第26話 一本だけの乾杯
琥珀の雫が清水の間に出た翌朝。
木札の前には、人だかりができていた。
第4層。
琥珀の貯蔵庫。
踏破、帰還。
琥珀の雫、取得。
酒に類する高品質嗜好品。
治療効果、強化効果、現時点では確認なし。
試飲者、カティア。
非常に美味。
「最後の一文、まだ残ってるんですけど」
フィンが木札を見上げて言った。
カティアが水場の横で腕を組む。
「消せ」
仮受付の職員は、記録板を抱えたまま首を横に振った。
「重要情報です」
「重要か?」
「はい。味の評価は流通価値に関わります」
「真面目な顔で言うな」
カティアは顔をしかめた。
だが、周囲の冒険者たちは木札から目を離さない。
紅肌の雫とは違う。
清水とも違う。
琥珀の雫。
酒に類する高品質嗜好品。
しかも、カティアが「うまい」と言った。
その一点だけで、冒険者たちの目は妙にぎらついていた。
リオが腕を組んで木札を見る。
「第4層、行きたいな」
サナがすぐ言った。
「まだ早い」
「分かってる」
「顔が分かってない」
「ちょっと分かってなかった」
フィンが頷く。
「琥珀の雫、見たいですね」
マイラが淡々と言う。
「見るだけで済むなら苦労しない」
ニーナも杖を抱えたまま、木札を見ていた。
「第4層は、香りで判断が遅れます。魔法が使えても、判断が遅れたら危ないです」
カティアが低く笑った。
「分かってるじゃねえか」
ニーナは少し背筋を伸ばした。
「はい」
「じゃあ今日は行くな」
「……はい」
「そこでちょっと残念そうな顔をするな。行きたいのは分かる。だから止めてんだ」
クレスは琥珀水紋門の前に立っていた。
昨日、第4層を突破したばかりだ。
その言葉には重みがある。
「第4層は、敵が強いだけの階層ではない。足場は良い。視界も悪くない。だから、自分が危険に入っていることに気づくのが遅れる」
冒険者たちは黙って聞いていた。
「そして、報酬を得た後が危ない。持ち帰れるものを手にした時、人はさらに欲しくなる」
メリダが肩をすくめる。
「赤っぽい小さいやつが出たしねえ」
その言葉に、何人かがざわついた。
「赤っぽい小さいやつ?」
「レア魔物か?」
「報酬の後に出るのか?」
カティアが手を叩く。
「騒ぐな。昨日は追わなかった。それが正解だ」
クレスも頷く。
「第4層の新規規則を決める」
仮受付の職員がすぐ記録板を構えた。
クレスは一つずつ言った。
「琥珀の雫を取得しても、第4層内で開封しない」
職員が書く。
「第4層内で飲まない」
さらに書く。
「報酬取得後、追加で現れた魔物や光を追わない」
冒険者たちが息を呑む。
「帰還後、仮受付で記録してから扱う」
カティアが付け加えた。
「この規則を破る奴は、第4層に入る資格なしだ」
リオが小さく息を吐く。
「報酬を取った後も、戻る訓練か」
サナが頷く。
「そこが一番危ない」
フィンが骨笛を触る。
「笛、報酬見た後に鳴らせるかどうかですね」
マイラが記録板を見ながら言う。
「香り対策も必要。水を飲む間隔。停止時間。帰路印の二重化。報酬取得後の即時帰還」
ニーナが続ける。
「魔法は、敵を倒すだけではなく、帰路印の確認にも使えます。ライトを安定して出せるように練習します」
カティアは満足そうに鼻を鳴らした。
「よし。行きたいなら、まず行かない準備をしろ」
フィンが首を傾げる。
「行かない準備?」
「行くなと言われた時に止まれる準備だ」
「深い」
「浅いところで分かれ」
清水の間に、少し笑いが起きた。
だが、笑いながらも、冒険者たちは木札の新規則を見ていた。
第4層。
琥珀の雫。
高品質な酒。
そして、報酬の後に現れる追加の誘い。
行きたい。
でも、まだ早い。
その熱が、清水の間にじわじわ満ちていた。
