21.まりえと頭突き
「ちょ、何するの、動けないよ……」
「この間みたいに逃げないように捕まえてるんだよ。君は案外すばしっこいからね。すぐに僕の手から逃げて行ってしまう」
ワルブレヒトの熱い男の体温が背中に迫ってくる。ひええ、怖い。そっか。さっき脚立を取りに倉庫に行っている間にこの部屋に入って身を隠していたんだ。
「ねえ、ここわたしのお父さんの部屋だよ? そんなとこでその娘にこの扱いって、故人に敬意を払おうとか思わないわけ……」
「何言ってるの。ここの持ち主は僕。君は僕にこの家に住まわせてもらってる立場。それなのに遺品を処分もせずにそのままにしてあげてる僕は十分個人に敬意を払っていると思うけどな……?」
「あんたじゃなくて、あんたの親でしょ、ここの権利持ってんのはっ……、離してってば」
まだサンドイッチのバフは残ってるはずなのに、がっちりと掴まれた腕は振りほどけない。足場が安定しなくて踏ん張れないからだ……。
「ちょっと落ち着いて話し合おうよ……。ご飯の時は一緒にいてくれるじゃないか。ちゃんと食べてくれるし。でも君食べる前に解毒剤飲んでるでしょ? 知ってるんだよ。そんなことしなくても別に何も混ぜたりなんかしてないよ」
「……そう思われても仕方ないような行動してるからだよっ、今だって!」
「僕はただ君と仲良く食卓を囲みたいだけなんだ。新婚さんみたいにさ……。おや、汗のにおいがするね。君の汗は甘酸っぱいいい香りだ。すぅ~っ」
「うひいぃぃ……!!」
うっとりしたような声で勝手なことを言いながらワルブレヒトはわたしの髪の間に高い鼻をつっこんで、わざとらしく音を立てながらにおいを嗅いでくるっ!!
全身にぞわぞわと鳥肌が立った。嫌悪と恐怖の鳥肌のはずなのに、なんだかちょっと官能的なざわつきも混ざっている。ゲームのヒロインとして調整されているチョロさのせいだ。無理やり迫られても最後には絆されてしまう弱い身体。ワルブレヒトの興奮した息遣いに合わせて胸がどきんどきんと騒ぎ始めた。だめだめ……絶対ここで負けたら駄目なのに……! わたしは思わず首をすくめて固くなってしまう……。
「ああ……、震えているのかい? 愛おしいよマリエ。婚約者と一緒になっても、僕が本当に好きなのは君だけだから……。だから早く僕のものになってよ。僕と君の子供たちと一緒に食卓を囲もうよ……!」
太腿の裏に何か硬いものがごりっと押し付けられた。その時、マリエちゃんのチョロ感覚を安彦まりえの怒りが上回り、全身に闘志がみなぎった!!
「勝手なこと言うんじゃねえ! ボケが!!」
「がっっっっっ!!!!!!」
わたしはすくめていた首を思いっきり後ろに傾け伸ばし、後頭部をワルブレヒトの顔面にカチ当てた。痛い!! けど、やってやった! ざまあみろ!!
ワルブレヒトはわたしの手首を掴んだまま真後ろに倒れた。わたしも奴と一緒に地面に引き倒されたけど、ワルブレヒトの身体がクッションになって全然痛くない。ちょっと衝撃があったけど、そのまま少し息を整えたら落ち着いた。
「……死んでないよね?」
手の力が緩まったので拘束から抜け出し、ワルブレヒトの様子を確認した。かっこいい鼻からどくどくと大量の鼻血を出してぐったりと倒れてるけど、ぶずー、ぶずー、と変な音を立てながらちゃんと呼吸はしていた。
「よかった、気絶してるだけだ。あちち……頭こぶになっちゃう~」
じんじんと痛む後頭部をさすりながら、わたしはポケットからポーションを取り出しちょっとだけ飲む。それだけで痛みはすうっと引いていった。
「さて、これこのままにしておくわけにいかないよね……。起きて激怒されても面倒だな~」
倒れたワルブレヒトをつんつん突いてみたけど全然起きなかった。わたしは起こさないように気を付けながらごとりと落ちている頭をゆっくり持ち上げて、半開きの唇に半分残ったポーションの瓶を当てて傾ける。少しずつ少しずつ、むせないように気を付けてやりながら注ぎ込んでやるとワルブレヒトは気絶しながらもそれを飲んだ。
しばらく飲ませていると腫れ始めていた鼻が元に戻ったので、残ったポーションでハンカチを濡らして顔を綺麗に拭いてやる。
「ちょっともったいない使い方だけどね……。よし、キレイキレイ」
