26.まりえとクエストクリア
(し、死ぬかと思った!)
イスマイルにもらった空気のおかげでもやがかかり始めていた頭がクリアになった。体液に満たされているせいかスライムの中で目を開けても痛くない。わたしは遠く頭上で手を伸ばしているイスマイルの影を見上げた。
(手を掴んで引っ張り上げてもらうには遠い、てか、ジャイアントスライムこんなにでっかかったっけ?)
生息地に入ってきたばかりの時はイスマイルよりちょっとでっかいくらいだったはずなのに、今わたしが漂っている場所はちょっとしたプールくらい広々している。なんか、滝つぼの水とか吸って膨らんでるのかもしれない。
(どうする……、息継ぎはできたけどあんまり時間ない……)
わたしは焦りすぎないように自分の状況を確認する。息継ぎの前に肺の中の空気を吐いちゃっていたから身体はかなり下の方に沈んでいた。今はまた空気が入ったので少しずつ浮き始めている。ごつごつした岩がジャイアントスライムの下面にめり込み足元に突き出しているのを見て、わたしはそれを蹴って中を泳いで移動し始めた。
(うにょ!?)
急にジャイアントスライムがぶるぶると震えた。見ているとすぐ近くの場所にバスケットボールくらいの大きさのピンクの塊がいくつも現れ、大砲の玉みたいにどどどっと弾き出されて行った。
(これさっきイスマイルにまとわりついてたピンクのスライム! こいつが産んだの!? キッショ!!)
視界が歪んでよく見えないけど、外ではイスマイルとピンクスライムが戦ってるみたいだ。もう助けはしばらく来ないか。じゃあもうわたしがここでやるしかない!
『むぐぐ……』
また息が苦しくなってきた。けど手にはしっかりマチェーテを握ったまま。膨らむ前よりもジャイアントスライムの中は柔らかくなっていた。わたしはゼリーのような塊の中をかきわけながら進む。目指すは真ん中の目玉!
(えいっ……)
わたしは目玉の真下まで移動すると、足元の大きな石をしっかり蹴る。今度は前じゃなくて真上。そして手が届くくらいまでに目玉が近づいてきたタイミングで右手のマチェーテを勢いよく突き出した!
ぼきゅん……という硬くて、でも中は柔らかいような感触が手に伝わってくる。見えないけど、目なんか大体脳みそと繋がってるもんだし。わたしは肘を曲げ伸ばす動作を繰り返し、目玉の周りをまんべんなく何度も突き刺し続けた。
(あっ、もう息が……)
五回くらい刺した時、わたしに限界が来た。ごぼぼっと口から空気が溢れ出していってしまう。死に際のジャイアントスライムの苦し紛れだろうか。わたしの周りにピンクのスライム塊がぼこぼこと発生して絡みついてくるせいで手足が動かない。
(やば……死ぬかも……)
『まりえさん!!』
イスマイルがわたしを呼ぶ声が聞こえる。遠のく意識の中であったかくてがっしりした何かがわたしを抱き寄せるのを感じた……。
*
「……さん、まりえさん!」
「ん……あ……あれ?」
わたしはしばらく気絶していたらしい。気がついたらイスマイルに抱きかかえられていた。
「生きてる……イスマイル……ジャイアントスライムは……?」
「核を壊されて……ぐずぐずに崩壊しました。すごかったです、まりえさん……」
わたしが吞まれている間にピンクのスライムと戦っていたイスマイルの服は溶かされてずたずたになっていた。溶けた隙間から白くて細いけど引き締まった身体が見えて……。
「あ……はぁっ……」
「大丈夫ですか、まりえさん」
「わ、わかんない。なんかね、身体が熱いの」
怪我とかはない。でも消耗して、手足に力が入らない。なのに、なんだか胸がどきどきして、全身の毛穴がぞわぞわぷちぷち騒いでた。
「……私も同じ状態です。あのピンクのスライムが分泌していた液体は生き物の発情をうながすのでしょう……」
「うっそ……、わたしもジャイアントスライムの身体の中で貼りつかれたかも……」
「足元の石の下に隠れ潜んでいて……迂闊でした、こんなものに絡みつかれてしまうだなんて……うう、頭がくらくらする……」
わたしを抱きかかえているイスマイルの顔を見上げると、耳の先まで真っ赤で目が潤んでいた。息も荒い。こんな状態のイスマイルを初めて見たわたしの胸もつられてドキドキと脈打ち始める。
(あ……やば。これイベントスチルのあれじゃん。ワルブレヒトかオンドレアを同行者にしてジャイアントスライムと戦って勝った後に起きる胸キュンイベントの……)
熱に浮かされたような顔のイスマイルは見てるだけで胸がきゅんきゅんして切なくなっちゃうような危うさがあった。イスマイルがわたしのことこんな目で見ることなんてあるんだ……。
(ああ……イスマイルかっこいい……。こんなにかっこよかったっけ……。いや初めからかっこよかったけど……。違うよ、イスマイルはニコニコさんで……、プレゼントあげる選択肢すら出ないようなモブのNPCで……あ、やだ、ほっぺ触らないで、ぞくぞくする……)
イスマイルの優美だけど骨ばった手がわたしの頬をそっと包んで、潤んだ瞳と高い鼻、綺麗な唇が近づいてくる。
「はあ……はあ……、まりえさん……」
「あ……や……イスマイルっ……」
吐息交じりの声でお互いを呼び合うともうずっと前から恋人同士だったみたいな気持ちにさせられちゃう。これはスライムのせいなの? それともゲームのイベントの強制力なの?