黒い水膜の内側で、俺は木札を見ていた。
「やっぱり騒ぐよなあ」
『当然でしょう。欲に名前がついたもの』
「紅肌の雫は美容と金。琥珀の雫は酒と贅沢。どっちも強いな」
『人間は、治療以外にもよく動くのね』
「むしろ、治療じゃないものにこそ金を出すこともある」
『愚かね』
「愚かだけど、それで世界が回ってるところもある」
ヴェルティアは、水膜の向こうに置かれた琥珀の雫を見ていた。
昨日、クレスたちが三本持ち帰ったうち、一本は確認用に開封された。
カティアが一口だけ飲み、残りは仮受付の管理下に置かれている。
残り二本は未開封。
外へ出た報酬だ。
冒険者たちが持ち帰ったものだ。
迷宮側が勝手に手を出すものではない。
ヴェルティアは何も言わなかった。
だが、見ている。
ものすごく見ている。
「ヴェルティア」
『何?』
「飲みたい?」
『……確認は済んだでしょう。外側の人間が飲んだわ』
「外側の確認はな」
『何が言いたいの?』
「昨日、初めて第4層を突破されたわけだろ」
『ええ』
「クレスたちが持ち帰った。琥珀の雫が外へ出た。第4層がちゃんと機能した」
『そうね』
「だからさ」
俺は少しだけ笑った。
「一本だけ、こっちでも乾杯しないか?」
ヴェルティアの赤い目が、ぱちりと瞬いた。
『……乾杯?』
「初突破祝い。外に出た分じゃなくて、迷宮側で一本。確認用って言ってもいいし、祝いって言ってもいい」
『無駄遣いではなくて?』
「無駄じゃないだろ。ヴェルティアが作った階層だ。ちゃんと冒険者が越えて、報酬が持ち帰られた。祝っていい」
ヴェルティアは黙った。
いつものようにすぐ高飛車な言葉が返ってこない。
その沈黙が、少しだけ珍しかった。
『……貴方、たまに変なことを言うわね』
「変か?」
『迷宮核を祝う迷宮主なんて、聞いたことがないわ』
「じゃあ、初めてでいいじゃん」
『軽いわね』
「大丈夫大丈夫! なんとかなるって!」
『そこで使う言葉ではないわ』
「じゃあ、なんて言えばいい?」
ヴェルティアは少し目を伏せた。
銀白の髪が、黒い水膜の光を受けて揺れる。
『……一本だけよ』
「よし」
『確認も兼ねるのよ』
「はいはい」
『はいは一回!』
「はい」
俺が笑うと、ヴェルティアは少しだけ頬をそらした。
そこでいつものように足元が沈むかと思った。
けれど、沈まなかった。
今日は逃げないんだな。
俺はそう思ったが、口には出さなかった。
出したら、たぶん沈む。
でも、沈まない今の空気も悪くなかった。
【第4層初踏破記念として、迷宮内確認用の琥珀の雫を生成します】
【DPを120消費しました】
【現在DP:2326】
黒い水膜の内側に、小さな台が現れた。
そこに、琥珀色の小瓶が一本。
外へ出たものと同じ形。
だが、これは迷宮側で生成した一本だ。
誰かから奪ったものではない。
誰かの報酬を横取りしたものでもない。
ただ、初突破を祝うための一本。
俺は小瓶を手に取った。
封を切る。
ふわりと香りが広がった。
木。
蜜。
煙。
乾いた果実。
前世で少しだけ飲んだ、良いウイスキーを思わせる香り。
いや、たぶんそれよりも澄んでいる。
「……おお」
『……良い香りね』
ヴェルティアの声が、ほんの少しだけ柔らかい。
俺は小さな杯を二つ作った。
いや、作ったというより、迷宮に頼んだ。
薄い琥珀色の石でできた杯だ。
そこに、ほんの少しずつ注ぐ。
飲みすぎるつもりはない。
これは宴会ではない。
乾杯だ。
俺は片方の杯をヴェルティアへ渡した。
「第4層、初突破おめでとう」
ヴェルティアは杯を受け取った。
その指先が、ほんの少しだけ迷ったように見えた。
『高貴なる私の迷宮なのだから、当然の結果よ』
「うん」
『当然、なのだけれど』
「うん」
