25.まりえとジャイアントスライム
「グシャン!!」
わたしが香水を吹いてからほどなく、茂みから姿を見せて近づいてきていた狼の一体がくしゃみをしたのが見えた。そのくしゃみを皮切りにわたしたちを囲んで追いかけていた狼たちが次々とくしゃみを始める。
「わはっ! 効いてる効いてる! 効いてるよイスマイル!!」
「それは何より! そろそろ小道を抜けそうです!」
イスマイルがある地点を越えた瞬間、ぷんと強いオゾンのような匂いが鼻をついた。狼たちはそこから先に入れないようで、一か所に固まってわたしたちを恨めしそうに見つめたまま遠ざかっていった。
「もう大丈夫のようですね。降ろしますよ、まりえさん」
「うん、ありがとイスマイル……」
イスマイルは肩に担がれていたわたしを丁寧に地面に下ろす。一瞬抱き合ってるみたいな感じになって、ついどきっとしてしまった。ねえ、このエルフほんとに攻略対象じゃないの……?
「滝の音が聞こえますね」
「う、うん、確か川に沿って登って行くと滝があって、そのあたりにジャイアントスライムがいるんだったと思ったよ。川に湖みたいな回復スポットがあったはず」
「なるほど、強い敵と戦う前に回復しておけというゲームの意図があると」
「そうそう、だからさっき、別にわたしを担いで走らなくてもよかったんじゃないの……?」
「馬鹿おっしゃい、回復できようがなんだろうが女性の柔肌が狼の牙など受けるものではないですよ」
金髪をなびかせてイスマイルはわたしの先を歩く。その背中を見つめながら、わたしはジャイアントスライムに備えてカバンにしまっていた仕込み傘を取り出した。
あんまり無駄口を叩かずに川沿いの道を進むと、滝の音は大きくなってくる。やがて小さな滝つぼが現われ、道は行き止まりになった。記憶ではそこでボスと戦うはずなのだけど、それらしい敵は見当たらない。
「何もいないね……?」
「気を付けて、よく見てください。何かおかしい」
イスマイルに言われて、わたしは目を細めてよ~く見る。
「言われてみればなんかあの滝つぼ、ちょっと綺麗な水色すぎるような……ぎゃっ!!」
ごぼり。大きな泡が立つような音とともに、滝つぼの真ん中に巨大な目が出現した。わたしは驚いてかわいくない声をあげてしまう。
わたしの悲鳴に反応したのか、滝つぼ全体がぶわっと盛り上がって膨らんでいく。ジャイアントスライム。それはやがてイスマイルの身長よりも大きくそびえていった。
「なるほど、滝つぼ全体が一匹の大きなスライムで満たされていたとは……、まりえさん、構えなさい」
「ひーん、きもいよ~。でも、やってやる!」
ジャイアントスライムは要するにあの服を溶かすスライムたちの親玉だ。服を溶かす酸の対策はできているとはいえ液体をぶっかけられるのは避けたい。わたしは仕込み傘をいつでも開けるように構えた。
「動き回られてはたまらない、固めます」
イスマイルが両手の指を二本立てて交差させるとその周りを白い雪の結晶が舞う。氷の魔法だろう。
(すごいな、一人でいくつ魔法を使えるんだ?)
彼の指がびしっとジャイアントスライムを指すと、小さな吹雪が飛び出して当たった。ゼリー状の表面がぱきぱき音を立てて凍って行く。このまま凍って死んでくれたらすっごい楽なんだけど?
そう思ったもののボスがそんなに簡単にいくわけないので、近接戦闘しかできないわたしは足止めしてもらってる間に傘を開いて身体の前にかざしながら近づいて行った。
「何っ!? うわあ!」
突然イスマイルが悲鳴をあげたのでわたしはジャイアントスライムから目を離して振り返る。まだ氷の魔法を出していたイスマイルの足元に小さなスライムが複数現れて、彼の身体にまとわりついていたのだ。しかもなんかピンク色してる! 見たことない色なんだけど!?
「イスマイル、大丈夫!?」
「くっ……大丈夫ですっ……まりえさんは目の前に集中してっ……、前見てっ……はぁっ……」
「そ、そうだった!」
慌ててジャイアントスライムの方に視線を戻したけど、何!? 何が起こってるの? イスマイルの吐息がなんかエッチになっちゃってた気がするんだけど!?
