51.まりえとお膝
なってよ、と言い終わると同時におでこにイスマイルのチョップが降ってきた。
「ぎゃっ、痛い」
わたしがおでこを押さえる間もなく、そのまま長い腕が首に巻き付いてぎりぎりと締め上げてくる。ヘッドロックだ。
「痛い痛い苦しい苦しいギブギブギブ! わ、背中にすごいでかいおっぱい当たるわあいたたたたた」
「あなたはねえ! ひとの肉体を本人に同意を得ずに勝手に変化させるんじゃないですよ!!」
「大丈夫って、ヘアピン外したら元に戻るから! まじギブギブギブ首締まるって!!」
イスマイルの太ももをばしばし叩いて息の限界を告げるとようやくヘッドロックが緩んだ。
「それを早く言いなさいよ、まったく……」
「きゅう~……」
わたしを抱え込んだまま、イスマイルはヘアピンを髪から引き抜いたようで、背中に当たった爆乳がみるみるうちにしぼんでいった。っていうか今わたし抱きしめられてない?
「まあ、話はわかりましたよ。私が国外から留学している令嬢になりすましてヨワール氏にエスコートされてくればいいんですよね」
「そういうことなんだけど……ねえ、そろそろ離して~」
「駄目です。ひとに無礼を働いた罰としてしばらくこのままです」
「なんでぇ……」
イスマイルはわたしを後ろから抱え込んだまま、ソファにどっかと座る。わたしはというと彼のお膝に乗っけられているような形になってしまう。よく考えてみたらイスマイルは長生きのエルフだからわたしなんかちっちゃい女の子と変わんないのかもしれないな。まあそれならそれでいいか。わたしはイスマイルの胸板に頭の後ろを預けてよりかかった。
「ドレスくらいは貴族であるヨワール氏に用立ててもらいたいところですけどね」
「その辺は言われてなかったなあ。多分だけどこれ、ドレスを手に入れたら先に進むイベントのような気がする。そういうのこの手のゲームには時々あるんだよね」
「なんとケチくさい。貴族の癖に」
「金貸しにケチくさいとか言われたくないんじゃない? むぎゅっ」
憎まれ口を叩いたら両のほっぺを片手で掴まれてわたしのお口がタコさんになった。
「ドレス……。女になった私が着られるようなドレスねえ……。以前没落貴族に金を貸した時に差し押さえたものという体のドレスが私の店のクローゼットにありますよ。なんでこんなものがあるんだと思ってましたが……」
「それだ! ちょっと探してみてよ。あとはわたしのだよね~。この間の鉱山の探索でコウモリの皮膜が結構ドロップしたから~、これでなんとか従者用の衣装を作れないかな」
「今まであなた服は基本的に店で買ってましたよね。衣装なんか作れるんですか?」
「それなんだけど……。雑貨屋さんに併設されてる仕立て屋さんがあるはずなんだよね。平民向けの店だけど頼めばそれらしいものは作ってくれるんじゃないかな」
現実だったらお洋服仕立てて出来上がるのは数日とか何週間かとかかかるだろうけど、これはゲームだから一日でできるだろう。
「コサージュとか足せばそれらしくなるんじゃない? それだったら自分で作れるし」
「錬金術師って言うのはなんでも作るんですね」
「すごいでしょ」
「ふむ……」
話が落ち着くと二人ともなんとなく黙ってしまう。というかイスマイルの膝に座らされてる今の状況って……何?
「ねえイスマイル。そろそろ離してくれないかな」
「……」
「ねえってば、変だよ」
振り向くと至近距離でイスマイルと目が合った。イスマイルは溢れ出しそうな何かを堪えているような独特の熱っぽい目をしていた。あれれ? イスマイル、どした?
