67.まりえと我慢
イスマイルの店は閉まっていた。ドアノブに「close」と彫ってある木の板がそっけなくぶら下がっている。
「イスマイル……体調でも崩しちゃったのかな……。それともどこかに行ってる?」
わたしはイスマイルの安否が外側からわからないかと思って、店の周りをうろうろと歩いてみた。見上げた二階の窓のカーテンは固く閉じられていて、いるかいないかはわからない。
「どうしよう……思い過ごしならいいんだけど……」
イスマイルと同行できないことそのものはそこまで問題じゃない。寂しいけど、もともとイスマイルは同行者にはなれないNPCだったのだ。それが偶然ルールの穴を突くことができてついてきてくれるようになっただけ。今思うとわたしは結構便利に彼のことをほいほい呼び出していたけど、まあまあ無理をさせていた気もする。だからもうついてきてもらえないならそれはそれでもいいんだ。
(もう無事でいてさえくれればそれでいいから……)
あとイスマイルがいそうなところはスイーツショップか森の湖かな、と思って店を離れようとしたところで、わたしは数人のごろつきがこちらに近づいてきているのに気が付いた。
「な、なに? あんたたち」
「へっへっへ……、ピーチ姫。闇の帝王がお待ちですぜ……」
「俺らはカボチャの馬車を引くまるまるねずみユニコーンさ……」
「王子様のキラキラ虹色ダンスパーティーよりももっと素敵なギラギラ闇色ダンスパーティーの招待状を持ってるんだぜ……」
あ、こいつら初めてスラムに来た時絡んできたメルヘンごろつき三人衆じゃん。語彙がメルヘンなせいでわかりづらいけど、多分これオンドレアが呼んでるから事務所に来いって言ってるんだな。
「……事務所にイスマイルもいる?」
「さあ、俺らは単にボスのキューピッドだからな……余計なことは言わないように言われているぜ」
「そのメルヘンな修飾語は無駄じゃないっての?」
「これは俺らの生きざまだから無駄ではないんだぜ……」
「そう……それはちょっとごめん……」
オンドレアは怖いしイスマイルも心配なのは変わらないんだけど、メルヘンごろつきたちと喋りながらスラムを歩いていたらなんかちょっと落ち着いてきた。例のブローチも今日はちゃんとつけてるし、最悪なことにはならないと信じたい。
わたしはほどなくO代行社のオフィスにたどり着く。前回と違って今回はなぜか、構成員とおぼしきいかつい人たちが廊下にずらっと並んでいた。
「おはようございます! ようこそいらっしゃいました! マリエ姐さん!!」
「ま、マリエ姐さん? どういうこと?」
「マリエ様はボスの女。もはや俺らの姐さんだということです」
「え!? わたし別にオンドレアの女とかになった覚えないんだけど!?」
「あなたがそう思わなくてももうここではそうなんです。胸につけてらっしゃるブローチがその証」
「そんなことよりボスがお待ちです。こちらへ」
「そんなことよりって……ええ~」
構成員に根回ししてある感じが気持ち悪くて、嫌な気分になった。これってもしかして胸にブローチをつけてることによってオンドレアルートのフラグが立ったということなんだろうか。
「ボス! 姐さんがいらっしゃいました!」
「おう、入ってもらえ」
「こんにちは……おじゃましま……」
「マリエ! よう来たなあ!」
「……!」
肉食動物みたいな印象のオンドレアの声に気圧されそうになりながらわたしは事務所の中に入った。と同時に奥にいるオンドレアの姿が目に入る。オンドレアは前に来た時と同じように偉そうに座っていた。前と違っていたのは彼が座っている椅子の方だった……。
「……イスマイル!!」
「おっ! 今日は俺のあげたブローチつけてくれとるやんけ! やっぱりマリエは優しいのぉ、嬉しくなってまうわ……」
オンドレアがわたしの胸元のブローチを見て顔をほころばせてるけど、わたしはそれどころじゃない。だって、オンドレアが座っているのは四つん這いにさせられたイスマイルの上だから!
「ねえ、どうしてイスマイルに座ってるの!? しかも鼻血出てる! また殴った!?」
「なんや、俺が笑顔で出迎えとんのにまずイス野郎の話かいな。傷つくわ。つれない女もグッとくるけどまあまあ気に入らんわな」
「だって、そんなの気になるに決まってる。あなただってツッコミ待ちでそうやって座って待ってたんじゃないの!?」
あまりの光景に動転して、わたしはちょっと今それどころじゃないんじゃないかって感じのことを言ってしまった。オンドレアに座られているイスマイルがおまえは何を言ってるんだといわんばかりの呆れと苦渋の表情で横に首を振る。
「まあ、正直そうやな。なかなかノリがええやん。俺ら相方になろか?」
へらへらとふざけ倒しているオンドレアと話しているとだんだん頭に血が登ってきた。怖い相手なのに、アドレナリンが出るのを感じる。アドレナリンってのは恐怖に対して闘争か、もしくは逃走に身を置く準備をするために出る脳内麻薬だって何かで聞いた気がするけど、わたしの場合は闘争に駆り立てられるタイプみたいだ。
「ふざけないでよ。あんたがワルブレヒトにしたことだってわたし別に許してないんだから。その上イスマイルにまで酷いことして。どうしてそんなことするの!」
「なんやねん、そないにカッカすなや。前来た時バチコン躾したったのに、なんやこいつ、俺に隠れてマリエとこそこそ会い続けてたようやないの。せやから二人でよーく話し合ってな。こないだからこいつには俺の椅子になる仕事してもらうことにしたんよ。ええやろイスくん、名前もイスみたいやし、なあ?」
「ぐっ」
オンドレアは馬とかにするようにイスマイルのお尻を平手で打った。パシンと小気味いい音じゃなくてズゴッみたいな重い音がした。
「……イスマイルはわたしが金策に困ってたから手伝ってくれてただけ。だから酷いことしないで」
「困っとんのなら俺に頼めばええんや。わけのわからん嘘ついて、プレゼントしたブローチもようつけてくれん。マリエは俺のこと何回傷つければ気ィ済むんかな。悪い女やで……」
……やっぱりこの間の言い訳じゃだめだったか。言い方が面白かったから流してくれただけだったんだな。まあ、そりゃそうかって話なんだけど……。
「なんやの? 自分らほんまはデキとるんか? そんならもうちょっと俺もやり方変えんとならんのやけども……。なあマリエ。マリエはこいつに惚れとるんか?」
オンドレアは紙巻たばこに火をつけて吸い、天井を向いて煙をフーッと長く噴き出してからこっちを見て言った。目が据わっている。答えによっては何をするかわからない、怖い目だった。
ここで首を縦に振るわけにはいかない。そんなことしたら、イスマイルがこれ以上何をされるか……!
「……そんなんじゃない。イスマイルは本当にただ助けてくれてただけなの。わたしもイスマイルのこと、ありがたく利用してただけだから……別になんとも思ってない……」
喉を通って口から飛び出す自分の言葉は、全部尖ったガラスの破片みたいになってわたしの胸を傷つける。自分の口で、イスマイルの目の前で彼のことをなんでもないと言うのは思ったよりとても辛いことだった。
そんなわたしの言葉を聞いて、イスマイルはわたしにしか見えない角度で小さくふっと笑っていた。
「どっちでもええわ。とにかく、これからイスマイルくんは俺に虐められて暮らします。マリエのお手伝いはようできんようになりました。わかったな?」
イスマイルのその顔を見てしまったわたしはオンドレアにこれ以上つっかかることはできなかった。ぎゅっと握った手のひらに、爪の先がちくんと食い込んで痛かった。
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