わたしは生唾を飲み込みながら、とりあえず拡げたままの傘の先端をジャイアントスライムに刺してみた。表面が凍っているのでぱりっとした感触。だけどすぐにぶよっとした手触りに変わる。
(あんなに吹雪を浴びせたのに、これっぽっちしか凍ってないのか……)
それでも動きを止めてくれたイスマイルには感謝だ。もっと奥まで、できればあの目玉まで刺そうとわたしは傘を閉じて鋭利な武器へと変え、腕に体重をかけて押し込む。その時。
「きゃああ!!??」
傘がささっていたジャイアントスライムの表面がぐわんと開いて穴になり、奥から液体が吹き出した!
(間に合わなっ……!! えっ!?)
急いで引き抜いてもう一度傘を開こうとしたけど、こいつが酸を吐くスピードの方がわたしより早かった。傘どころか身体全体に浴びちゃった……。
「で、でもアリスドレスは酸に強……え?」
じゅわーっと音を立てて、わたしの傘とアリスドレスの布地はどろどろに溶けて滝つぼにごろごろしている大きい石にぼたぼたと降り注いでいってしまう。
「ひえーっ! 嘘でしょ!?」
それでも下着は残ってて辛くも全裸は免れた! マリエちゃん、借金生活なのにシルクの下着着てるんだよ。さすが箱入り娘だよね。ってそんな場合じゃないっ!!
「クソっ! ああ、はあっ……、私から離れろッ!!」
穏やかな声に似合わない怒号と共にバチバチっという音が背後でした。どうやらイスマイルが雷の魔法を使ったみたい。
「まりえさん! ま……、ええっ!?」
「えーん! 見ないで~っ!!」
「そ、それどころじゃないでしょ! 一旦戻ってきて!」
今のバチバチでピンクスライムたちは全部感電して死んだようで、イスマイルの身体と足元にべっとりとピンクのゲル状物体が広がっていた。
「やばいやばい、なんだっての……」
言われた通り一旦退却だ。わたしは骨だけになった傘をジャイアントスライムの口から引き抜こうとした。その時、ジャイアントスライムの表面を凍らせていた氷がばきばきと音を立ててひび割れる。
「ひゃああーっ!!」
ジャイアントスライムがいきなりぶるぶると震えて、アメーバみたいに平べったくなって視界を全部覆う!
「まりえさん!!」
どぼん! 気持ち悪い感触が全身を包んだ。視界が全部水色に変わって、息が……息ができない!
『がぼごぼごぼごぼごぼがぼぼぼぼぼ!!!!!』
わたし、ジャイアントスライムに呑み込まれちゃった!!
「まりえさん! 落ち着いて! 息を止めて!」
『むむーっ! むーっ!!』
くぐもっていたけどイスマイルの声が聞こえた。わたしは傘の骨を取り落として空いたほうの手で口元を押さえ、息を止める。
(く、く、苦しいよーっ!!)
ぶよぶよの液体の中で漂っていると急に寒くなってきた。イスマイルがまた氷の魔法を使っているらしい。どういうつもり!? わたし凍えちゃうんだけど!!
「今空気を送ります!! 耐えて!!」
苦しい息の中で一度閉じてしまった目を開けると、何か尖った物を手に持ったイスマイルがジャイアントスライムの上に乗って凍った表面に穴をあけている姿が見えた。
(イスマイル、武器とか持ってなかったんじゃ……。あ、そっかあ。わたしが落とした傘の骨だ……)
いつもスマートに魔法で戦ってる姿からは想像できないくらい必死に、イスマイルは傘を突き立て続けていた。
(も、もうだめかも……イスマイル……!!)
ぼごん!
(!!)
意識が落ちそうになった瞬間、目の前に腕が一本飛び出してきた。イスマイルの手だった。その手は私の顔の上で優美に何かの印を結ぶと緑色に輝き、大きな空気の球を産み出した!
「ごはあ!!」
わたしは力を振り絞って首を上にのばすと、イスマイルが送ってくれた空気を思いっきり吸い込んだ!
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