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箱入り魔王♀は失恋(鬱)エンドを許さない~争わない世界で魔物は人に恋をする~  作者: たーたん
第5章 箱入り魔王と失恋的な恋

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32話 失恋は試練。もしかしたらまた。

 泥と、返り血と、焦げた臭い。私の体は再生し無傷だが、こびりついた臭いだけが残っていた。私はカイトに促されるままカイトの家に戻った。家に着くとシルナと会話していたようだが、私には聞き取れず、ハーブティを飲んだら少し気がまぎれた。


 気付けばシルナに手を引かれていた。イヤな臭いをすべてを洗い流すように、温かい湯気が部屋中に広がっている。霧のようになっていてよく見えないが、腰の低い木の椅子に裸になって座っている。


 どこにある部屋なのだろうか。カイトとシルナがいるからカイトの家なのだろう。私を目の敵みたいに毛嫌いして威嚇していたはずのシルナが、今は嘘のように穏やかな手つきで私の背をお湯と布で拭っていた。


「……ほら、腕上げて」


 言われるがまま私は両腕を上げると、シルナの手も伸びて「うんしょ」と両手から両脇を滑るように泡を擦り付けてくる。指先に触れる彼女の体温は不自然なほど優しく、その声には一切の棘も感じられなかった。左腕にお湯が掛かってもなんともないんだな、なんてことを考えていた。


「勘違いしないでよ? あるじさまがクロを助けたいって言ってるから。シルナはあるじさまの言うことをきいてるだけなんだから。一時停戦ってやつ! ほら、少しはキリっとしてよ。……そんなの見てたら自分の顔みたいで放っておけないよ。大丈夫だから。……あるじさまを信じていいんだよ」


 シルナは私の肩に手を置き耳元で囁いた。


「今日はほんっとーに特別。あるじさまの隣で眠る権利をあげる。あるじさまはね、クロのことを本当に大切に思ってるみたいなんだ」

「私を大切に……」

「うん。そう。だから、全部あるじさまに身を任せていいんだよ。何があったかは知らないけど、辛かったね、大変だったね……。今日は、今日だけはそんないやなことぜんぶ忘れちゃお? 色んなこと今考えたって頭めちゃくちゃなままなんだから、ゆっくり眠って、スッキリして明日また考えればいいよ」


 シルナのゆっくりとした口調はぼんやりとする意識の中でも私の心に甘く、深く染み込んでいくようだった。ハピコを自らの手で終わらせてしまった虚脱感。マリアンヌの恋を破壊してしまった未熟さ、ファントムの家族を失わせてしまった罪悪感。


 何が恋愛相談だ。何が今が平穏だからそれでいいだ。私は魔王だ、人間とは相反する『敵』であり、その親玉なんだ。生まれた時点で人間とは敵対する存在だというのに、相手を排除しないという選択を望んだ。このこと自体、きっと間違った考えだったんだ。


「なにが……魔王だ……」


 声を出して震えていることに気づいた。自分を責める声から逃げられない。考えたくもないのに、うじ虫のように勝手に湧いてくる。震えているのは寒いからではない。自分がこんなにも弱くて気持ちが定まらない不安定な存在だということに気付いてしまったら震えが止まらなくなってきた。


「魔王とか、人間とか。ぜんぶ忘れていいんだよ。他のだれでもない、ただのクロなんだよ」

「……」


 なんて返せばいいのかわからないまま黙っていると、ぴとっと後ろからシルナに抱きしめられた。お互い裸だったからシルナの鼓動が直接伝わって来る。私の心臓の音と交互に鳴っている。時計の振り子のようにその心音は妙な心地よさを覚えた。


「ほら、いやな臭いもとれて石鹸の香り! スッキリしたでしょ? このあともっともっとスッキリするんだから。したいでしょ? 頭の中が弾けて真っ白になるくらいスッキリするよ!」


 その空虚な隙間を埋めるように、シルナの言葉が妙な湿度を持って隙間から入ってくる。甘ったるい囁き声とシルナの鼓動が私の中に溶け込んでいくようだった。まるで私の感覚がシルナと同化していくような。


「……ほら、拭いてあげるからいこ。髪も乾かさなくちゃ」

「あ、ああ……わかった」



* * *


 すっかり夜になっていて、寝室には小さなランプの火だけが揺れていた。相変わらず頭がぼうっとしていた。今はそれがちょうどよかった。余計なことを考えなくて済むし、思い出さなくても済む。なんにせよ、テイマーの件は終わったんだ。明日からまたいつもの日常が始まる。


 硬めのベッドの上に寝転ぶとハーブの香りがした。それにカイトの匂いもする。


「今日はお疲れ様、クロ。頑張ったね」

「うん……」

「きっと明日から良くなる。クロも、世界も。そうしてわかってくれる。大丈夫」

「うん」

「どんなことがあっても、今日みたいに僕がクロを助けるから」


 カイトの長い腕が私を包み込み、きゅっと引き寄せられる。


「だから、クロ。僕を信じてくれる?」


 そうか、カイトも横たわっていたのか。カイトはシーツみたいに私に覆いかぶさり、ごつごつとした肌の感触は少し冷たく感じた。思考がふわふわと混濁していく。


 たぶん、私は疲れている。脱力しきっている。おかしな話だが、それでもいいとも思っている。カイトが包んでいてくれているから。なんだ? これ。よくわからない。頭の中でライトが話しかけてきてるような気もするが「邪魔するな」と命令したような気もする。


