63.まりえと手紙
「ワルブレヒトを錬金釜に? 一体何をするつもりで……」
「いいから早く! 間に合わなくなる! 入れて!!」
喉から出た懇願は自分でもびっくりするほどヒステリックだった。イスマイルはそれを聞くとそれ以上は何も言わず、木箱を持ち上げた。
(何でもいいんだよ。ネズミでも、蛙でも、なんならさばいた魚のワタでもさ……)
わたしにホムンクルスの作り方を教えてくれたワルブレヒトは、イスマイルが傾けた木箱から錬金釜の中にどぅるんと滑り落ちて、底にどろりとたまった。その姿はあまりに残酷で凄惨なのに、今のわたしにはもう吐き気も感じられなかった。
わたしはもう一人前の錬金術師だ。ワルブレヒトはそれを見届けたくて、わたしにこの術を授けてくれたのだ。だから今それに応えなかったらいつこの人にそれを見せてあげられると言うんだ。
「そうだよね。ワルブレヒト兄さん」
ワルブレヒトはもう呻き声も上げなかった。カウントダウンはもう三分も残っていない。わたしは感傷的になるのをやめ、テキパキと残りの材料を釜に入れていき……。最後に賢者の石を入れて、蓋を閉めた。
「……まりえさん。大丈夫ですか?」
釜が動き始める。カウントダウンの表示は消えた。わたしは、やりきったのだ。
「はあ……」
そう思ったら膝の力が抜け、わたしはその場にぺたんと座り込む。なにこれ、やだなあ……。
「全然平気……」
そう言って立ち上がろうと床についた私の手は、ぶるぶる震えて力が全然入らなかった。
「まりえさん」
「わ……わ、あぁ……」
手と一緒に震える唇から勝手に声が漏れる。目から涙がぼたぼた出てきて手を濡らした。
「まりえさん……」
「うああぁ……、イスマイルぅうぅ……」
大きな手がわたしの肩に触れる。わたしはその手の持ち主の袖をつかんで、胸元に飛び込んだ。
「うっ……うっ……、イスマイル……。わ、わたし、わたし、どうしてこんなことっ……してるの、かな」
「……」
「わたし、毎日頑張って、ぐすっ。生きてただけだよ、なんにも、悪いこと、してないよ。うう……。そ、それともっ、何か……悪いことしちゃったから、今、こんなところに、いるのっ……ぐすっ、かなぁ。なんかの罰……っ、なのかなぁ……」
「……」
「怖いよ……助けて……イスマイル……」
もう割り切ったと思っていた、違う世界に放り込まれた理不尽への憤りや恐怖をわたしは今思い出してしまった。現実だったらこうだろうってことがゲームのガバガバ処理で起こらなかったり、かと思えばこんなふうに知ってる人が突然ぐちゃぐちゃにされちゃうわけわかんない世界。そんなところで今日までわたしは気を張って頑張ってきたのだ。だけどそれは結構やけくその強がりで……。本当はこんなふうに誰かにすがって泣きたい日もあって……。
「まりえさん」
「……ん」
気付けば長い手が私を抱きしめて、背中をぽんぽんと叩いてくれていた。
「罰なんかであるわけがない。だってあなたはとってもいい子でしょう?」
「ひっく……」
「……元の世界に帰りたいですか?」
「……こんな怖いことが起こるんだったら……はやく帰りたいよ……」
「なのに賢者の石、使っちゃったんだ。おばかですねぇ」
「……うっさいよ……」
ぽん、ぽん、と優しいリズムで背中を叩かれているとだんだん落ち着いてきて、言い返すくらいの元気は戻ってきた。
「クリアが遠のくのがわかっててもワルブレヒトを見捨てられなかったんですよね。いい子ですよまりえさんは。どうかそんなご自分を恥じぬように」
「……うん。ありがと……、イスマイル」
「釜が止まるまでまだしばらくかかりそうだ。熱い紅茶でも淹れてきてあげましょうか?」
「やだ。もうちょっとこのままいさせて。離れないで……」
「仕方ないですねぇ……よしよし」
イスマイルはわたしを抱きしめたまま、一緒に床に座って待ってくれた。彼の例のゆっくりした心臓の音と、錬金釜が稼働する唸り声のような音だけが工房に響いている……。
「ねえ、まりえさん」
