29.まりえと闇ギルド事務所
わたしはイスマイルに先導されてスラムに足を踏み入れた。
「ブローチ取り返せてないのに……頭痛い」
「私も頭が痛いですよ。頑張ってしらを切り続けてくださいね。とりあえず今は私の側を離れないで」
イスマイルは遅れて歩く私の手を握ってぐいっと引き寄せた。
(わっ……、手握った)
ぜんぜんそんな場合ではないんだけどいつも彼が一人で消えていく路地を一緒に歩くのはちょっと特別な気分がした。
「なんでしょう。こちらを見るごろつきたちの視線の種類が気のせいか……」
「どうしたの? イスマイル」
イスマイルに言われてあたりを見回してみると、スラムのバラック街のあちこちに立っている人たちがひそひそと何か話しながらこちらを見てるのに気が付く。不思議に思いながら二人組の男とすれ違った時、彼らが背後で話している言葉が聞こえた。
「おい……あれか。マチェーテ・マリエっつーのは」
「ああ、恐ろしいぜ……マチェーテ・マリエ」
あれぇ~っ!?
「なんかねえ、イスマイル。わたし変な噂されてる感じするんですけど?」
「そうですね、私のエルフの耳には近くの噂話は全部聞こえていますが、どうやらマチェーテ一本でジャイアントスライムを屠った女傑として名前が知られているようですね」
「え、なにそれ。イスマイルに手伝ってもらってなんとか倒したんだよ? そんなメスゴリラみたいな噂がこんなあっという間に!?」
「さあ……、何か心当たりはありませんか?」
心当たりと言えば称号のことしかない。マチェーテ・マリエってごろつきも言ってたし。そのことをイスマイルに言うと、彼はちょっと面白そうにクツクツと笑った。
「マチェーテ・マリエって今のあなたの称号ですか? ははは、そんな称号初めて聞きましたよ」
「わたしだって初めて聞いたよ~っ!」
「まあ、ごろつきが怖がって近づいてこないならブローチはなくてもスラムを歩けるかもしれませんね」
「歩けるかもしれないけどさあ……でも、持ってないことはバレないようにしないとね……」
そこまで話したあたりでイスマイルの足が止まった。
「着きましたよ。あそこの建物の二階が闇ギルドの事務所です」
「えっ、あんなちっちゃいボロ家が?」
闇ギルドの事務所は思ったより全然地味だった。わかりやすくでっかいネオンサインとかで『闇ギルド事務所』ってどーんと看板が出たりとかしてるのかなんて想像してたけど、建物の壁に落ち着いた色の石で『O代行社事務所』と書かれているだけだ。
「O代行社? 何? 何を代行するって?」
「さあ……おおかたなんでもいいんじゃないでしょうか、表の社名なんて。入りますよ」
イスマイルが事務所の扉を開くと表のごろつきと同じような感じの人たちがわらわら近づいてきた。オンドレアの部下たちだろう。
「イスマイルの旦那おはようございます! 今日は一体どんなご用向きで?」
「そちらのお嬢さんは……?」
イスマイルの旦那って。そう言えばイスマイルって一応闇ギルドの構成員なんだったよな。かっこい~、わたしも思わず憧れちゃうぜ。それじゃわたしも一発いってみっか。
「お嬢さん? ふん、そちら『マチェーテ・マリエ』をご存知ない?」
「何っ!? 『マチェーテ・マリエ』だと!? あのマチェーテ一本でジャイアントスライムを17分割したという噂の……!」
「そうそう! そちらのボスとお仕事の話をしに来たの」
「まりえさん……、調子に乗りすぎです。私はいつものお仕事の話ですね。ボスは今日は事務所に?」
「ボス? いますよ。上にどうぞ!」
大の男におそれられることとか普通に生きてたら全然ないので、面白くてついついふざけちゃった。オンドレアの部下たちはわたしとイスマイルを二階へと案内してくれた。
「ボス、イスマイルの旦那と『マチェーテ・マリエ』が見えてます」
「おん、珍しい組み合わせやな。ええで。入りぃ」
「失礼します」
