8話 絆は鏡。割れたらお互いが血を流す。
ホログラムスクリーン越しに見る映像は便利だ。指をくるくるさせるだけで色んな場面に切り替わるし、拡大して読み物だって読める。音だって再生できる。殺風景で暗くて広いだけの魔王城。柱と玉座しかないただ広いだけの謁見の間。退屈な魔王城で生活する上ではなくてはならない魔法の道具なのだ。
ただ、視覚と聴覚を撫でるだけのそれは、今私の心を埋めるにはあまりにも薄っぺらすぎた。思い出すのはマリアンヌのことばかり。彼女の魔導核はまるで眠っているかのように静かになって、好きと繰り返し続け最後には停止した。
壊れてはいないらしい。上書きして別のミスリルゴーレムを生み出そうと研究員はしていたので引き取った。私の傍に置いてある。玉座は私が寝転がれるくらい広いから、魔導核はちょうどいい背もたれになる。球体だがライトよりつるつるはしていなく、少しいびつな形をしている。中心に赤い丸い点があり、私の目の色とそっくりだった。
「少し風に当たってくる」
「はい、魔王様」
私はぴょんと玉座から降りると、お出かけ用の長く垂れたうさ耳フードがついた白いコートを羽織る。何もない空間から呼び出すので腕を通す素振りを見せるだけで勝手に着られるのだ。
今回はショルダーバッグも召喚する。分厚い黒革の頑丈なバッグで、見た目は小さいが意外と中身は広い。この中にマリアンヌを入れる。魔導核の大きさは私の顔より大きいが、魔導核の中心にある取り外せる赤い瞳は、私の手のひらと同じくらいで持ち運べる。外に出るなら、一緒に景色を見せてやってもいいと思っていた。
謁見の間を出ようと、ミスリルゴーレムよりも大きく分厚い扉に手を掛けたところで、背後からライトに声を掛けられる。
「私はこれからメンテナンスに入ります。数時間は身動きが取れませんし、視覚の共有も切ります。……ですので、魔王様が『どこで誰を見ていたとしても』、私には感知できません」
「別にこの日を狙ってるわけじゃないぞ」
「はい。ただの報告でございます」
「ふん……」
振り向かずに答える。ライトのやつ、私が直接あいつ――グラヴァルド帝国の辺境で、スローライフを送っている勇者の元へ行くことに完全に気づいている。気づいた上で、見逃してくれているのだ。違う、別にライトの許可なんて必要ない。私はどんなときでも堂々と出かける。別にやましいことをしているわけじゃないし。言うなればこれは視察だ。
「ふうーっ、いい天気だな」
魔王城の天気はいつもどんよりしている。常に漆黒の雷雲に包まれていて太陽の日差しは遮られて届かない。草地も生えない不毛の大地だ。紫色の沼からはガスが噴き出していてゴポゴポ気泡が現れては割れる。まさに魔物の拠点に相応しい。雲と雲を行き交う稲光は紅く、ごろごろ鳴っては機嫌が悪いことを主張しているみたいだ。
人間の悪意を見た。一方的な価値観の押し付け、そして断絶。振り返ると私にも原因があるように感じてから尚のこと気にかかる。マリアンヌに免じてあの栗毛には手出しはしていない。ただ、ミスリル鉱山に栗毛が足を踏み入れた瞬間威嚇するように命じただけだ。それを知ってから栗毛がミスリル鉱山に来ることはなかった。
それでも気は晴れない。栗毛からぶつけられた言葉と、マリアンヌの壊れた声が耳にへばりついて離れない。
だから私は無性に確かめに行きたくなった。
――勇者。
あのどこにでもいそうなフツーな男の顔を見に。
*
視界が晴れると、そこはのどかなグラヴァルド内とは思えないほど自然に覆われた辺境だった。少し伸びた草むらに身を潜め、うさ耳フードを深く被る。ついこの間も茂みに隠れていたなと自嘲しつつ、視線の先にある小さな畑に目を向けた。
「よしよし、いい色になってきたな。今年のトマトは上出来だ」
麦わら帽子を被り、首にタオルを巻いた男――人類の希望たる『勇者』がしゃがみ込んで赤い果実を撫でていた。風に乗って土の匂いがする。トマトの青臭い香りも一緒に鼻をくすぐる。食べたことはあるが酸っぱくて苦手だ。色は好きだが。
それにしてものどかで平和だ。静かで、喧騒もない。素の世界がぽつんとここに置いてあるようだ。あいつは魔王を倒す使命なんて微塵も感じさせない、のほほんとした顔で額の汗を拭っている。
「……バカみたいだな」
ぽつりと呟いた私の声は、虫の音に掻き消された。ぴとっと私の鼻の上にくっついたので声が出そうになったが必死で堪えて振り払う。
「虫は苦手だ」
虫系の魔物はどうってことないのだが、不思議な話ではある。そんな緩い感情に自然となってしまう緊張感のなさを私は求めているのだろうか。……正直わからない。ただ、この男を見ている時だけは、人間という種族の気持ち悪さを忘れられた。
「あるじさまー! お茶にしましょー!!」
元気な女の子の声が響く。私の耳は敏感にその声の方を向いた。勇者の傍にはいつももう一人付きまとうような奴がいる。しかもそいつは、あろうことか私とうりふたつで、背丈も声も耳も尻尾でさえもそっくりなのだ。鏡に映った自分を見ている錯覚を覚える。それも勝手に動く。
私そっくりの違う生き物が勇者の傍にいるのだ――




