪いに来る人、お断り。


 ミルが小さく手を振った。


「おはようございます」


 返事はない。


 けれど、入口の奥からは水音がした。


 昨日より、はっきりと。


 オルドが中へ入る。


 そして、立ち止まった。


「……変わっておる」


 後ろの村人たちが、息を呑んだ。


 昨日までは、粗い洞窟だった。


 今日は違う。


 床は淡い灰色の石で整えられ、水場の周りには溝が走っている。


 左には待つための低い石段。


 中央には桶を置く水受け。


 右には手ですくって飲める低い水盤。


 水は澄んでいて、静かに流れている。


 壁には短い文字。


 転売禁止。


 大量持ち出し禁止。


 破壊行為禁止。


 誰かが震える声で言った。


「一晩で……?」


「やっぱり、ここは普通の洞窟じゃない」


「迷宮が、村人用に作り替えたのか?」


「そんなこと、あるのかよ」


 村人たちは怖がった。


 同時に、ほっともした。


 怖い。


 でも、使いやすい。


 得体が知れない。


 でも、何をしてはいけないかは分かる。


 その矛盾した感情が、清水の間に満ちていく。


 俺は奥からその様子を見ていた。


「いい反応だな」


『畏れと感謝が混ざっているわ。悪くないわね』


「人間って複雑だな」


『だから美味しいのよ』


「言い方」


 オルド村長は壁文字を読み、それから村人たちに向き直った。


「昨日と同じだ。順番を守れ。病人、子ども、老人を優先する。余分に必要な者は、隠さず先に言え」


 村人たちがうなずく。


 最初に進み出たのは、熱を出した子を抱いた女だった。


 女は低い水盤の前で子どもを抱き直し、手ですくった水を口元へ運ぶ。


 子どもが、こくりと飲んだ。


「飲めた……」


 女の声が震える。


 水盤の高さが、ちょうどよかった。


 抱いたままでも飲ませやすい。


 それだけのことだ。


 でも、その女にとっては大きかった。


 次に来た老人は、石段に腰を下ろした。


「座れる……助かる」


 老人はしばらく息を整え、それから水を汲んだ。


 桶を持った少年は、中央の水受けに桶を置き、両手でしっかり支えた。


 こぼれた水は溝へ流れ、床を汚さない。


「昨日より楽だ!」


 ミルが目を輝かせた。


「すごいね、村長!」


「騒ぐな」


 オルドは短く言った。


 けれど、その口元はわずかに緩んでいた。


 村人たちは昨日よりも静かに、昨日よりも早く水を汲んでいく。


 仕組みがあるだけで、人の流れは変わる。


 行列は短くなる。


 揉めごとは減る。


 弱い者が押しのけられにくくなる。


 俺はそれを見て、心の中で小さく拳を握った。


「動線、勝ったな」


『何と戦っていたの?』


「混雑」


『地味な敵ね』


「でも強敵だぞ。放っておくと全員の機嫌を削る」


『人間は水を飲む前から面倒なのね』


「そういう生き物なんだよ」


 順調だった。


 少なくとも、しばらくは。


 問題は、村人たちの列が半分ほど進んだ時に起きた。


 列の後ろから、一人の男が前へ出てきた。


 痩せた中年男だ。


 名前は、村人たちの反応からしてネズというらしい。


 昨日は見なかった顔だった。


 手には普通の桶が一つ。


 だが、背中には革袋を二つ下げている。


 水を運ぶためのものだろう。


 ネズは低く笑いながら、中央の水受けへ桶を置いた。


「うちは病人が多くてな。桶一つじゃ足りねえんだ」


 声は軽い。


 けれど目は水を見ていない。


 村人の顔を見ている。


 反応を見ている。


 怒られるか。


 止められるか。


 通るか。


 そして、通ったらどれだけ持ち出せるか。


 ネズは水を売るつもりだった。


 まだ口には出していない。


 けれど、迷宮に流れ込んできた欲は濁っていた。


 金に換えたい。


 隣村へ持っていけば、銅貨が取れる。


 病人の名を使えば、革袋二つくらいはいける。


 村長の前で怒られなければ勝ち。


 そういう浅い計算が、水面に触れる前から滲んでいた。


 水の流れが止まった。


「あ?」


 ネズが眉をひそめる。


 桶は空のまま。


 水受けからは、一滴も落ちない。


 壁に刻まれた三つの文字が、淡く光る。


 転売禁止。


 大量持ち出し禁止。


 破壊行為禁止。


 ネズの顔が引きつった。


