5.まりえとトイチ
「顔を……顔を洗わせてぇ……」
「仕方ないですね、そこの水を使いなさい」
目の前でガラの悪いイケメンに顔を舐められてべそをかいている女にちょっと引きながらイスマイルがタオルを差し出してくれる。優しい……イケメン……。お言葉に甘えてありがたくお顔を洗わせていただきます……ぱしゃぱしゃ……。
「ぷはーっ! すっきりした。うわ……顔が水滴をはじく……。18歳の美少女ヒロインにはスキンケアも無用ってか……」
「何ブツブツ言ってるんですか? 話を再開しましょう」
冷めきったハーブティーを入れ直しているイスマイルの前に戻って腰を下ろす。オンドレアの登場のインパクトが凄すぎて何話してたか忘れちゃったよね……。
「さて、まあさっきも言った通り、私は繰り返される同じ日々を強制的に生きさせられている身であるので大変に退屈しています。だからこうやってマリエさんが転生者なのか純粋なマリエさんなのかを確認し、転生者であった場合は力を貸すことにしています」
「うーん。やっぱちょっとひっかかるけど、事情がわかってるひとの協力は素直にありがたいかも……」
「そうでしょうそうでしょう。さて、まずはそうですね。できれば本当のあなたの名前を知りたいですね。その他大勢のマリエとあなたを区別するためです。あなたはいったい誰ですか?」
わたしは誰? そう。わたしにはちゃんともともと持っていた名前がある。
「わたしの名前は……安彦まりえと言うの。マリエと同じ文字だけど発音が違うの」
「なるほど。元々似た名前なんですね。マリエ、まりえ。ま・り・え。わかりました。では今から私はあなたのことを『まりえさん』と呼ぶことにしましょう。まりえさん」
「あ……」
まりえさん、と呼ばれた瞬間胸の中でなにかがことりと落っこちた音がした。イスマイルの顔を見ると彼はぎょっとした表情でわたしを見つめている……。
「まりえさん、あなた泣いている」
「え、嘘」
イスマイルに指摘されて自分の頬に触れると、さっき綺麗に水滴を拭った顔が濡れている。きんと冷えた水じゃなくて、温かい感触。涙だった。
「あ、あはは。やだ。ごめん。なんか、そういえばわたし、マリエじゃなくてまりえだったなって、あなたに呼ばれて思い出したって言うか……」
ゲームの中に異世界転生。しかもセーブもできなくて、失敗したら監禁されたり娼婦になったりするゲームの世界。そんな荒唐無稽な事態を急いで飲み込んで、これからどうするのか決めて動き出して。
(そう言えばわたしってばまだ自分の境遇を嘆いてなかった……)
誰も自分を知らない世界で一人きりで攻略するんだって思いこんじゃってたから、またわたしのことを『まりえ』って呼んでくれる人がいるなんて思ってなくて……。イスマイルに名前を呼ばれたことで何かが吹き出しちゃったみたいだった。
「……まりえさん。一日目で男装してスラムを突破してくるような人だから勝手に豪胆だと思っていましたが……。すみませんねどうも。私もこの事態に慣れ過ぎていたようだ」
イスマイルは気まずそうに眉間を指でつまんでぐにぐにと揉んでいる。
「別人になって別の世界に放り込まれるというのはショックなことだ。以前転生してきたマリエの中にもそれに耐えられなくなった人がいた。忘れていました。人間の精神というのはもろい。もうすこし優しくするべきでした……」
「や、いいの。いいんだよ。もー、人前で泣いちゃってはずかしい……えい!」
ぱん! と音を立ててわたしは自分の両頬を叩いた。痛い。でもしゃっきりした!
