78.まりえと借用書
「ん……あ……」
深い眠りからふいに意識が浮き上がってくる。重たいまぶたをゆっくりまばたきさせて、わたしは目を覚ました。
「あれ……ここ……。うちじゃない……どこ……」
横たえられていたベッドから上半身を起こして目をこする。ようやくはっきりしてきた視界に見えてきた部屋はわたしの初めて見る場所だった。わたしが寝ているベッド以外に調度品はテーブルと椅子が二つ。あとはランプだけ。窓はない。ドアの下に空気穴がある。
「え……わたし、監禁されてる?」
あの後どうなったんだろう。ていうか今いつだ? わたしもしかしてあれから結構寝てた? それでオンドレアにさらわれた?
「イスマイル……負けちゃったのかな……そんな」
いや、オンドレアに捕まったんだったらもっと豪華な部屋にいるはずだ。レースフリフリのベッド、スチルで見たもんね。じゃここは一体どこなの……。
「……誰か来る」
まだよく動かない脳みそを動かして考えていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。歩き方は大股で、男ってかんじがした。ベッドの上で身を縮めて待ち構えているとドアの前で足音が止まる。ガチャリと音がしてドアが開いた。
「おや……目覚めていたんですね。気分はいかがですか」
「イスマイル!!」
ドアの間から顔をのぞかせたのはイスマイルだった! わたしはベッドから跳ね起きてイスマイルに駆け寄った。
「イスマイル……! よかった、無事だったんだね……」
「ええ、なんとかね」
「……あれ? イスマイル、その目どうしたの……?」
イスマイルはさっきからずっと右目をつぶったままでいる。殴られて腫れていた顔は全部元通り綺麗に戻っていたけど、それだけが違和感だった。
「さすがに私も無傷とはいきませんでした。NPCが攻略対象に危害を加えたことに対する代償でしょう」
「……そういうのがあるの? そっか、だから……。痛くはない?」
「痛みはないです」
ずっと変だと思っていたことの答えが出た。イスマイルはなんでずっとオンドレアに殴られても抵抗しないで殴られっぱなしでいたのかって。多分だけどイスマイルはそういうイベントでもない限り攻略対象を殴ったりしたらいけないんだ。それなのにオンドレアを殴ったの? わたしを助けるために……?
「それで……オンドレアはどうなったの? イスマイル」
「私が最後に見た時は気絶していました。後のことを考えたらとどめを刺すべきだったかもしれませんが……。やれませんでした。ワルブレヒトを見捨てられなかったあなたのことを思い出したら、できなかった」
「……それでいいよ。わたしのために人殺しになんかなってほしくない。だけど、助けに来てくれて嬉しかった……」
「……まりえさん……」
わたしはイスマイルのことをぎゅっと抱きしめた。イスマイルもちょっと遅れてわたしのことを抱きしめ返してくれた。ああ、どうしよう。わたしイスマイルのことが好きだっていう気持ちが膨れ上がって止まらない。
「イスマイル、わたしね……」
ぐぎゅるるるるる……。
「あ、あれぇ……」
あなたのことが好き、って言おうとした瞬間にわたしの腹の虫がでかい声で鳴いた。嘘でしょ? 空気読めよ、わたしの身体~っ!
