80.まりえと結末
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。今何て言った? エンディングを迎えても元の世界には帰れない?
視界が揺れて、全身の毛穴が開いて汗が噴き出すのを感じた。吐き気がする。だけどイスマイルが前もって取り乱さないようにって言ったからわたしは震えだす自分の両腕を抱きしめ、耐えた。そんな私をとても痛ましいものを見る目で見ながらイスマイルは話を続ける。
「……この世界での周回の終わりは毎回空にエピローグの文字が投射されることで知らされます。だからNPCの私でもその周のマリエがエンディングを迎えたことを知ることができた」
ワルブレヒトに、オンドレアに死ぬまで愛されることになりました。娼婦として生きていくことになりました。そして、借金を返して元の世界に帰りました。
「私は何度もその文字を見てきました。そして転生マリエの魂がその空に打ち上げられ、花火となって散って行くのも。毎回そうです。この世界に放り込まれる転生マリエは全員死者の魂だ。あなたも例外ではない。この世界に来る前あなたはどうなっていたのか覚えていませんか?」
イチゴジャム。箱に詰められたワルブレヒトを見た時からわたしに付きまとっている変なイメージ。イスマイルの言葉を聞いて、そのイメージが頭の中で広がって解像度を増す。あの日線路に突き飛ばされてホームから落ちたわたしが最後に見たものって……。
(イチゴジャムみたいな液体にまみれた、見慣れたわたしの手足……)
そっか。転生。わたし、死んだんだ。
「まりえさん……。大丈夫ですか?」
「……大丈夫に見える? なんでこんな大事なこと、クリア目前まで進めたタイミングで言うの……」
ノーマルエンド以外は全部死ぬって思ってたからわたしは頑張ってノーマルエンドを目指したんだ。イスマイルもそれを手伝ってくれたから。だけど何をどうしたっておんなじなんじゃん。だってわたし最初から死んでるんだもん……。
涙で滲んだ目でイスマイルを見上げるわたし。イスマイルも今にも泣き出しそうな顔をしてた。悪気があって黙ってたわけじゃないのはそれを見たらわかる。だとしてもちゃんと言って欲しい。わたしはイスマイルが問いに答えてくれるのを待った……。
「……周回が始まったばかりの頃、何度か転生マリエにこの事実を伝えたことがあったんです。しかし、真実を知ってしまった彼女たちはみんな強いショックを受けてしまい……、自ら命を絶ってしまったんです。あなたにだけは私はそうなってほしくなかった。だから、言えなかった……」
イスマイルは肩をがっくりと落として立ち尽くしている。長身の彼はそうしていると立ったまま枯れてしまった木みたいで、見ていると切ない気持ちになりそうで……とても哀れを誘った。
「まりえさん。あなたは強いですね。わたしの話を聞いても自らを傷つけるどころかそうやってまっすぐにこちらを見据えて……。どうか強いまま生き延びていってください。このあと私がどうなっても……」
「……それってどういう……きゃ!!」
うわごとのように呟くイスマイルに駆け寄ろうと思って立ち上がったとたん、地面がグラっと揺れた。揺れは一度で止まらず、ゴゴゴゴ……と地響きを立てて激しく揺れ続ける。わたしはバランスを崩してさっきまで座っていた椅子の背もたれにしがみつき、揺れが収まるのを待つ。
「止まった……? 何……? 地震……?」
わたしは再び椅子から立ち上がる。イスマイルはさっきと同じ姿勢のまままだ立っていた。ビシッ。何かが軋むような、ヒビが入るような嫌な音がした。ビシッ……ビシッ……メキメキ……。
「なんか、音して……、えっ」
ボコ。
まるで昔のコントみたいだった。イスマイルの真上の部分だけ、天井が音を立てて崩れたのだ。耳のいいイスマイルもそれに気づいて上を向く。それを見て考えるよりも前にわたしの身体は動き出していた。
「イスマイルッ……!!」
「は……、まりえさ……!!」
ドン、と。持てる力の全てを込めてわたしはイスマイルを突き飛ばす。マグマダイバーを一人で倒したわたしの渾身の体当たりでイスマイルは吹っ飛び、空きっぱなしのドアから廊下に押し出された。さっきまで彼がいたところに今いるのはわたし。そこに大きな瓦礫が音を立てて降り注ぐ。
「……まりえさん」
「……げほ……」
ぱらぱらと埃が落ちてくる部屋の真ん中で、気づけばわたしは床に潰れていた。鼻と口からごぼごぼと血が溢れていて呼吸がしづらい。血液も乙女ゲーサービスでほんとにイチゴジャム味にしてくれればいいのに、なんてどうでもいいことがちょっと頭をよぎった……。
「がは、ごほ、ごぼぼ……」
「まりえさん、まりえさんっ!!」
雑誌で叩かれたゴキブリみたいにわたしは瓦礫に潰されている。ありがたいことに痛すぎて逆にあんまり感覚がなかった。ただ、イスマイルを助けられたという達成感だけがそこにあった。
「まりえさん! まりえさん!! うわあああああ!! まりえさん!!!!」
「げほ……。イスマイル……無事、だね」
「どうして! どうしてこんなことしたんです!! 私なんかどうなったってよかったのに!! イヤだ!! 嫌だあぁぁッ!!!!」
イスマイルは半狂乱でわたしの上から瓦礫をどかす。顔の半分が口になっちゃったみたいに大声で叫びながら。そんな顔するんじゃないよ。せっかくの美形がだいなしじゃんねえ……。
瓦礫の中から引っ張り出されたわたしを抱きしめてイスマイルは泣いていた。涙を拭いてあげたかったけど指先すらもう動かせなかった。だらんと力が抜けた体は、素人の私がみてももう元通りにはならなそうだった。ポーションとか飲めばなんとかなるかもだけど、もう取りに行っても間に合わないだろう。目もだんだん霞んできている。
「嫌だ、まりえさん。嫌です。こんなつもりじゃなかった」
「ひゅ……、ひゅー……。ひゅー……」
もう喋るのも苦しい。潰れた肺から変な隙間風みたいな音が出るばっかりで、ちゃんとした声を出そうとすると痛みが走った。折れた骨がどっかに刺さってるのかもしれない。
「いかないで、まりえさん。愛してる、愛してるんです。私はあなたを愛してる。だから私を置いて行くな、まりえぇ……」
「ひゅー……、えぇ……ごほ。何……、イスマイル、ひゅー、わたしのこと、好きなのぉ……?」
ああ。じゃあもっとずっと前に伝えておけばよかったよ。
「わたしも……イスマイルのこと……好き……。やったぁ……両思いだねえ……。がは、げほ、ごぼっ……」
「まりえ……ああ……。愛してる……」
血まみれのわたしの唇に、イスマイルはキスしてくれた。それだけでもう今までの苦労が全部報われた気分になって、わたしは目を閉じる。
(大好きだよ。イスマイル。もう帰れなくてもいい。安彦まりえは最後にイスマイルと結ばれました。それでいいよ……)
そう思った瞬間。閉じた瞼の向こうが急に強い光に満たされる。わたしは怪訝に思って最後の力を振り絞ってうっすらとまぶたを開けた。
『コングラッチュレーション。脱出の条件をクリアしました』
さっきまで地下室にいたはずのわたしたちは今、瓦礫もベッドもない真っ白な部屋にいて、聞いたことのない声の無粋なアナウンスが大音量で響いた。
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