62.まりえとカウントダウン
「まりえさん、どうしたんですか? さっき別れたばかりなのに。そんなにほいほい呼び出されては困りますが……」
「い、イスマイル~ッ!」
「え? ええ? まりえさん?」
わたしは歩いてきたイスマイルに駆け寄り、ぎゅっと抱き着いた。彼のローブを掴む自分の指が小さく震えている。イスマイルは長い指を伸ばしてそっと包みこむように手を握ってくれた。
「どうしたんですか? 落ち着いてください。何か怖いことでもあったんですか?」
「変な物が……変な物がドアの前に置いてあるの」
「変な物? あの箱ですか……?」
「うん……わたし、なんだかあの箱が凄く怖いの」
「なんでまたそんな……。ただの箱でしょうに」
どうしてだろう。なんでか、わたしには密封してある頑丈な箱そのものをひどく怖く感じた。時々箱が沢山出てくる夢を見るから? それとももともと箱が怖いからあんな夢を見るのだろうか。
「まあとりあえずあんなものがドアの前にあったら入れませんよね。どかしましょう。私が運びますよ」
「やってくれる? ありがとう……」
「なんの。その代わりまたクッキーをくださいよ」
軽口を叩きながらイスマイルは腰を落として箱に手をかけた。
「ん? ばかに重いな……。それに、液体が入っているような感じがします。中で重心が移動するような……」
「ええ……やっぱり海産物なのかな。生臭いし」
「言われてみれば確かに……」
「ああ、うう」
「なんですかまりえさん。今何か言いました?」
「え? 何も言ってないよ?」
「え?」
今、なんかうめき声みたいなのが聞こえた気がする。イスマイルにも聞こえたようだ。
「うう……ああ……ううう……」
「何!? 何今の!!」
「まりえさん、静かに」
イスマイルは長い耳を箱にそっと当て、何かを聞いていた。わたしは怖くて怖くて、叫び出しそうなのを我慢する。
「よく見たら蓋の隅っこに小さい穴が……臭気と、かすかに呼吸の音が聞こえます。生き物が入っていますね。そして弱っている。早く出してやった方がよさそうだ。どうします。まりえさん」
「え……、じゃ、じゃあ……とりあえず工房に運んで……。そこで開けよう」
イスマイルが箱を持ち上げてくれたのでドアを開けることができた。異変を察知していたのか、ドアを開けると留守番のホムちゃんたちがわたしたちを見上げてんわーんわーと騒いでいる。
「釘抜き持ってきてホムちゃん」
「んわ!」
箱を開ける道具をホムちゃんに頼む。ワルブレヒトがホムンクルスの作り方を教えてくれた時に新しく作った個体だ。赤大根なのか、ちょっとピンクっぽい。その背中を見送ってからわたしはイスマイルを工房に誘導した。工房の床は現実世界の病院とか老人ホームみたいなビニールっぽい素材でできているから、中身がこぼれて汚れても大丈夫そうという理由で工房を選んだんだけど……。
「ぐっ……重い」
「工房ちょっと遠かったね。ゆっくり降ろして」
「ふう、開けましょう。釘抜きは?」
「んわ!」
ちょうどのタイミングで追いかけてきたピンクのホムちゃんはイスマイルに釘抜きをわたしてくれる。そしてまたどこかへ出て行ってしまった。
「中身が飛び散るかもしれない、ちょっと離れててくださいね。開けますよ」
「うん、お願い……」
メリメリ、と音を立ててイスマイルは一角ずつ慎重に釘を抜いていく。ギッ、ギッ……と軋んだ音がして太い釘は抜けて落ちる。その後がたんとずれた蓋を彼はそっと開けて行った。瞬間、生臭い匂いがぷんと強くなる。なんか……これ海の匂いじゃない。もっと吐き気を誘う嫌なにおいだった……。
「うっ……!?」
「うえ……くっさ……。イスマイル、中身なんなの……?」
わたしは吐き気を堪えながら箱を覗き込もうとした。
「駄目です。見るな!」
「えっ……」
「……見ないほうがいいです。まりえさん」
「え、何……?」
イスマイルはわたしの前に掌を掲げて近づけないようにした。何? それ、何が入っているの……?