「ち、違う。転売じゃねえよ。うちは本当に」


 水は出ない。


 ネズが革袋を床に置く。


 水は、さらに奥へ引いた。


 まるで、その革袋から距離を取るように。


 清水の間が静まり返った。


 ネズの喉が鳴る。


「な、なんで分かるんだよ……」


 村人たちの視線が、ネズの背中の革袋に集まった。


 オルド村長の目が細くなる。


「ネズ。その袋は何だ」


「いや、これは……予備だよ」


「何の予備だ」


「だから、水を」


「誰のための水だ」


 ネズは答えなかった。


 答えられなかった。


 その沈黙だけで十分だった。


 オルドが低く言う。


「下がれ」


「でもよ、村長! 水はあるんだぞ! 余ってるだろ! 少しぐらい持っていったって」


 その瞬間、清水の間の水音が消えた。


 完全な静寂。


 村人たちが一斉に息を止める。


 新しい文字は出ない。


 声もない。


 ただ、水だけがネズを拒んでいた。


 ネズの顔から血の気が引いた。


 俺は奥で、その光景を見つめた。


「……うわ。無言で拒否するの、説明するより怖いな」


『分かりやすいでしょう?』


「分かりやすい。めちゃくちゃ分かりやすい。でも怖い」


『清水の間は、言い訳を聞く場所ではないもの』


「水が出るか、出ないか。それだけで判断するわけか」


『ええ』


「すごいな。無言の自動判定。これは強い」


『ようやく私の偉大さを理解したようね』


「いや本当に便利だぞ、これ。受付がいなくても回る。しかも、口論にならない。水が出ない。それが答え。すごい」


『便利ではなく、高貴なる迷宮機能よ』


「はいはい、高貴なる水道審査」


『軽くするんじゃないわ!』


「……下がれ、ネズ」


 オルド村長の声も冷たかった。


 ネズは唇を噛み、革袋を抱えて後ろへ下がった。


 清水の間から出る直前、彼は一度だけ水場を振り返った。


 その目には、恐怖と悔しさが混ざっていた。


 だが、水はもう彼に向かなかった。


 ネズが外へ出ると、水音が戻った。


 ぽたり。


 ぽたり。


 何事もなかったように、次の村人の桶へ水が注がれる。


 誰も喋らなかった。


 ただ、全員が理解した。


 この場所は、優しい。


 けれど、甘くない。


 水はある。


 しかし、自分のものではない。


 村のものでもない。


 清水の迷宮のものだ。


 その後、水汲みは続いた。


 誰も二つ目の桶を隠さなかった。


 追加が必要な者は、先に理由を言った。


 迷宮は、切実な欲には水を出した。


 濁った欲には水を止めた。


 子どもが飲む時は、水は低い水盤へ静かに満ちた。


 老人が休む時は、石段のそばだけ少し空気が涼しくなった。


 清水の間は、まだ小さい。


 けれど、少しずつ迷宮らしくなっていた。


 ただの洞窟ではない。


 ただの水場でもない。


 人間の欲を測り、必要な者を通し、濁った者を拒む場所。


 そして、その全部を見た村人たちは、昨日より深く頭を下げて帰っていった。


 夕方。


 ルスカ村では、清水の話でもちきりだった。


 ミルの母エナは、まだ寝台から起き上がれない。


 だが、朝より呼吸は落ち着いている。


 熱を出していた子どもも、少しだけ粥を口にした。


 老人たちは、井戸の濁りを見て顔をしかめながらも、昨日ほど絶望してはいなかった。


 清い水がある。


 その事実は、村の空気を変えた。


 けれど、変わったのは良いことだけではない。


 村の端。


 古い納屋の陰で、ネズが革袋を地面に叩きつけた。


「くそっ……」


 誰にも見られていないと思っていた。


 だが、納屋の向こうからバランが顔を出した。


「ネズ」


「何だよ」


「やめとけ」


「うるせえ」


「あの迷宮、見てるぞ」


「見てるわけねえだろ。欲がどうとか、脅しだ」


「なら何で水が止まった」


 ネズは黙った。


 答えはない。


 ただ、悔しさだけがある。


「隣村なら売れる。あの水なら、銅貨三枚でも買うやつはいる」


「だからやめろって言ってる」


「お前はいいよな。昨日、追加を許されたんだからよ」


 バランの顔がこわばった。


「俺は、隣の婆さんのためだった」


「俺だって家族のためだ」


「革袋二つ持ってか?」


 ネズはバランを睨んだ。


 しかし、何も言い返せなかった。


 水は命だ。


 命は金になる。


 金があれば飯が買える。