どきどきと胸が高鳴り始める。唇と唇が触れそうなくらい近い。え、ほんとうに変だよ。どうしちゃったのイスマイルってば……。
「んわわー!!」
「ひゃっ」
「はっ」
変な雰囲気になったわたしたちをホムちゃんの声が正気に戻した。ホムちゃんたちはお茶とお菓子を早く食べないのかとせっついているようだった。
「ごめんごめんホムちゃん、そうだよね、お茶冷めちゃうよね。イスマイルも一旦お茶しよ。せっかくお家に来てくれたんだし」
「……そうですね。いただきます……」
イスマイルはようやく巻き付いていた腕を離してくれた。なんだったんだろ。エルフってもしかして人間よりスキンシップが激しいのかな。見た目も外国人だもんね。親愛のあかしにハグするみたいな……。ってことはわたしとイスマイルがそれだけ仲良くなったってことなのかな。距離詰められすぎてびっくりしちゃったけど……。
(一瞬キスされるかと思っちゃった……。でもそんなわけないよね。だってイスマイルは攻略対象じゃないんだし……)
でもなんだかさっきのイスマイルはまるで攻略対象みたいだった。お膝に乗っけて抱きしめるなんてまるでワルブレヒトがやるようなことだと思う。やめてよ~、そんなことされたらどんどん好きになっちゃうよ……。
今度はちゃんとわたしもイスマイルの向かいのソファに座ってティーカップに口をつける。イスマイルの様子をちらっと伺うと、彼はふむふむと味わいながらわたしの作り置きのクッキーを食べていた。
(おちつけわたし。今まで接近したり密着したりは散々してきたじゃん……。下着も見られたし、水着で水浴びもしたし、おんぶされたり膝枕されたりもやったじゃん……。そう思うといろいろやってるな……)
一回好きって自覚しちゃうと、それまでイスマイルのことをただのNPCだしと思って適当に扱ってた時の自分のあけすけな行動が恥ずかしくて勝手に顔が熱くなってしまう。
「聞いてますか、まりえさん」
「あっ、へっ? 聞いてない!」
「まったく……。私だけでなくあなたも性転換するのなら前もっていろいろ練習しておきなさいという話をしていたのです」
「練習? なにが?」
「男の身体にいきなりなるといろいろと違うことが出てきますよ。私も感覚をつかんでおきたいのでこのヘアピンは一旦持ち帰ります」
イスマイルはさっき髪から外してローテーブルに置いておいたヘアピンをつまんで、ハンカチにつつんでポケットにしまった。
「ではそろそろお暇しますよ。まりえさんは自分用の衣装をちゃんと用意してくださいね。それとくれぐれも身体には慣れるように。パーティーの最中にへっぴり腰で歩いたりなんかしたらいい笑い者ですよ」
「え~? へっぴり腰になんかなったりしないもん」
「どうだかね……。まあ一回そのヘアピンを自分でも使ってみなさい。お茶とクッキーごちそうさまでした。では」
「わっ」
ソファから立ち上がったイスマイルは遅れて立ち上がろうとしたわたしの頭にぽふっと手を乗せて、二、三度くしゃくしゃっとかき混ぜてから玄関へ歩いて行った。
「もー、髪の毛ぐしゃぐしゃにしないでってば……」
文句を言いながら追いかけるわたしだけど、唇の端がにやけてしまうのが止められない。やだよな。イスマイル相手だと何されてもちょっと嬉しいんだもの。
「じゃあねイスマイル。またあとでね」
「ええまりえさん。またあとで」
乱された髪の毛を直しながらドアのところで見送りに出たわたしにイスマイルは笑顔を向ける。その笑顔はわたしの気のせいばかりじゃない、やっぱり最初に会った時よりも甘くて優しい。
(特別なひとになっちゃったなあ……)
わたしはここに来て、本当にノーマルエンドをクリアして元の世界に帰りたいのかということを考え始めていた。ノーマニー×アルケミーのノーマルエンドはかなりやけくそ気味に「そういえばわたしは転生者だったんだわ!」って感じの展開がぶっこまれて、あっという間に終わる。
(もしそこで帰るか帰らないか選ばせてもらえるなら……)
今のわたしはどっちを選ぶだろう?
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