「……信、じる」


 ああそっか。カイトは私を大切にしている。だからあのときも好きって言ってくれた。あの時体が燃えるように熱くなって、記憶が飛んだけど、あの時の私の感情もカイトと同じ気持ちだったんだ。


「好きだよ、クロ」


 その告白は、暗闇に投げ出され独りぼっちになってしまった私にとって、唯一の救いの蜘蛛の糸だった。カイトにされるがまま私は身をさらけ出している。私は抗うことをやめ、彼の胸に顔を埋めた。


「……私も、カイトが……」


 今にも漏れそうな次の言葉が舌の上に貼り付いて出なかった。言ってしまったら何もかも壊れてしまいそうな恐怖が、こんな姿を晒してしまっていてもなお引っかかってしまう。


 言えば楽になる。なぜだかそんな確信がある。

 でも同時に、疑問に思う自分もいる。

 何か大切なことを忘れているような。


「す……き」 


 応えてしまった。その瞬間、私の口はカイトの大きな唇で塞がれた。咄嗟に体が反応するも、カイトの吐息を飲み込んでいくうちに「もっと欲しく」なってしまった。でも、どうして好きになったのだろう。いいか、そんな些細なことは……。


 や、止めろ! 私じゃない! テイムは私じゃ――


 ふと、アベルの断末魔が脳裏を過ぎった。あの先、何を言おうとしていたのだろうか。魔物は自覚なく、人間に恋をすると錯覚させられる。つまり……?


 愛おしむように体を這う指先。甘い言葉と一緒に、ずぶりと何かが侵食してくる。


「あ、ああ……そのまま」


 目玉だけを下に向けると喉に食い込むソレを見た。心を縛る鎖のようであり、命を刈り取る煌々と光を放つ銀の刃だった。口の中に広がる血の味すらも、甘い恋の味だと錯覚させられていく。


 くいっと喉の中で切っ先の方向が変わる。喉の真上、口の中を通過していき、頭の上から突き出してしまうのではないかと思った。チカチカと眩暈がする。体が硬直して麻痺したように動かない。


 明らかに異常な状況なのに、思わず痙攣しそうな気持ちよさが広がり続ける。ぼんやりと理解した。秘め事のような吐息が混ざり合い、一線を越えようとする、いや既に超えている。今は最も無防備で、最も幸福なその最中だ。


「――僕の為に死んでくれるかい、クロ」

「あ、あ……?」

「ああ、ようやく、元の世界に帰れる」


 耳元で響いたのは、愛の言葉ではなく、氷のように冷徹な呟きだった。直後、鋭い痛みが喉を貫いた。真っ赤になっていく視界で微笑むカイトの顔を見た。「のほほんとした農民」の顔などどこにもなかった。カイトの瞳には、ただ、目的を達成しようとする一人の「狩人」のような、冷酷でどす黒い光が宿っていた。


 カイトはナイフを握り直したまま、私を見下ろした。別の何かで体を滅多刺しにされているように体が跳ねる。


「僕たちは転生者だ。でも好き好んでこんな世界にきたわけじゃない。僕は元の世界に戻りたい。魔王を倒した勇者は、報酬として元の世界へ帰る権利がもらえるんだ。僕はずっとチャンスを待っていた。君が自分から心を許して完全に受け入れるその瞬間をね」


 私は、震える手でカイトに触れようとするが磔にされているのか思うように動かなかった。


 だとしたら、私の今の気持ちは。カイトが好きで好きでたまらないこの燃えるような感情と愛おしさはなんだ?

 

「どうだいクロ。これが本物の、レプリカでもなんでもない。テイムそのものの力だよ。ようやくだ、完全にクロが無抵抗になるこのときをずっと待ってた。ただ……このスキルを完成させるには一つ、問題があってさ。目を見てちゃんと口にしなくちゃいけないんだ」

「…………」


 私の両まぶたがカイトの指で広げられる。眼球同士が接触しそうなくらいカイトは顔を近づけて甘い息を吐きながら「ちゃんと見て、聞いてね」と、いつもみたいな優しい声で、


「――服従テイム


 足の指の先から血が逆流する。私じゃない意思を持った無数の触手が、私の体の中を食い尽くすように上に登っていく。


 テイム。

 アベルのスキルじゃなかった。


「は、はは……はははは」


 私の今の気持ちは。


 カイトが好きで好きでたまらないこの燃えるような感情と愛おしさは。


「ははは、はは!!」


 笑うたびに口から血が飛び出てカイトの顔を塗りつぶしていく。

 こんな可笑しいことがあるか? 笑いがとまらない。あまりのくだらなさに腹が捻じれる。


 体から噴き出す血液以上に、私の目からは涙が零れ落ちていた。

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