「これは……」
わたしを制止したまま、もう片方の手で箱の中に手を差し入れるイスマイル。中で何かを摘まんで取り出した。赤みがかった半透明の粘液にまみれたそれは……。
「この髪の色……。見覚え、ありますよね……」
銀色にキラキラと輝く、よく手入れされた短い髪の毛の束だった。
「それ……それって……」
ワルブレヒトの、髪の毛だった。
「……嘘! 駄目!!!!」
ちょっと抜け落ちたとかじゃない、ありえないほどごっそりと摘ままれた髪の毛。それはもうこれ以上ないくらい異常事態だった。
「ねえ! イスマイル!! そこに入ってるのって……、ワルブレヒトなの!?」
イスマイルは眉根をぎゅっと寄せながら薄目で箱の中を睨んでいる。そして静かに頷いた。
「どうして……どうしてこんな状態で生きていられるんだ……。一体どうして……しかし、この状態ではそう長くは……」
「どんな状態なんだって!!」
イスマイルのつぶやきを聞いたら異常な箱への恐怖よりも中にいるらしいワルブレヒトへの心配が勝った。わたしはイスマイルの肩をぐいっとどかして箱を覗き込む……!
「い゛ッ!!!! ぎっ……ごえっ……るるるるっ……」
中身を見た瞬間、理解するよりも先に胃がでんぐりがえった。咄嗟に顔を逸らして、工房の床にびたびたと胃液を吐いてしまった。舌を出して続く吐き気に耐えながら、ようやくさっき見た中身を理解しようと脳みそが動き出した。
(ワルブレヒト……こんな……、こんな……。ないじゃん。顔と中身しかないじゃん!!)
それを理解した瞬間。わたしの頭に突然謎のカウントダウンの表示が浮かんだ。10分間。ピッピッと一秒ずつなくなっていく。もう一度箱の方を見るとそこにはこれまた謎の体力ゲージが表示される。どっちもどんどん減っていく。どんどん、どんどん失われていく……!!
「まりえさん、もう見ないで。これではもう彼は……」
「はあ、はあ、もう? まだ、まだこんなに残っているのに……?」
「……まりえさん?」
体力ゲージはワルブレヒトに残された命の火。カウントダウンはわたしに残された時間だ。なんの? そんなの、一つしか思いつかない。
(ワルブレヒトをこのまま死なせるかどうか。その選択をする時間のカウントダウン……!)
どうしたら。どうしたらいい。こんな状態で生きながらえて、ワルブレヒトはこのあとどうなるの? それに、クリアしたらこのワルブレヒトもこのゲームごとなくなって新しいゲームが始まるんでしょう? もともとワルブレヒトルートを捨ててオンドレアルート一本にしてゲームを簡単にしようってわたし思ってたんじゃん。当初の予定通りじゃん。そうだけど。そうなんだけどさ……!
(マリエ。僕はもう君に意地悪なことはしないよ。だけど君が錬金術師として大成して、君自身を救う姿を側で見ていたい。その時が来たら、僕も君一人を愛するためにすべてを捨てられるかもう一度考えたいから……。それまでそばにいさせておくれ)
ワルブレヒトはもうわたしにとって意地悪な攻略対象じゃなくて、優しい兄弟子になっていた。そんな人をこんな酷いみじめな死に方をさせて、クリアしたあとわたしは笑っていられるだろうか。
「まりえさん。どうしたんですか。まりえさん」
「イスマイル。イスマイル前に言ったよね。ニキビ面で過ごすことが確定してる周回は憂鬱だって」
「まりえさん……?」
気がついたら勝手に涙が流れていた。自分でも何言ってるんだって思う。これからしようとしてることも馬鹿だって思う。だけど、もうわたしの選択は決まってしまった。
「……ワルブレヒトを、錬金釜に入れる。手伝って。イスマイル」
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