ドア越しにあの自信たっぷりの低音ボイスが聞こえてくる。オンドレアだ。うわ……急にドキドキしてきた……。
「ピーチちゃん! やっと俺んとこに遊びに来てくれたんかいな! 待っとったでぇ! おいお前! 戸棚に高級缶詰あったやろ、開けて出したれ気のきかんやっちゃのう!」
「こ、こんにちわ~。おかまいなく……」
事務所の中は外ほど汚れてはいなくて、書類がいっぱい詰まった棚と来客用のソファ、ローテーブルがある落ち着いた内装だった。ドアを開けると足を組んで座っているオンドレアとすぐ目が合った。家具の配置嫌だな。カチコミ対策かな。
さっきはちょっとイキりを発揮したわたしだけど、オンドレアの前でそんなことをする気にはならなかった。だってオンドレア、見た瞬間悪い人だってわかるような凄いオーラが出てるから……。
この間バイト先でクッキーを買いに来た時はちょっとおしゃれなお兄さんって感じだったのに、今日は派手な柄のジャケットの上にボリュームあるファー襟がついたコートを肩で羽織っててめちゃくちゃ怖い。
「うんうん、いいのいいの座りぃ座りぃ。チョコミントさんみたいなおべべ着てかわええのう~。んで? ニコニコちゃんはなんでこの娘と入ってきたんや」
ソファから立ち上がり、オンドレアはまずイスマイルの方へのしのしと歩いてくる。
「取り立ての進捗についての報告をしに来たら、スラムをうろうろしているカラカンさんと会いました。どうやら事務所が見つけられなくて困っていたようなので、ここまで案内しました」
「ふーん。なるほどな。ピーチ姫の頼れる護衛のスーパーマイルくんってことかいな。そらご苦労だったのう」
「いえ、そんなつもりは」
「俺に口答えすなや」
ゴッ! と鈍い音がして、気が付くとイスマイルの顔にオンドレアの拳がめり込んでいた。
「イスマイル!!」
「……ぐふっ」
オンドレアは黙ったまま左手でイスマイルの襟首を掴み、右手で二発目を入れる。イスマイルはちょっと苦しそうなうめき声を漏らし、倒れ込むことも反撃することもしなかった。
「やめて! どうして殴るの!? やめてください!」
「……なんで止めるんかいな。俺はこいつにピーチちゃんの護衛なんか命じてないんよ。余計なことするやつは躾してやらんと図に乗るからな」
「道案内してもらっただけだから! 殴らないで!」
「なんや必死になって。ひょっとしてピーチちゃん、この銭ゲバ妖精に惚れてるんか?」
「そ、そうじゃなくて」
拳に返り血をつけながら私を見下ろすオンドレアの紫の瞳はぞっとするほど冷たかった。そうじゃなくて、の後は何て言う? 言葉の選び方を間違ったら絶対にだめ……!
「止めるのは、わたしが単純にめちゃくちゃ優しい女だからです! 目の前で人が一方的に殴られるの見たくないの! お願い!」
「ほーん……」
怖い、でも目をそらしちゃだめだ。しばらく目で訴えていると、オンドレアの顔が突然花開いたような笑顔になった。その顔は大型の獣がいきなり口を開いたみたいな迫力があって、来る前におトイレ済ませてなかったら漏らすかと思った。
「さよか! ピーチちゃんは優しいええ子なんやな! ほんじゃまあ今日は許したるわ。これからは身の程わきまえぇよ、ニコニコちゃん。鼻血気持ち悪いか? 拭かずに垂らしっぱなしでそこ立っとれ。俺とピーチちゃんの話が終わったらお前の話も聞いたるわ」
オンドレアは掴んでいたイスマイルの襟首を離すと、右こぶしをハンカチで拭きながらソファに座り直した。
「ほらほらピーチちゃんもいつまでぼさっと突っ立っとんの? 甘いの出したるから一緒に食べよ? ほんで楽しくお仕事の話しようなあ?」
こんなに、こんなに怖いか。わたしはワルブレヒトとは全然違うタイプの強敵を前にしてどきどきと脈打つ心臓を鎮めるため、言われた通りソファに腰を下ろした。
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