20.まりえと本棚
「はあ、はあ、はあ」
「一旦落ち着きましょう。足は大丈夫ですか?」
わたしたちは最初の森に戻ってきて、目に入るゴブリンたちを遠ざけてから一息ついた。蔓に巻き付かれて引っ張られた足首がじわじわと痛くなってきている。
「ちょっと捻った……」
「ポーションをお飲みなさい。びっくりしましたね」
「うん……、ねえ何あれ、姿を見せないで蔓だけ出してくるとかずるすぎ……」
ゲーム中の食人花はでっかい花がフィールド上をうろちょろしててそれに触れると戦闘って感じだったけど、さっきのは本体がどこにいるのかわからなかった。よく考えてみたら植物が歩き回ってるゲームの方がおかしいんだよね。そもそも植物って一か所に根を張ってるものだし、ああやって長く伸ばせる蔓があるなら動き回る必要はないのか……。
「今日は一旦王都に戻った方がいい」
「えっ?」
ポーションをひと瓶開けて飲んでいるわたしにイスマイルがそう提案してきた。そんなこと言われると思ってなかったのでびっくりしてしまう。
「待ってよ。せっかくイスマイルとパーティ組めていい感じに戦えてたのに、どうして?」
「あなた、さっき私がいなかった場合に自分がどうやって危機から脱出できるか想像できます?」
「え? うーん。仕込み傘でぐさぐさやるしかないかも」
「それです。あなたの傘はスライムやゴブリンにはうまく対応できていましたが、植物系と戦うには頼りないです」
「言われてみればそうかも……」
さっきはイスマイルが風の斬撃で一気に蔓を切断してくれたけど、わたしの仕込み傘だと切り落とすのは時間がかかるだろう。
「剣とか斧とかそういう、斬る系の武器を用意しないとってことか……」
「聡明ですね。その通りです。それに、動き回ってもう夕方になりました。夜はモンスターの気が立って強くなります。無理してボスのところまでたどり着いて、わざわざ強くなった相手と戦ううまみはない」
お、おお……。すごい、戦闘のアドバイスみたいなのがどんどん出てくる……。
「た、確かに、そうだよね……」
「わかっていただけてよかった。他にもなにか対策ができないか考えて臨むべきです。あなた、錬金術師の一人娘ですよね。お家に何か役に立つ書物などないか見てみるのもよいでしょう」
「お父さんの部屋にでっかい本棚があった!」
「うんうん、よく思い出せましたね」
なんかちょっと馬鹿にされてるような気もしないでもないけど、一人で考えて進むよりずっと気が楽だ。今回はおとなしくイスマイルの言うことを聞いて、わたしは一旦引き返すことにした。
「でもさ、今日は手伝ってもらってすっごく助かったよ、イスマイル」
「……まあ、同行者にされてしまいましたからね」
帰り道、隣を歩いているイスマイルにそうお礼を言ったら、イスマイルはちょっとばつが悪そうに頬をぽりぽり掻いてから小さな声で「特別なクッキーもいただけましたし……」ともごもご呟いた。
「攻略対象との接触を増やさずに同行者を連れていけるとなると、今後すっごく有利になるよ! 次も呼ぶからまた手伝ってよね!」
「……ハァ。いいですけど、私に借金してることも忘れないでくださいね。そろそろ利息が発生するから用意しておくように。では」
家のまえまで行くとワルブレヒトが嫉妬して大変だろうということでイスマイルとはスラムへ行く道の前で別れた。木箱とゴミに埋もれた小道に背の高い金髪の後姿が消えていく。
(スラムの汚い空気はイスマイルには苦しいだろうに、あそこに帰って行かなきゃいけないだなんて大変だな……)
イスマイルの行動はこのゲームの設定に縛られている。それでも彼は固定のNPCから同行者に引き上げられた。
たぶんだけどこのゲームの主人公はマリエちゃんだから、今マリエちゃんであるわたしがイスマイルに積極的に働きかけたことによって彼のこのゲームでの立ち位置がちょっと変わったのだろう。
今までイスマイルはなんども転生マリエと交流してきたはずなんだけど、誰も彼と一緒に行動することに思い至らなかったのだ。そう思うと、彼が時々見せるちょっと嬉しそうな顔の理由もわかるような気がした。