『……悪い気分ではないわ』
俺は杯を軽く上げた。
「清水の迷宮と、琥珀の貯蔵庫に」
ヴェルティアも、ほんの少しだけ杯を上げる。
『そして、死にかけではなくなってきた私に』
「そこ大事だな」
杯を合わせる。
小さな音がした。
ちん。
水音とは違う。
泥音とも違う。
琥珀色の、小さな音。
俺は一口だけ飲んだ。
喉が熱くなる。
だが、焼けるようではない。
温かい。
深い。
甘い。
後から、木の香りと少しの煙が残る。
「……うま」
言葉が雑になるくらい、うまかった。
ヴェルティアも一口飲んだ。
赤い瞳が、わずかに大きくなる。
『……』
「どう?」
『……悪くないわ』
「それ、かなり気に入ってるやつだろ」
『悪くないと言っただけよ』
「もう一口飲みそうな顔してる」
『確認よ』
「はい」
ヴェルティアはもう一口、ほんの少しだけ飲んだ。
すると、いつもの高貴な表情が、少しほどけた。
唇がわずかに緩む。
目元の強さが、ほんの少し甘くなる。
黒いドレス姿の高貴な迷宮核が、琥珀色の杯を両手で持っている。
これは、かなり危険な絵面だった。
主に、俺の表情筋が。
「ヴェルティア」
『何?』
「嬉しい?」
『……確認中よ』
「そっか」
『でも』
「でも?」
『この階層を作って、よかったとは思うわ』
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
ヴェルティアが、自分からそう言った。
迷宮核として。
高貴なるコアとして。
死にかけだった彼女が、作った階層を突破されて、報酬を持ち帰られて、それを祝っている。
なんだか、それだけで胸の奥が温かくなった。
「うん。よかった」
『……貴方も、少しは役に立ったわ』
「少し?」
『かなり少し』
「そこは素直じゃないなあ」
『高貴なる節度よ』
「便利だな、高貴」
ヴェルティアは杯を見下ろした。
『もう一口だけ』
「確認?」
『祝杯よ』
「おお、認めた」
『うるさいわね』
制裁の泥は来なかった。
その代わり、ヴェルティアは杯を隠すように両手で包み、ほんの少しだけ頬を赤くした。
たぶん、琥珀のせいだけではない。
そこまでは言わない。
今日は、そういう日なのだろう。
清水の間では、外側の琥珀の雫をめぐる話し合いが続いていた。
ルスカ村は小さな村だ。
水場と畑と、寄り合い小屋。
簡単な食事を出す家はあるが、旅人相手の酒場はない。
村人が飲むのは、自家製の薄い酒や、祭りの時に宿場町から買う樽酒くらいだ。
琥珀の雫の価値を見られる者など、村にはいなかった。
そのため、昨日のうちに仮受付から街道沿いの宿場町へ走りが出ていた。
冒険者ギルドの出張所がある宿場だ。
荷馬車宿が並び、旅人と商人が行き交う。
そこには酒を扱う宿屋があり、荷運びの商人も寄る。
昼前。
その宿場町から、一人の男が清水の間へやってきた。
腹の出た中年男。
鼻が少し赤く、目が細い。
だが、清水の間へ入るなり、彼は琥珀の雫の置かれた机を見て足を止めた。
「……噂より、やばそうだな」
仮受付の職員が頭を下げる。
「街道宿で酒を扱っている、バルムさんです」
バルムは帽子を取った。
「宿と酒を扱ってる。高級品の値付けは専門外だが、村の酒かどうかくらいは分かる」
カティアが腕を組む。
「頼む。昨日あたしが一口飲んだ」
バルムはカティアを見る。
「で、どうだった」
「うまい」
「それは記録で読んだ」
「なら聞くな」
バルムは笑った。
その後、表情を真剣に戻す。
仮受付が、昨日開封した一本を出した。
残量はまだ多い。
カティアが飲んだのは、本当に一口だけだ。
バルムはまず香りを確かめた。
その瞬間、顔が変わった。
商売人の顔だ。
次に、ほんの一滴を舌に乗せる。
目を閉じる。
