38.まりえと密着
「ねえ、なんかこう、もっと深く眠らせる魔法とかイスマイルは使えないの? あるじゃん、スリープ! とかそういうの」
「あるじゃんとか言われましても、そういうのは催眠術師とかそういう人が使う奴ですよ……私の魔法は基本的に精霊魔法ですのでそういう精神感応みたいなのはちょっと……」
がっちりとチョコミントドレスを抱きしめたカシラを前にわたしとイスマイルはひそひそと相談する。ちぇっ、そんなに思い通りにはいかないか……。
「一旦諦めるのも手ですよ、宝石があるでしょう。それで新しいのを買いなさいよ」
「そうだよねえ……でもあんまり短いスパンでドレス買うとワルブレヒトになんか言われそうで……」
「そっちもあなたちょっといい加減に何か対策したほうがいいですよ、なんでまだ同居してるんですか」
「そうなんだけどぉ……わかってんだけどぉ……。あっ、いいこと思いついた」
「なんですか?」
そういえば時間を止められるコンパクトを持っていたことを思い出した。鏡から目をそらさないように気を付けてカシラの腕からドレスを引き抜けばいいんだもんね。わたしはさっき回収したポシェットの中をまさぐって探す。
「……! いけない!」
「むぐ!?」
指の先にコンパクトのつるりとした手触りを感じたその時、眠っていたはずのカシラがうーんという唸り声と共に急にむっくりと起き上がった。びっくりして固まったわたしを素早く抱きかかえ、イスマイルはすぐそばにあったでかい甕の中にわたしごと滑り込む。
「ぶえっくしょん!! あー、ちくしょう。なんだぁ……? 誰かいるのかぁ?」
カシラが寝床から立ち上がり、うろうろと歩き回っている足音がする。イスマイルはわたしをしっかりと抱きしめたまま息を殺している。わたしもカシラに見つからないようにじっと静かにしていた。
(この甕なんなんだって思ったけど……そうだ。このイベントって本来こういうオブジェに隠れるミニゲームをやりながら脱出するんだもんね。そのためのものだ……。だとしても、ここに二人はちょっと狭くない……!?)
イスマイルの腕の中にすっぽり包まれて身動きが取れないでいると、普段は意識しない彼の匂いや体温しか感じられない。
(イスマイル、男のひとの汗とハーブが混ざったような匂いがする……。あとわたしのクッキーに使ったジャムとバニラの匂い。そっか、クッキー食べたんだ……)
彼の冷たい肌はわたしと密着したところからだんだんあったかくなっていく。押し付けられた胸板の中でわたしよりもずっとゆっくりな心音がとくん、とくん、と規則的なリズムを刻んでいた。それを聞いていると、全然そんな場合じゃないのに頭がぽやんとして、意識が蕩けそうになってしまう……。
(なんだろ……イスマイルに抱っこされてるの、なんだかすっごくきもちいー……)
イスマイルのとくんとくんに合わせて胸の奥がきゅん……きゅん……と甘酸っぱく疼いた。下腹のあたりを中心にじんわりとした痺れみたいなのが広がって、さっきまで緊張でぎゅっと閉じていた両腿が勝手にゆるゆると開いていってしまう。
(……そっか。わたしの身体、乙女ゲー仕様に合わせて激チョロにされてるんだった。愛されヒロインちゃんって、男の人に抱きしめられて密着するととこんなふうになっちゃうんだね。そりゃ押しの強い攻略対象に抵抗できないはずだよね……、ああ、やだなにこれ気持ちいい……♡)
自分の顔が熱いせいで鏡で見なくても真っ赤になっているのがわかった。耳に聞こえてくるイスマイルの心音がどきんどきん大きくなってると思ったけど、これはわたしの心音だ。イスマイルのとくんとくんをかき消すくらい大きく早く、どきんどきん脈打って止まらない……!
「気のせいか。あー、便所便所……」
独り言と共に、カシラの足音が遠ざかって行く。やがてわたしをぎゅっと抱きしめていたイスマイルの腕の力が緩み、彼はわたしを離して甕の外に這い出していった。
彼がごそごそと何かしている音が聞こえてきているけど、わたしは酔っぱらったみたいにぼんやりして甕の底にぐったり入ったままになっていた。密着抱っこに打ちのめされて手足に全然力が入らなくなっちゃったのだ。踊りすぎの筋肉痛なんか目じゃないくらい、わたしの心はわたしの肉体に直接事実を叩きこんでいる。
(推しとかじゃない……わたし、わたしイスマイルに……落とされかけてるぅ……♡)
落とす。男性向けの恋愛ゲームとかでヒロインをプレイヤーの分身である主人公が手に入れる時に使われる言葉。男性向けコンテンツ嫌いな友達なんかはこの表現を恋愛ごとに持ち込むのが好きになれないって言ってたっけ。
わたしのゲームの主人公はわたしで、イスマイルはNPC。でも誰だって自分の人生の主人公は自分なのだ。イスマイルが主人公のゲームが仮にあったとしたら、そこでのわたしの存在ってなんだろう。うぬぼれかもしれないけど、ただのNPCではないような気がして……ああぁ……、だめだめ考えがまとまんない……。
「まりえさん、ドレスの回収ができましたよ。賊が戻ってくる前にさっさと脱出しましょう。早くそこから出て……どうしました!?」
「はえぇ……♡」
ふやけて湯気が出ているわたしを覗き込んだイスマイルがぎょっとした顔をしていた。その顔すらすごくかっこよく見えて、もうどうしょうもない。
「ご、ごめんイスマイル……。なんか腰抜けちゃって……膝に力はいんなくて全然立てにゃいの……」
「私が乗っていたから痺れてしまったのか……。失礼しますよ……」
「ああぁ……」
イスマイルの長い両腕がこちらに伸びてきて、わたしのウエストを掴んで甕から引っ張り出した。大きな手のひらが身体に触れると首筋がぞわぞわして身がすくんでしまう。
「全然立てませんか」
「うぅ……、だめぇ……」
「仕方ない。ポーチ開けますよ」
「うん……」
わたしのポシェットを自分の身体にかけ、イスマイルはその中に回収したチョコミントドレスを押し込んだ。なんでも入るチートアイテムなのでドレスはしゅるんと収まってしまう。
「時間がない。わたしの首にしっかり掴まりなさい」
「ん……ふーっ……」
こっちに背中を向けてしゃがんでくれるイスマイルに促されるまま、わたしは彼の首に後ろから腕を回した。イスマイルも両手をわたしの膝の下に回して背負いやすいように固定する。そうされると身体の前面を全部ぴったりイスマイルの背中に密着させることになって、それだけでもぞくぞくといけない感覚が全身を支配する。今のわたしにはそれを悟られないようにぎゅっとしがみつくので精いっぱいだった。
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