79.まりえとハンガーストライキ
は? 何やってんの?
「ちょ……何やって……。何やってんの!? 何やってんの!!」
イスマイルは細かく千切られた借用書を宙に投げる。ひらひらとした紙吹雪になってしまった借用書は部屋中に巻き散らかされていった。わたしはその場にへなへなと座り込み破片のいくつかを掴んで拾う。拾ったところでどうにもならなそうだけど拾った。他にどうにもできなくて。
借用書がなくなってしまったということは、借金を返すということの意味もなくなってしまったということだ。それは『借金を返し終える』というノーマルエンドの条件も消失してしまったということになる。
「……どうして」
わたしはイスマイルに恋してしまった。だから、何が何でも元の世界に帰りたいと言うモチベーションはかなり低下していたというのも事実ではあった。だけど、それは二人で話し合って今後どうするか決めたかったのだ。ちゃんとわたしから彼に好きだって伝えて、それからどうしようかって決めたかった。その機会をわたしの意思も聞かずに暴力的に奪うようなことをイスマイルがするとは思っていなくて。驚愕とか、怒りとか、悲しみとか呆然とかいろんな感情が胸に渦巻いている。その中からわたしが選び取ってわなわなと震える唇から放った感情は怒りの言葉だった。
「なんでこんなことすんだよ!! 借用書バラバラじゃん!! 馬鹿!! 何考えてんの!?」
「……これであなたはどこにも行けない。私もここから次には行けない。これでいい。これが私の考えた最適解です」
「そこにわたしの意見がいねえだろ!! あんたの考えた最適解とか知らねーよ!! 聞けよわたしの意見を!!」
わたしはイスマイルの意外にたくましい胸板を拳でぼこぼこ叩いて抗議する。イスマイルはわたしの乱暴な言葉遣いを諌めるでも眉をひそめるでもなく、ただ悲しそうな雰囲気を出すだけだった。なんなんだよその顔は。何とか言えよ!
「……この街から逃げましょう。オンドレアが弱って闇ギルドが混乱している今がチャンスです。私は新しい潜伏場所を見繕うのでしばらくここで休んでいてください」
「ちょっと! まだ話終わってないんだけど!!」
わたしの質問をガン無視してイスマイルは部屋を出て行ってしまう。目の前でバタンと閉まったドアを開けようとしてわたしはドアノブを掴んだ。
「痛ッた!!」
瞬間、全身に電流みたいのがバチっとはしった。そのあまりの痛さにびっくりしてその場に尻もちをついてしまうわたし。
「部屋から出られない……。うそ……監禁された……。イスマイルに……」
どうやってるのかはわからないけど、多分雷の魔法なんだろう。信頼していたイスマイルに監禁されたという事実が信じられなくて、わたしはしばらく立つことができなかった。
「こんなの……なんで? おかしいよ。これじゃイスマイル、攻略対象みたいじゃん……」
殺風景な部屋に一人で残されて、他にどうすることもできずにわたしはベッドに再び上る。いろんなものが手から抜け落ちたショックでしばらくは呆然としていて……気づいたら少し泣いていた。
***
どれくらい経ったか、窓も時計もないのでわからないけどしばらくしたらイスマイルが帰ってきた。
「……まりえさん、食事と着替えです。まだ潜伏先の当てがないのでもう少し待っていてくださいね」
「ねえ、考えたんだけど。今からまた新しく借金したらノーマルエンド復活するんじゃない? お金貸してよイスマイル」
「……」
他にすることがなくてずっと考えていた解決策を言っても、イスマイルは黙って首を振るだけで無視してきた。
「食べないんですか? まりえさん」
「今おなかすいてない。それよりちゃんと話聞いてよ」
「あとで食器を下げに来るので、食べてくださいね。私はまた物件を探しに行くので」
「ちょっと!」
わたしが抗議したがってるのがわかってるのに聞く気はないらしくて、イスマイルはまたそそくさと出て行ってしまう。テーブルの上でパスタが湯気を立てている。美味しそうだけど今は手を付ける気にならなかった。
「……着替えるか」