長い沈黙。
誰も喋らなかった。
清水の間に、水音だけが響く。
ぽたり。
ぽたり。
バルムは、ゆっくり息を吐いた。
「これは、村の酒場で出す酒じゃない」
周囲がざわつく。
バルムは小瓶を見た。
「街道宿でも、普通の客には出せねえ。出したら、たぶん店の格が酒に負ける」
フィンが首を傾げた。
「酒に店の格が負けるって、どういうことですか?」
バルムは苦笑する。
「木の椀で王侯貴族の料理を出すようなもんだ。場が追いつかねえ」
エリオ神官が静かに尋ねた。
「値はつきますか」
「つく。だが、俺じゃ決めきれん」
バルムははっきり言った。
「これは商人ギルドに回せ。できればプロンテラの酒商か、貴族向けの取引を知ってる奴だ。大銀貨でどうこうする品じゃない」
仮受付の職員の顔が少し青くなる。
「金貨が絡む、と?」
「可能性はある」
清水の間が、大きくざわついた。
金貨。
その言葉は重い。
紅肌の雫でも、十分に価値はあった。
だが、琥珀の雫は別方向に危険だった。
高級嗜好品。
貴族や大商人が欲しがる酒。
それは、冒険者の目を変える。
商人の足を早める。
そして、外の力を呼ぶ。
バルムは釘を刺すように言った。
「ただし、値が高いからって雑に扱うな。酒は噂が先に走ると壊れる。偽物も出る。盗みに来る奴も出る。飲んで効能を盛る奴も出る」
カティアが低く言う。
「つまり、面倒が増える」
「そういうことだ」
クレスは頷いた。
「だから、先に扱いを決める必要がある」
仮受付の職員が記録する。
琥珀の雫。
街道宿の酒扱い人バルム確認。
村酒場向けではない。
宿場町通常流通でも扱い困難。
商人ギルドへの正式鑑定推奨。
高額取引の可能性。
偽物、盗難、効能誇張に注意。
カティアが記録を見て、ため息をついた。
「一滴でこれかよ」
メリダが笑う。
「欲は香りだけでも走るからねえ」
エリオ神官は静かに琥珀の雫を見ていた。
助祭トマが、小さく呟いた。
「病を治さないものに、これほど人が反応するのですね」
エリオ神官は頷いた。
「人は痛みだけで動くのではありません」
「喜びにも、ですか」
「ええ。喜びにも、深く動かされます」
トマは記録板を見つめた。
「それは、教会ではあまり聞かない言い方です」
「教会は苦しみを見がちですからね」
エリオ神官は水場を見る。
清水を汲む村人。
紅肌の雫を記録する冒険者。
琥珀の雫を見てざわつく者たち。
「ですが、人は苦しみから逃げるためだけに生きているわけではありません。少し美しくありたい。少し良いものを味わいたい。少し誇りたい。そういうものにも、人は救われ、また惑わされます」
トマは琥珀の雫を見た。
「救いと惑いが、同じ瓶に入っているようです」
「良い記録です」
エリオ神官は小さく微笑んだ。
「そのまま書きなさい」
トマは少し照れながら、紙に書き込んだ。
その日の午後、清水の間では第4層講習が始まった。
といっても、実際に第4層へ入るわけではない。
クレス、カティア、メリダによる説明だ。
木札の前に冒険者たちが集まる。
若手も、Dランクも、何人かの商人も遠巻きに聞いている。
クレスは地面に簡単な図を描いた。
「第4層は、戦闘力だけでは足りない。敵は倒せる。だが、倒せるから進みたくなる」
カティアが続ける。
「香りに慣れたと思ったら負けだ。慣れたんじゃねえ。鈍っただけかもしれねえ」
メリダは笑う。
「臆病者は、良い匂いがしたらまず疑う」
フィンが真剣に頷いた。
「良い匂いを疑う……」
リオが腕を組む。
「それ、難しいな」
サナが言う。
「難しいから訓練する」
マイラは香り対策の項目を書き出す。
「水を飲む時間を決める。呼吸を整える停止を入れる。帰路印を二重化。報酬取得後は会話を減らし、即帰還」