*
「さてっと……。お父さんの本棚、お父さんの本棚っと」
家に帰って、わたしはイスマイルの言う通りマリエパパの蔵書を漁っていた。マリエパパの匂いがまだ残っている部屋。わたし、安彦まりえとは直接関係ない人だけど、パパを亡くしたばかりのマリエちゃんの記憶が呼び起こすノスタルジーで喉の奥がぎゅっとなる。
わたしの現実の父親はわたしがまだ小さいころに失踪してしまった。お母さんはわたしのことを一人で育てるために頑張って働いて、まだぜんぜん若いうちに身体を壊して早死にした。だからわたしは成人するまでお祖母ちゃんに育てられていた。そのお祖母ちゃんもつい最近亡くなってしまって、わたしには身寄りがもうなかった。
(あいつがわたしの家族になってくれればと思ったんだけど……。あいつ、最初はいい感じだったんだけど、とんだ赤ちゃん男だったよなあ……)
役に立ちそうな本を探しながらも思考は全然関係ない所に飛ぶ。思い出すのはこのゲームの中に入る前にわたしのことを突き落とした彼氏のことだ。
(わたしの作るご飯美味しいって言ってくれて、一緒にいると安心するって言ってくれて、だけど結局お母さんみたいでドキドキしないとかいうカスみたいな理由で浮気してたし、わたしの財布からお金抜いてたんだよな……。だから別れようとしたんだけど……)
思い出すとただただ、胸がむかむかしてくる。
(まあいい、もうあんなのにわずらわされることはないんだから。わたしは今ここで生き抜くことを優先させなきゃね。イスマイルも協力してくれるし……。イスマイルかあ……)
イスマイルは逆に、あれこれ言いながらも世話を焼いてくれるタイプだと思う。それこそお父さんタイプっていうか……。考えてみればワルブレヒトもご飯とか作ってくれるし、オンドレアもわたしに危険が及ばないようにいきなり自分の関係者だとわかるブローチくれたし、このゲームでわたしに関わってくる男の人たちって、いろいろやってくれるタイプばっかりな気がする……。まずいな~、心が弱ってる時に迫られたらうっかり応じそう……。
(いや、イスマイルは違うでしょ。イスマイルは攻略対象じゃないんだから……。も~、頭とっちらかりすぎ! ちゃんと調べものしなきゃ)
そう思った時、目当ての本の背表紙が指に触れた。『錬金術師のための植物図鑑』、これだ。こういうのを探していた。
「食人花、食人花……えーと、あった!」
わたしはその図鑑をぺらぺらとめくり、食人花の項目を見つけ出す。そこにはステータス鏡の中にあるモンスターの項目よりもはるかに詳しい説明がびっしりと書かれていた。
「あ、ドロップする繊維で布が作れるんだ。ほ~」
項目を読み進めるとまたわたしの頭の中で葛布やそれを使った傘などが作れるようになったことを知らせるアナウンスがポップアップする。ん? 布?
「じゃあ、スライムの酸で溶けちゃうんじゃない? スライムの酸を使った除草剤なんてマリエパパ、作ったりしてなかったかな……」
次から次へと気になることが出てきて、わたしはまた本を探す。しばらく探したあと、ちょっと届かなそうな高い所に『錬金術師のための園芸』という本があるのを見つけた。
(手を伸ばしても届かないや、台持ってこよ)
わたしはマリエパパの部屋を一旦出て、倉庫から脚立を持ってくる。ガシャンと音を立てて設置すると立派な踏み台として役に立ってくれそうだった。
「よっと……届いたっ……と」
「捕まえた、マリエ」
「ぎゃっ!!!!!」
本を掴んだ瞬間、突然大きな男の手が背後からわたしの両手首を掴んだ。びっくりして叫んだ私は手にした本を取り落とす。足元は不安定な脚立の上。わたしは標本の蝶みたいに縫い留められていた。こんなことするのは……。
「ねえ、いっつもどっかに行っちゃってさ。たまには兄弟子と親交を深めようとは思わないの?」
「わ、ワルブレヒトッ……兄さんっ!?」
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