「ぷっ、はははっ……」
「やだ、笑わないで~! 恥ずかしい~っ」
「丸一日眠っていましたからね。お腹がペコペコなんでしょう。今食べるものを持ってきてあげますから待っていてください」
「ひ~ん、ありがとう……」
クスクスと笑いながら出て行ったイスマイルが用意してくれたご飯はミートパイとお紅茶だった。
「あ~ん美味しそう、いただきま~す!!」
「お腹がびっくりしちゃうから良く噛んで食べるようにね」
「ふももも……ひょんなん無理~、ほいひしゅぎ……」
「もう何言ってるかわからない……」
簡素なテーブルにパイと紅茶をひろげて二人で食べる。パイのかけらをボロボロこぼしながら笑い合っておんなじものを食べる。目覚める前までオンドレアとやりあってたことなんか嘘みたいに穏やかな時間が流れた。
「ねえ、ここってどこ? こんなとこわたし知らないんだけど」
「ここは私の店の地下にある隠し部屋です。周回を繰り返すようになったばかりのころは私も絶望してこの部屋に引きこもったりしたものでしたが……。あなたを守るためには都合が良かった」
「そうなんだ……。ねえ。イスマイルが同行者設定から消えててわたしすごくびっくりしたんだよ。なんであんなことになっちゃってたの?」
「ああ、それはですね……。なんとかまりえさんの借用書をオンドレアから奪えないかと思って、彼の懐に潜入していたのです。いろいろと言いくるめて服従するふりをしてね」
「そういうことだったらさー、言ってよ! わたしが助けないとイスマイルともう会えないのかと思ってわたし一人でマグマダイバー倒しに行ったんだよ! シナバーも手に入れたし王様と謁見できる称号だって手に入れたんだから!」
「……よく頑張りましたね。立派です」
「ん……」
イスマイルはわたしの髪をひと房手に取ってするりと撫でた。それだけでわたしはとても嬉しくなって、それ以上文句を言う気を削がれてしまう。
「私もオンドレアの事務所であなたが賢者の石を手に入れたと聞きましたね」
「だからオンドレア、あんな取り乱した感じだったのかあ。でもわたし賢者の石はまだ作ってないよ。シナバーだけだよ手に入れたのは」
「錬金術師がでかいモンスターを倒して赤い石を手に入れたら、そう早合点する人もいるということではないですかね。オンドレアの部下はあまり聡明ではない者が多いので……」
「迷惑~」
こうやって二人で話しているといつもの日常が帰ってきたって感じがして気持ちがいい。わたしは会えなかった間を取り返すみたいにイスマイルと会話を続けた。
「は~、楽し~。イスマイルと話してると安心するよ」
「しばらくはオンドレアが血眼になって私たちを探しているでしょうから、ここで身を隠していてくださいね」
「しばらくってどれくらい?」
「さあ……私にあなたと借用書を奪われて血液が沸騰しているでしょうからかなりしつこそうですよ」
「……? えっ!? 借用書手に入れたの!?」
借用書が目当てで潜入していたとは言ってたけど手に入れたと言うのは今初めて聞いた。びっくりしすぎて思わず立ち上がってしまう。
「座ってお食べなさいよ、行儀の悪い」
「だ、だってだって! 借用書手に入れたなんて言ってなかったじゃん! なんでそういう大事なことを言わないわけ!」
「別に……食べ終わったあとでもいいかなと思っただけです」
「え~? わかったよ、も~」
一口残っていたミートパイをむしゃむしゃと食べて紅茶で飲み下す。濡れナプキンで両手を拭いてからわたしは改めて借用書のことを問いただした。
「で? 借用書手に入れたんだよね!」
「ええ。自宅に隠されていたらちょっと困りましたが、オンドレアの性格上肌身離さず持ち歩いているのではないかと思って、殴り倒した後に懐を探ってみました。そうしたら思った通り、ほら」
「……ほんとに手に入れたんだ……すごい……」
目の前でイスマイルは封筒に入った紙一枚を拡げて見せた。それにはワルブレヒトの親とマリエパパのサインがしてあって、100万マニーの借金と、返せなかった場合マリエちゃんが引き継ぐ旨が記されてあった。今更だけど娘の名前書くなよな~、そこだけだよ、マリエパパの尊敬できないとこ……。
でもこれでトゴなんてありえない暴利におびえながら金策に走らなくていい。今はイスマイルがこの借用書を持っているわけだから、なんとか工房に戻って賢者の石を作り、王様に売ったらその報酬をイスマイルに渡す。それで借金返済エンドクリアだ!
クリアした後どうするかはもうその時考える。その意思をイスマイルに伝えようと思ったその時、イスマイルは信じられない行動に出た。
「え……?」
わたしの目の前で見せつけるように、イスマイルは借用書をびりびりに破いてしまったのだった。
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次回の更新はお盆明けかと思います。佳境ですがしばらくお待ちください。