拭き終わったタイミングで視線を感じて顔を上げると少し開いたままのドアからホムちゃんたちが何匹か様子を伺っていた。ちょうどいい。手伝ってもらおう。
「わたし、ワルブレヒトをリビングに連れて行くから床掃除しておいてくれない?」
「んわ」
「んわ」
うお、鳴いた。まあいいや。まだバフが残ってるうちに済ませてしまおう。わたしはぐったりとしたワルブレヒトをなんとか担ぎ上げてずるずると引きずりながらリビングへ向かった。
「疲れて寝ちゃったみたいな感じにしたいよね」
マリエちゃんの記憶の中にリビングの長椅子で居眠りしてしまったマリエパパのイメージが残っている。そんなパパにひざ掛けをそっとかけてあげたマリエちゃんの団欒の記憶。鼻の奥がきゅんとしそうなのを押さえて、わたしはワルブレヒトを長椅子に寝かせ、同じようにひざ掛けをかけてあげた。
「はーっ、もう、余計な手間かけさせないでよね。ほんとはおんなじ家で住んでるの問題だよなあ。今日みたいなことがあるとなると……」
とはいえ、錬金釜はこの家にしかない。錬金術で借金を返していく上でここから離れることはできないのだ。うまくやり過ごすしか方法がなかった。
「ていうか今だったらワルブレヒトの部屋に行っても大丈夫なんじゃない?」
そう思って、オンドレアのブローチを探すためにワルブレヒトが陣取ってる部屋の前まで行ってみたけど、しっかり鍵がかかっていて無理だった。ちっ、抜け目のない奴。
仕方ないのでわたしはさっき邪魔されたマリエパパの本棚での探し物に戻ることにした。ホムちゃんたちが床に雑巾をかけているすぐ近くに落としちゃった園芸の本を拾う。血とかついてるかと思ったけど大丈夫みたいだった。人の本汚すのとか嫌だからね。
「ん……。何だこの本」
本を拾うためにしゃがんで、何の気なしに本棚の方を見るとなぜか端っこに押し込められている背表紙の一つが妙に気になった。指を引っかけて取り出してみると、それは子供が読むような童話の本だった。
「『あくまのよめいり』、なにこれ。ちっちゃいころのマリエちゃんが読んでた本かな。マリエちゃんがいたずらでパパの本棚に入れたのか……?」
ゲームの世界とはいえ異世界。知らない世界の知らない童話とかちょっと興味あるなと思ったのでぺらぺらとめくってみる。だけど、その本のページは全部真っ白で何も書かれてはいなかった。
「変なの……ていうかこんなのゲームにあったっけ……」
ノーマニー×アルケミーをプレイした記憶は結構おぼろげだったけど、この手のゲームの本棚って光ってるのを調べるとその部分にある本だけ読ませてもらえることがほとんど。指定されていない段の本を何の気なしに見るなんてことはできない。
「調べられるところじゃないから作り込まれてないってことなのかな。他の所は違和感ないくらいリアルに整ってるのに、バランス悪い世界だな……」
まあ、こんなのどうでもいい。ワルブレヒトにさっきの出来事を夢だと思わせないとな。わたしは変な本を元通りに戻して、必要な本だけ持ってリビングに戻った。
「……はっ」
「あ、起きた」
ワルブレヒトの向かいに座って園芸の本を読んでいると、目を覚ましたふうな声がした。
「僕は気絶していたのか……君って人はなんて乱暴なことをするんだ……」
「何言ってんの? わたしが帰って来た時に兄さんもうそこに寝てたよ? 風邪ひいたらいけないからひざ掛けかけてあげたんだけど、それが乱暴? 酷いんじゃない? 傷つくんだけど」
「あれ?」
ワルブレヒトは自分の顔をぺたぺた触りながら不思議そうにしている。痕跡なんか残ってないよ。わたしが鼻の穴までぐりぐり掃除して拭いたからね。
「寝ぼけてんだ、兄さんおかしい、ふふっ」
「……夢か……。変なことを言ってしまった、ごめん」
「いいって」
ワルブレヒトはしばらく首をひねっていたが、わたしが彼を同居人みたいに自然に扱って、特にひざ掛けをかけてあげたことが嬉しかったらしく、機嫌よくにこにこと夕食を作りに行った。
「ふー、なんとかごまかせた。ほんともっと気をつけなくちゃね」
なにも入れてないとは言ってたけどやっぱり信用はしきれないので、わたしは夕食の前にまたこっそりと解毒剤を飲んだ。
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