 飯があれば家族を養える。


 ネズの理屈は、完全な悪ではなかった。


 だから厄介だった。


 人間は、自分の欲に名前をつける。


 家族のため。


 村のため。


 将来のため。


 その言葉の下に、いくらでも濁りを隠せる。


 だが、清水の迷宮はそれを読んだ。


 ネズは唇を噛み、森の方を見た。


「だったら、迷宮の水じゃなければいい」


「何?」


「湧き出る前の水脈を探せばいいんだよ。あの洞窟の奥にあるなら、外にもどこか流れてるはずだ」


「やめろ、ネズ」


「俺は奪いに行くわけじゃねえ。外を探すだけだ」


 バランは青ざめた。


 その言い訳が、どこか危ういことを彼は感じていた。


 だが、ネズはもう聞いていなかった。


 清い水は、村を救った。


 同時に、新しい欲を生んだ。


 それはまだ、小さな火種だった。


 けれど火種は、乾いた場所ではよく燃える。


 夜。


 清水の迷宮には、また水音だけが残っていた。


 ぽたり。


 ぽたり。


 俺は整えられた床に座り、水盤を眺めていた。


 今日一日で、清水の間はずいぶん働いた。


 病人に水を出した。


 老人を休ませた。


 転売目的を拒んだ。


 そして、村人に線を見せた。


【清水の間 初回整備運用を確認しました】


【感謝、畏れ、生活欲、拒絶された欲を獲得しました】


【獲得DP:17】


【現在DP:31】


「DP、少し戻ったな」


『消費した分すべてではないけれど、悪くないわ』


「拒絶された欲もDPになるんだな」


『当然よ。欲は満たされても、拒まれても、迷宮へ向く。悔しさ、恐れ、執着。どれも濃いわ』


「やっぱり言い方が怖い」


『迷宮核だもの』


「便利な言葉だな、それ」


 俺は天井を見上げた。


 外の様子は見えない。


 ネズが何を考えているかも分からない。


 村がどう変わり始めているかも、迷宮の中からは見えない。


 ただ、今日来た人間の欲だけは、少しだけ残っている。


 助かりたい。


 助けたい。


 もっと欲しい。


 売りたい。


 独り占めしたい。


 守りたい。


 人間の欲は、きれいな水に映すと余計に濁りが見えた。


「なあ、ヴェルティア」


『何?』


「次は、防犯も考えた方がいいな」


『ようやく罠ね』


「なんで嬉しそうなんだよ」


『迷宮核だもの』


「でも、入口に落とし穴とかはまだなし。水汲みに来たおばあちゃんが落ちたら、俺の心が落ちる」


『面倒な心ね』


「大事だぞ、心」


『では何を作るの?』


「破壊行為禁止って書いたからな。それを踏み越えた時に、ちゃんと止める仕組み」


『止めるだけ?』


「最初はな」


『甘いわ』


「順番だって」


『また順番』


「そう。今は生活区域。まず安心して使わせる。その上で、踏み越えたやつには、ここが迷宮だと思い出してもらう」


 ヴェルティアのコアが、赤く強く光った。


『それは、高貴ね』


「気に入った?」


『少しだけ』


「じゃあ明日は、防犯会議だな」


『会議……嫌な響きね』


「俺も前世で嫌いだった」


『ならなぜするの?』


「必要だから」


『人間社会は本当に面倒ね』


「迷宮運営もたぶん同じくらい面倒だぞ」


 俺は笑った。


 清水の間は、静かに水を流している。


 優しい水場。


 弱った者を迎える場所。


 けれど、その奥にあるのは迷宮だ。


 守るだけでは足りない。


 優しいだけでは奪われる。


 次は、牙を作る。


 見せびらかすためではない。


 踏み越えた者に、ここが迷宮だと思い出させるために。


「大丈夫大丈夫! なんとかなるって!」


『その言葉を聞くと、明日が余計に不安になるわ』


「俺も!」


『威張らないでちょうだい!』


 ヴェルティアの怒鳴り声が、清水の間に響いた。


 その奥で、水は静かに流れ続ける。


 清い水は、村を潤した。


 そして村の奥底にあった欲も、静かに芽を出し始めていた。



あとがき


ここまで読んでいただきありがとうございます。


清水の間、少しだけ使いやすくなりました。


けれど、便利になるほど「それをどう利用するか」を考える人間も出てきます。


次話では、清水の間を守るための仕組みと、迷宮の外で動き始めた小さな欲を書いていきます。


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