9.まりえとビーフシチュー
スイーツショップのバイトを始めるとそれなりに時間を消費する。元のゲームでも時間経過の概念はあって、午前中、午後、夕方、夜、深夜の五つの時間帯にわかれ、その時間でないと起こらないイベントもある。というわけでバイトは午後の時間をまるまる使うことになった。
猫耳メイド服というコンカフェみたいな制服の割に業務内容は普通で、わたしは時間いっぱい真面目に給仕や皿洗いをした。
「まじめに働いてくれてありがとう、マリエちゃん。次からお菓子も作ってほしいから、これを読んでおいてね」
バイトが終わると、そう言ってお店の人がお菓子のレシピ本をくれる。なるほど! そうだったそうだった! これでお菓子が作れるようになるわけね!
お菓子は結構このゲームではいろんなことに使える。採集に行く前に食べると材料取得にボーナスが付くものとか、攻撃力、防御力がアップするものとかもあるけど、街の人のお願い事イベントで「お菓子を持ってきて!」という依頼をされることもあるし、攻略対象にプレゼントして好感度を上げたりもできたような気がする。
とりあえず自分が食べるためのお菓子やパンの材料の小麦粉などを市場で買い込みながら、わたしはなんとなくイスマイルの顔を思い浮かべていた。
『一度きりの人生で終われる人が私の果てしなく続くメンタルケアを暇つぶし呼ばわりしないでいただきたいですね』
『繰り返される毎日を退屈に過ごしている私だが、この世界の甘味だけは好ましい。時々王都まで出てこうやって舌を可愛がるのが数少ない楽しみでしてね』
イスマイルの境遇はわたしとはまた違う方向にハードだと思う。わたしは主人公だから自分で考えてあちこち動いてあがけるけど、彼はNPC。クリアしたら解放されるみたいなこともない。何度同じ日々を繰り返したのかはわからないけどそれでも発狂せずにいるだけですごいし、しかも中身を変えて現れ続ける転生マリエを手伝うという方向でこの世界をポジティブに生きているエルフ。すごい精神力だ。
(うん、お菓子を作ったらイスマイルにもプレゼントしてあげようっと。攻略対象じゃないみたいだし、大丈夫だよね)
るんるんと家路についたわたしだったけど、家が見えてくるころになるとその足取りが重くなってきた。そうだ。あの家、ワルブレヒトがいるんだった……。
「おかえり、マリエ。朝からいないから寂しかったよ。もう帰ってこないんじゃないかと思った」
ドアを開けると食欲をそそる香りとともにワルブレヒトが出迎えた。新妻みたいなかわいいギンガムチェックのエプロンをして、彼はにこにこと微笑んでいる。
ぞぉっ……、なにその新婚ぽいアピール。ワルブレヒトの中で存在しない段階が踏まれて行っているような気がして、わたしの首筋の毛が逆立った。
「どうしたの? ただいまを言えない子はおうちにいれてあげないよ?」
「た、ただいま……」
「おっと」
横をすり抜けて工房にまっすぐ向かおうとするわたしの前に、ワルブレヒトが通せんぼしてくる。
「ちょっと、何すんのって」
「ねえ、夕ご飯作りすぎちゃったんだ。一緒に食べようよ。大好物だったでしょ? ビーフシチュー」
ビーフシチュー! これビーフシチューの匂いか! 安彦まりえの好物はカレイの煮つけなんだけど、ゲーム内でのマリエちゃんの好物としてビーフシチューは確かに設定されている。美味しい匂いの正体がわかったとたんに口の中から溢れんばかりに唾液が湧いた。
(う~っ、わたしじゃなくてマリエちゃんの身体が喜んでいる……っ、唾液腺がっ……期待にきゅうきゅう鳴いて痛いくらい……、けど、好感度上がっちゃうような行動はだめっ!)