(ああ……キスされちゃう、こんな、二人ともほとんど裸みたいな恰好でキスなんかしちゃったらわたしもう……)
駄目だって思ってるのに、目が勝手に閉じてしまう。わたしは唇をうっすら開いてイスマイルのキスが降りてくるのを待ってしまった。彼がわたしの顔を押さえる手の力が強くなる……。
「ああああああああっ!!!! わあああああああっ!!」
次の瞬間、絶叫したイスマイルはわたしの顔を両手でがっしりつかむと身体ごと滝つぼの浅瀬に叩きこんだ。
「ひえええええっ!!! つ、つめたっ!!! なにすっ! 何すんのイスマイル!!」
いきなりドボンされたことに驚いてわたしはばしゃばしゃと水しぶきを立てる。なんとか体勢を立て直してイスマイルの方を見ると、彼も滝つぼに飛び込んでわあわあ叫びながら一生懸命顔を洗っていた。
「い、イスマイルってば、どうしたのって……」
「はあ、はあ、はあ、危なかった……。スライムの媚毒に浮かされて女性を手籠めにしたとあってはエルフの名折れです……」
「手籠めって……そこまでではなかったでしょ、滝つぼに放り込むことはないんじゃなあい!?」
「でも、頭が冷えたでしょう?」
「ん……まあ、確かに」
さっきまでそのままキスしてほしい、むしろもう抱いてほしいとかまで思っちゃうかんじの精神状態だったけど、冷たい水を浴びたらもう嘘のように正気だ。
(やっべ~!! もうちょっと遅かったらもうわたしのほうから「いしゅまいりゅ~♡ きしゅしてぇ~♡」とか言っちゃってたかもしれない!)
今度は恥ずかしさで紅潮した頬を掌でぺちぺちと叩くと、わたしは体を起こしてジャイアントスライムの残骸の方に近づいて行った。
ぶよぶよに広がった大量のゲル状の塊の真ん中で、わたしのマチェーテが突き刺さったでっかい目玉が露出していた。
「これを持ち帰ればボスを倒したって証明ができるね」
「ええ、おめでとうございます。クエストクリアですね」
「イスマイルがいなかったら負けて強制送還だったかも」
「いや、今回は私も無様でしたよ。こんな有様ですし」
ばつが悪そうに言うイスマイルの服は穴だらけ、わたしは下着。ウェイストーンを使って街に戻ることもできるけど、こんなんじゃ街の人が大騒ぎしちゃう。わたしは溶かされずに残ったポシェットから裁縫セットを取り出してイスマイルに手渡した。
「ほら、裁縫セット使ってよ。わたしの服は全部溶かされちゃったから直せないし。直ったら上着貸して」
「ありがとうございます……」
ほんとうにどういう仕組みなのか、裁縫セットを開けた瞬間イスマイルの服はきれいさっぱり元に戻った。
「報酬出るし、欲しかったチョコミントドレス買っちゃお」
「私にしてる借金も忘れてはいけませんよ」
「わかってるって、とりあえず利息だけでも返すよ……」
上半身裸のイスマイルと彼シャツ状態のわたし。二人ともみっともないけど、やり遂げた晴れやかな気持ちで一緒に街に戻るのだった。
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