イスマイルはわたしの家まで着替えを取りに行ってきたようだった。今まで集めてきたアリスドレスとかチョコミントドレスとか、最初に着てたマリエちゃんの基本のドレスとか。どれもそれぞれ思い出深い、わたしの戦いと成長を象徴するようなドレスたち。それはイスマイルとわたしの関係性の変化とも一緒に変わってきたわたしの年輪だ。
「もう戦いとか関係ないから、好きな時に好きなドレスを着ればいいのか……」
クリアしたあとにそうなるんだったらわたしはうきうきとその日の気分のドレスを着ただろう。だけど今は全部無意味って言われてるみたいで虚しい。どれにも袖を通す気にならなかったから、結局わたしはずっと下着にスリップ一枚着ただけの姿でベッドに座っていた。
「食べなかったんですか? 一口も?」
またしばらくして、イスマイルが次の食事を持ってやってきた。手つかずのパスタを見て、抗議するような声でわたしを咎めるイスマイル。咎めたいのはこっちのほうだよ。
「いらない。イスマイルがちゃんと何考えてるのかわたしに言うまで食べない」
「馬鹿言わないでください。お腹すいてるでしょう。あなたは空腹に弱いたちなんだから……」
「だったらちゃんと言ってよ。なんでこんなことしたのか言って」
「……新しい食事を置いていきますから。食べたくなったら遠慮せずに食べてくださいね」
イスマイルは逃げるようにまた部屋から出て行った。ドアが閉まった直後におなかがぐうと盛大になったけど、わたしは食べなかった。水だけは飲んだ。死にたいわけじゃないからね。
***
「また食べてない。意地を張らないでください」
「意地張ってるのはそっちでしょ。食べてほしかったら言ってよ」
気の長さはエルフのイスマイルの方が有利かもしれないけど、意地の張り合いだったらわたしは負けない。しばらく食べろ、食べない、という言い合いをしたあと、イスマイルはまた出て行った。
「いいかげんにしてください。こんなの無意味です。ちゃんと食べてください」
「……無意味かどうかはわたしが決める」
動くとお腹がすくから、わたしはベッドにうずくまって過ごしている。訪れるたびに手つかずの皿を見ることにイスマイルは焦れているようだった。効いている。正直お腹減ってやばいけど、効いてるならとことん我慢してやる。食べ物を粗末にするのはよくないことだけど、今回に関してはイスマイルが悪いのだ。もったいないおばけにはイスマイルの方にだけ出てもらおう。
***
「頼むから……頼むから食べてください」
あれから何回このやりとりを繰り返しただろう。イスマイルの懇願はもうすっかり哀れっぽくなってしまっていた。そろそろ決め時だろう。
「……言ってないことを……話して」
わたしのほうももう喋るのもおっくうになってしまっていた。目の前に美味しそうなご飯があるのに手を付けないのは物理的な空腹以上に精神力を削った。イスマイルはそんなわたしのことを心から心配しているようで、メニューはだんだんシチューとかスープとか流動食に変わっていた。
「……わかりました。話します。だから頼むから食べてください」
「……食べたら言うんだよ。騙したらまた食べないから……」
「はあ……あなたには本当にかなわない……」
「……ごはんごはんごはん!」
がっくりと肩を落とすイスマイルを後目に、わたしはテーブルの上で湯気を立てているチキンスープに飛びついた。カラカラの舌にコンソメの素晴らしい味がひろがり、気がつけばわたしは皿までなめる勢いで平らげていた。
「……一つ約束してください。私の話を聞いてもけして取り乱したり、自分を傷つけようとしたりしないでください」
「それは聞かないと約束できないけど、わかった。話して」
「本当にぶれない人だな……」
イスマイルは突っ立ったまま諦めたように一つ笑うと、抑揚のない声で話し出した。
「……ノーマルエンドを迎えてもあなたは元居た世界には帰れません。エンディングを迎えた瞬間に魂が消滅して、あとには『元の世界に帰りました』という文字列が残るだけです。私はそれを何度も見た。だから、あなたにエンディングを迎えさせるわけにはいかない」
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