どのくらいそうしていただろうか。しばらく黙って背中を叩いてくれていたイスマイルがふいにまた名前を呼んできた。
「……なに? イスマイル」
「そこに落ちている封書、箱と一緒にあったものですか? 血がついている」
「あ、そういえば……」
わたしがイスマイルをとっさに呼び出したきっかけになった封書。ワルブレヒトのカウントダウンに意識を持っていかれて忘れてたけど、まだ中身を見ていなかった。
「箱に貼ってあったんだよ。でも血がついてるの見てびっくりしちゃってそれ以上触ってなかったの」
「ということはまだ中身を見ていない?」
「うん……」
イスマイルの問いに答えてから彼の胸元から顔を離し、わたしは見上げる。いつ見ても賢そうで綺麗なイスマイルは、心底嫌いな相手に出くわしてそれを陰から見ている時のような顔で床に落ちた紙切れをじっと見ていた。
「……確認が必要ですね。誰がワルブレヒトをこんなふうにしたのかそれでわかるかもしれませんから」
「そうだね……」
「受け止める心の準備はありますか? まりえさん」
無理なら自分が見てやる。こちらを振り向いたイスマイルの目はそう言っていた。だけど。
「……見る。見せて。イスマイル」
覚悟を決めたわたしに、イスマイルは封書を渡してよこした。わたしは閉じられた封を乱暴にびりっと開ける。中には白くそっけない便箋が一枚入っていた。折りたたまれたそれを開くと、げじげじと汚い文字でびっしりと何かが書いてある。わたしは目を細めてその読みづらい字を解読する……。
『拝啓、愛しのピーチ・マリエへ。この手紙を読んでいる頃には俺のとっておきのプレゼント、無事に受け取れとるかなあ? 生モンやから早く開けてな。せやないと腐ってまうから。
まあピーチにはちょぉ刺激の強い大人の味かも知らんけどな。でもこうなった理由はちゃあんとあるんよ? ゲーリッチ家は……知っとると思うけどその箱に入っとるワルブレヒト・ス・ゲーリッチ君の実家な? あの家も闇ギルドによお縁のある家やってんけど……。無断でコムギコカナニカやら作って隠れて売ったり、場ぁ荒らすような不義理をぎょうさんやっとったんよ。だからちょっとな。ケジメいうの? つけさせてもろたわけよ。
そういうわけでゲーリッチはんのおうち、ないないさせてもろた。財産の方は慰謝料として闇ギルドで徴収させていただいて……。ああ、財産ていうのはな、借金とかも財産のうちなわけで……。ゲーリッチはんがよそのお家に貸しとる借金の借用書とかな、そういうのもまるっと闇ギルドが管理することになったから……。まあピーチは賢いからみなまで言わんともわかるか!
てなわけでな。今度から借金は俺に直接返しに来てな。なんやうちの銭ゲバ妖精とやたら仲いいようやけどな。あのアホやなくて俺にな。この俺、オンドレア・シバイタルネンに返しにくるんやぞ。もし返せへん場合はピーチ。マリエ・ス・カラカンの身柄を持って完済ということにさせてもらうことになる。
正直なところ言わせてもらうと俺は借金なんか返してもらえなくてもかまわんのよ。ピーチがその血も肉も心も、ぜぇんぶ俺に捧げてくれるようなら金なんか一マニーたりともいらんいらん! それどころかなんでも買うてやりたいわ……。綺麗なおべべとか、指輪とかな。なぁんでもやで。次会うときは今度こそ俺があげたブローチ、つけてきてくれたらええわな。
愛してるで。ほなな。
おまえのオンドレア・シバイタルネンより。敬具』
わたしはそれを読んで……ぞっとした。
本来のノーマニー×アルケミーでは攻略ルートが移るときに攻略対象がもう片方を闇討ちするなんてことはなかったのだ。なかったのに、それがおきた。違うんだ。改めて、この世界ってわたしが知ってるノーマニー×アルケミーと違うんだ……。
「まりえさん、それは手紙ですか? 一体何が……」
ぷしゅう。
イスマイルが疑問を口にしたのと同時に錬金釜が止まる。わたしはイスマイルに返事をするのを後回しにして、釜に駆け寄りその蓋を開けた。
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