ニーナが続ける。
「ライトで帰路印を確認。エアブラストは粉を散らす時だけ。火は使わない」
カティアが頷く。
「それでいい。火はやめろ。酒っぽいものと樽がある場所で火を使いたがる奴は、第4層に入るな」
フィンが小声で言った。
「火、怖いですね」
ニーナが真顔で頷く。
「怖いです」
リオは第4層の木札を見る。
悔しさがある。
だが、無理に進もうとはしない。
「まずは四時間探索、帰還。報酬は狙わないところからだな」
クレスが頷いた。
「それがいい。未知の場所というものは、奥へ届くかどうかより、戻れる形を作れるかどうかを見るべきだ」
サナが短く言う。
「報酬を見た後が危ない」
その言葉に、リオは頷いた。
「覚えておく」
フィンは骨笛を握った。
「報酬見た後に、笛を鳴らす訓練かあ」
カティアが言う。
「鳴らせなかったら?」
「自分で自分の頭を殴ります」
「よし」
「よしなんですか!?」
少し笑いが起きた。
笑いながらも、冒険者たちの目は真剣だった。
琥珀の雫は欲しい。
だが、欲しいからこそ、帰らなければならない。
清水の迷宮は、また一つ新しいルールを人間に覚えさせていた。
黒い水膜の内側で、俺はそれを見ていた。
「琥珀の雫、思った以上に火種だな」
『当然よ。味わいたい欲は強いもの』
「ヴェルティアもそう思う?」
『……一般論よ』
「さっき祝杯、けっこう嬉しそうだったもんな」
『一般論よ』
「はい」
『今のは一回ね』
「学んだ」
ヴェルティアは杯を見ていた。
もう中身はない。
一本を二人でほんの少しずつ飲んだだけだ。
残りは迷宮内で保管することにした。
次に飲むのは、また何かの節目でいい。
俺はそう思っている。
「次は紅琥珀の雫かな」
『……確認対象ね』
「正直」
『何が?』
「すごく気になってる顔」
『気になっていないとは言っていないわ』
「お」
『ただ、追う者が追えば迷う。欲を置ける者だけが、いつか手にするでしょう』
ヴェルティアは水膜の向こうを見る。
その横顔は、少しだけ迷宮核らしかった。
いや、かなり迷宮核らしかった。
「じゃあ、紅琥珀はしばらく温存だな」
『温存ではないわ。選ぶのよ』
「迷宮が?」
『ええ』
赤い瞳が、静かに細くなる。
『欲に勝って、なお欲を持つ者をね』
俺は少し笑った。
「やっぱり怖いな、迷宮」
『今さら?』
「今さら」
ヴェルティアは満足そうだった。
夕方。
仮受付から、街道沿いの宿場町へ向かう伝令が出た。
さらにそこから、プロンテラの商人ギルドへ報告が回ることになる。
報告書には、短くこう書かれていた。
清水の迷宮。
第4層踏破報酬、琥珀の雫。
酒に類する高品質嗜好品。
治療薬ではない。
強化薬ではない。
高額取引の可能性あり。
偽物、盗難、効能誇張に注意。
正式鑑定を要請。
伝令は報告書を革筒に入れ、宿場町へ向けて走り出した。
大地には、その先の道は見えない。
ヴェルティアにも、迷宮の外を行く報告書の中身までは分からない。
だが、清水の間に残ったざわめきだけは分かる。
人間の欲が、今日また一つ形を持った。
紅肌の雫は、鏡の前で顔を上げさせる。
琥珀の雫は、杯の前で目を光らせる。
どちらも病を治さない。
どちらも傷を塞がない。
それでも人間は欲しがる。
だから、迷宮は育つ。
清水の間に、水音が響く。
ぽたり。
ぽたり。
その奥に、まだかすかな琥珀の香りが残っていた。
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
琥珀の雫は、薬ではなく酒でした。
けれど、人を動かす力は十分すぎるほどありそうです。
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