唾液を飲み込んで、わたしはワルブレヒトの申し出を断ろうとした。
「今おなかいっぱいっていうか……」
ぐぎゅぅ~っ。
「見え透いた嘘つくのは駄目。今の音は何? おなかに小鳥さんでも飼っているの?」
からかうような声色を使いながら、ワルブレヒトはわたしのお腹のあたりをそっと掌で触った。
「さ、触んないでよ!」
咄嗟にその手をはたいてどけると、ワルブレヒトの表情があからさまに不機嫌になる。しまった、やりすぎたか? めんどくせ~!
「へえ……居候の分際で家主にそういうことするんだ……。せっかく僕がお金に困ってる君に夕食を振舞ってあげようとしているのに……。借金の額、吊り上げようか?」
ぐっ……、こいつ……。なりふり構わず持てるアドバンテージをフル活用してくるっ……!
「わかった……。わかったってば。今日は一緒に食べる。けど基本的に自分の食事は自分で用意するから。夜しか咲かない花とか取りに行きたい日もあるしっ……」
「そう♡ よかった。じゃあ早速食卓に座ってよ。焼きたてのバゲットと甘めのワインもあるよ。配膳もしてあげるから♡」
「あー、じゃあ荷物置いて手だけ洗わせてよ。食事の前は手を洗う。常識でしょ?」
「そうだね。マリエはお行儀のよいいい子だなあ。早く戻ってくるんだよ」
なんとかワルブレヒトを言いくるめて、わたしは買った材料を持って工房へ向かった。やっぱり一切好感度を上げないのは無理があるか。ワルブレヒトからもらうレシピもあった気がするしな……。最低限。最低限で済むようにうまく立ち回らなくちゃね。
材料を棚に並べるふりをして、わたしはイスマイルにもらった解毒剤をこっそりと飲んだ。こんなに早くこれのお世話になるとは。イスマイルに感謝だ。解毒剤はその物々しい名前に反して意外にフルーツリキュールみたいな美味しい味がした。
「よし。じゃあ割り切ってシチュー食べるか」
空き瓶を他の薬の容器に混ぜて捨てると、次は何食わぬ顔でダイニングへ。ドアを開けるとイスマイルよりもニコニコ顔のワルブレヒトがテーブルで待っていた。
「さ、食べようよ! 修行に来ていた時みたいに、家族みたいにさ!」
「いただきます……」
新鮮なレタスとトマトを使った瑞々しいサラダは工房の庭でお母さんが育てていた野菜。刻みパセリの入ったすっぱいフレンチドレッシングはわたしも好みの味だ。星の形に切ってある人参が入ったビーフシチューには生クリームがかけてあって見た目も綺麗。とろりととろける牛肉は歯が要らないくらい柔らかい。バゲットも上等なもので、ガーリックを練り込んだバターを塗って齧るとじゅわっと口の中に香ばしさが染み出して最高。
「ふう……、おいし……」
「そうだろう? 僕のものになれば毎日美味しい料理を食べさせてあげるのになあ」
「……今日は特別。愛人なんてまっぴらごめんだから」
悔しいけど、ワルブレヒトはすごく料理が上手だ。この素晴らしい味の料理を口にしてしまったら、性格が強引で性欲お化けじゃなければこの人に身を任せてこのゲームの中に永住してもいいんじゃないかと思ってしまいそうだった。
「どうしてそんなに頑ななの? 僕はこんなにかっこいいし、錬金術師としても腕がいい。料理だってうまいし、金がある。絶対に不自由なんかさせないのに」
しゃあしゃあと言ってくれる。そしてそれは全部事実だ。だけどそれでも嫌なのだ。だって、わたしがワルブレヒトに恋してないから。
「さあ、どうしてでしょうね。お金に物を言わせて無理やりものにされたい女じゃないからじゃない? ごちそうさま。味は素直に美味しかった。わたしもう寝るから。おやすみなさい」
「……おやすみ」
どうせ洗い物はホムちゃんがするんだろうから、わたしは食べ終わると同時に席を立つ。部屋まで追いかけてくるかなと思ったけど、ワルブレヒトはついてこないようだった。
「あんながっかりした声出すんなら強引なことしなきゃいいのにさ」
部屋に戻ると急にどっと疲れがにじみ出てきて、私は服も脱がずにそのままベッドに倒れ込んだ。
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