「話もどそ。そうそう。わたし安彦まりえなの。それで、ゲームの中でもマリエちゃんは転生者だっていう設定はイスマイルも知ってるんだよね?」
「え? 呼び捨て? まあ、いいですけど……。ええ、そう聞いていますね」
「ゲームっていってなんだかわかるの? ってかイスマイルも転生者だったりとかする?」
「別の世界に仮想の現実を扱った遊戯があるというのは以前の転生者たちに聞いて知っているのです。私は触ったことがありません」
「そっかあ。でも、メタ的な会話ができる仲間がいるのは嬉しいな」
「仲間ですか……まあ、おかしな運命に弄ばれている同士だ。仲間と言ってもいいのかもしれませんね」
そう言って、イスマイルはふっと笑った。ずっと浮かべ続けている笑顔とはちょっと違った、少し愁いを帯びた笑顔だった。その顔がなんていうかその……メロくて、わたしはちょっとどぎまぎしてしまう。
「えっと、えっとね! それで……。わたしはこのゲームのノーマルエンドを迎えて元の世界に帰りたいの。そのためにここに来たの」
「ふむ……。危ないことをするものだ。今日は単に気が向いて外をうろついていただけだったので私が通りかからなかったら即バッドエンドでしたね。そんなことをしなくてもさっさとワルブレヒト相手に屈服してしまえば即彼相手のエンドにいけたのでは? あ、もしかしてあなた、オンドレア推しの方?」
ファンタジー丸出しのエルフが「推し」とか言うの違和感すごいな……。まあ確かにワルブレヒトエンドそのいちはすぐ屈服して愛人になるエンドなんだよね。めんどくささで行ったらこれが一番楽。だけどもね。
「やだよ。あいつのとこに行ったら子供12人産まされるのが確定なんだから。死んじゃう。オンドレアもやだ。監禁されっぱなしになるから」
「え? ワルブレヒトのエンドってそんななんですか? 人間って短時間ですぐ増えてキモいですね」
「キモ……、言い草ひどくない? あれ、っていうかイスマイルってエンディング後どうなるかとは知らないんだ」
「知るわけないでしょ、別の街の錬金術師が愛人に何人産ませるとかそういうのは。他のマリエさんともそう言う話はしませんでした。恥ずかしかったのかもしれませんね」
「そうだね、言われてみればあんまり異性と話すことじゃないか」
「まあ、オンドレアが囲ってる女を閉じ込めて溺愛するっていうのは知ってます。私も闇ギルドの構成員なので噂話として。あとはまあ、エンディング後に私の世界がリセットされてループするまでの猶予が数日しかないということも理由ですね」
イスマイルって闇ギルドの構成員なんだ? まあそうか。オンドレアの縄張りで金貸しなんかやってるのは構成員だよね。
「まあ話はわかりました。今日はこれを持ってお帰りなさい。さっきオンドレアに渡されたブローチがあればスラムの中も安全に歩くことができますからね」
イスマイルはさっきオンドレアが開けてまさぐっていった引き出しから布袋を出してこちらに差し出す。
「1万マニー入ってます。利息は10日で1割ですよ」
「ここまでちょっと意気投合みたいな感じだったのに利息とるのお!?」
「当然です。私だって上納金を払わなければ首っ吊りなんですよ。まあ私は死んでもリトライできますが、痛いのも苦しいのもごめんです。わかったらさっさとこの書類にサインするんですよ」
「くっそぉ……ドケチ……ドケチエルフ……」
「そのドケチエルフに縋らなきゃならないのがあなたです。ご愁傷様」
ギリギリと歯ぎしりしながら借用書にサインをして、わたしはようやく1万マニーを手に入れた。ああ……これでとりあえず安心だけ買ったかたちになるね……。
「タオルありがとう、お茶もごちそう様。じゃあ一万ぽっち屁でもなくなったらまた来るね」
「今度のマリエは下品だなぁ……。なにか困ったらそれより前に来なさいね。私は退屈しているのだから」
髪についたままだったブローチをちゃんと胸元につけなおして、わたしはイスマイルの店を出た。そしてもう一度振り返って、ちょっとだけ気になったことを口にした。
「あのさ。イスマイルって実は隠し攻略対象で、ド絶倫ってことは……ないよね?」
「馬鹿じゃないですか。さっさと気を付けて帰りなさいよ」
いつも笑顔がトレードマークの彼が苦虫を噛み潰すような表情をしていたので、なんだかとても安心してわたしは帰路につくのだった。
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