81.左様なら夢のあと
あまりに現実感のない展開に、私は夢を見ているのかと思った。真っ白な見知らぬ部屋で私はひしゃげたまりえさんを抱えてへたりこんでいる。ふと顔を上げると私を見つめる人影が二つあった。一人は2本の角を生やした真っ黒な男。もう一人は亜麻色の髪の女。どちらにも見覚えはない、知らない者たちだった。
「おめでとうございます、エラヤライエン。あなたはとうとう箱の中から出る条件を達成したのね。苦しかったでしょう。立派だったわ」
「ふん……あとたっぷり1万年は苦しめばよかったものを。面白くもない」
エラヤライエン……? 女が私を知らない名前で呼ぶ。聞いたこともない居心地の悪い響きだった。マリエの世界の名づけとは違う法則の名前。気持ちが悪い。
「そんなことはどうでもいい! まりえさんを助けてくれ!! なにか、なにか治せるものを持っていないのか!? なんでもいいから助けてくれ!!」
私がそう叫ぶと、黒い男はうるさそうに顔を歪めた。
「死んだものを助けることはもうできない。気が付かないか? 愚かな。その女はもう死んでいるぞ」
「えっ……?」
男の節くれだった指が私の腕の中のまりえさんを指さす。はっとして見下ろすと、まりえさんはもう息をしていなかった。目と口をうっすらと開いたまま、まりえさんはぐんにゃりと物言わぬむくろへと変わり果ててしまっていた。
「あ……、ああ……。うああぁあぁ……!!」
私は彼女のむくろにすがって泣いた。こんな時どうしたの、と気遣ってくれる小さな手はぐちゃぐちゃに潰れ、二度と開かない。私がこうした。私のせいでまりえさんが死んでしまった。
「殺してくれ……。私を殺してくれぇっ!! まりえさんのいない所に行ってもなんの意味もない! まりえさんがいなかったら私はもう生きていけない!! いっそここで私を殺して、まりえさんとひとつにならせてくれぇえぇっ!!」
泣き叫ぶ私を見て黒い男は嬉しそうに笑った。
「はははは。いいぞ。いい顔だ。なら望み通りここで殺してやるとするか……」
「あなた。駄目よ。意地悪しないで。エラヤライエンは条件を達成したの。ゲームの勝者なのよ。勝者には報酬があるでしょう。その説明をしないのはフェアではないわ。フェアでないのは嫌いでしょう?」
「む……」
男はつまらなそうな顔で指さした手を引っ込めた。
「エラヤライエン。ゲームの勝者は報酬としてこの箱の中からひとつだけ何か選んで持ち帰ることができるの。その子はもう死んでしまったから生きたまま連れ帰ることはできないけど、魂だけなら連れていくことができるわ」
「魂だけを……連れて帰れる……」
「そう。だけど連れ帰っても彼女が次に生まれ変わるときまであなたと会うことはできないわ。それに、人間に生まれ変われるとも限らないの。花や虫や、目に見えないような微細な生き物に生まれ変わってしまうかもしれない。それでも連れて帰る?」
まりえさんにもう会えない。それはとても悲しいことだった。だけど、それでも。私があずかり知らないところでも彼女が生きて笑ってさえいてくれれば、この生者が一人もいない仮想の箱の空で花火になって消えていくよりも希望があると思えた。
「わかった……。それでいい。私はまりえさんの魂を連れて帰るよ……」
私はもう一度だけまりえさんの唇にキスをした。もう彼女に触れることは一生ないかもしれない。それでもいつか彼女と再会したい。そんな願いを込めて、冷たく硬い唇にキスを落とした……。
「まりえさん。どんなに時間がかかっても、私はあなたを迎えに行きますからね。それまで待っていてくださいね……」
「そろそろ時間だ。愚かなエルフよ」
いつまでもそうしていたい気持ちだったが、いらいらとした黒い男の声がそれを邪魔する。
「覚えてはいないだろうが、お前はうちの妻の悪い虫だ。だからその女の魂もお前も、我らが住まう地より遠い国に送る。我らの知らぬ場所で、その女の生まれ変わりを探してまた何年もあがくがいい……」
そう言うと黒い男は壁に突然現れたドアから出て行った。後からそれについていく女が振り返り、私に声をかける。
「頑張って。エラヤライエン」
「……いいえ。それは私の名前ではない。私の名前は……イスマイルです」
「そう。では幸せにね。イスマイル……」
二人を飲み込んだドアは跡形もなく消え、代わりに四方の壁がばたんと外側に倒れて展開する。それは箱だった。私は壁も天井もなくなった箱から外を見る。空にはエンディングを知らせる文字が浮かび上がっていた。
「行きましょう。まりえさん」
私がそう言うと、温かいピンク色の光の球が嬉しそうに私の胸に飛び込んでくる。私はそれを抱いて天へ昇って行った。足元にはまりえさんの抜け殻、すっからかんのマリエの身体だけがぽつんと残された。
***
「なんと奇妙な天変地異だね。こんなこと生きていて初めてだ」
「んわんわ」
僕は貴族街の橋の上で空を見上げた。隣には僕とあんまり背丈の変わらないピンクのホムンクルスが一緒に空を見上げている。夕焼けの空にはでっかい文字が浮かんで、まるで冗談みたいだ。
『隠しエンド:すっからかんのマリエ』
「どういうことだと思う?」
「んわ~」
「君にはわからないか。僕にもわからないや」
わからないけど、なんとなくわかることもあった。きっと、今日で僕らのいるこの世界が終わるのだろうと。確証はないけどそう思った。
「なんやあれ。どういうことなんや。おいガキ、なんか知らんか」
背後で声がしたのでちょっとだけ振り返る。そこには男物のコートを着込んだ、褐色の肌がセクシーな迫力美女があんぐりと口を開けて空を見ていた。右目が潰れて血が滲んでいる。痛そうだ。
「お姉さんどうしたのその目。痛そうだよ。ポーション飲む?」
「ああ……ええわ。なんやこれ変なピンつっこまれて全然取れへんねん。これ取り出すまで治さんでええわ。身体も女になるし、マリエは見つからんし踏んだり蹴ったりや……」
「そうなんだ。ねえ、こっちきて一緒に空を見ない? 多分もうすぐ終わっちゃうから……」
「……せやな。なんでやろ。俺もそないな気ィすんねん……」
お姉さんはコートのポケットから煙草を取り出すとマッチで火をつける。
「……はぁ。要するに、俺らは負けたんやな?」
「そうかも。なんにだかはわかんないけど、負けたのは間違いないよ」
「さよか~。かなわんな。てけとうに女抱くこともできんし、くさくさするのう」
「どうする? 僕、抱こうか?」
「阿呆。マセガキが、お前のつくしんぼで俺に何をどうすんねん。そんな趣味ないわ。けったくそ悪い」
「言ってみただけだよ。あ、ねえ。何か登っていくよ。なんだろう」
「ああ? おん……」
おかしな文字が浮かんだ空に、黄色とピンクの光が登っていくのが見えた。光たちはくっついたり離れたりしてとても仲がよさそうで、幸せに見えた。
「世界の終りの天体ショーってとこなのかな。どう思う? お姉さん」
「ん? ああ……。んん~。さよか。これが世界の終りの空かいな」
ぷはあ、と煙草の煙が一つ噴き出される。
「まあ、色は綺麗やな。なんや、そう思たらまあまあかっこええのう」
「そうだね」
「んわ」
僕とお姉さんはそれから日が暮れるまで、空を見上げて過ごした。
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