31話 愛は欺瞞。それでも包んでほしい。
全身が炎に包まれた。
「ガ、アァァーーッ!! ギイイイイ!!」
ハピコの身を案じる言葉を投げるより前に、ハピコは甲高い悲鳴を上げながら燃え続けていた。あれだけ派手に着飾っていた装飾品は炭になり、金色の髪も綿毛のように消えてなくなりもう見る影もない。それは私も同じだった。アベルから放たれた炎を全身を包まれている。
「いい子だ、ハピコ! これが終わったら一緒に愛し合おう!」
「あ、アア! アイ……あィ……」
ハピコはアベルの声に反応して盾になった。私はそれに気づかずに、アベルの障壁を破ったと思ったらハピコの体に腕を突き刺していた。貫通した左の手の中には何か温かいものが残っている。そして今に至る。アベルは、自分を庇うように翼を広げたハピコの背中越しに、躊躇うことなく攻撃スキルを放ってきたのだ。
「わ、私が……」
炎だけではない、雷のような斬撃が次々と襲ってくる。轟音と閃光が弾ける。ハピコの華奢な身体は既に力が抜け見えなくなっていて、それでもなお破壊の奔流は至近距離にいた私を飲み込み続けていた。呼吸をするたびに肺が焼かれ、目を凝らそうとしても閃光で眩む。
だが、そんなことはどうでもよかった。
「ハピコ!! ご、ごめっ!」
ようやく出た言葉は、ごめん。そんな声なんてもうハピコには届いていない。真っ黒になったハーピーの亡骸だ。もうどこを向いているのかもわからない。
私が、ハピコを……。
「このまま焼け死ね魔王……ッ!!」
私は左腕をさらに奥深くに潜らせる。その先にあるアベルの胸倉を掴み取った。
「お前は……、黙れ!!」
絶対零度の呪いがアベルの体を弓なりにしならせた。
「や、止めろ! 私じゃない! テイムは私じゃ――」
驚愕に目を見開いたまま、アベルの思考と時間はそのまま沈黙し糸が切れた人形のようにその場に崩れる。
「ハピコ! しっかりしろ!」
腕を引き抜いて黒ずんだ姿になって動かないハピコを抱きしめる。必死に声を掛けるがぴくりと口元が微かに動いた。
「……あべ、る……、ハピ……を、アイし」
ハピコは楕円形になった頭を私に向け、真っ黒な目で私を見た。感情は読み取れなかったが「ハピコ!」と声を掛けると、ぼんやりと感情の欠片が奥底から滲んでくる。漂うようにある力ない灯火のようなそれらは、明確な『憎悪』に満ちていた。
口を動かしているが声は出ていない。だがなんて言っているのかは読み取れた。「よくも」「好き」「なんで」「体が勝手に」「許さない」「愛してる」「逆らえない」重なったハピコの声が同時に聞こえてくる。
ハピコの細切れの言葉が、鋭い刃となって私の心を滅多刺しにする。
「アベルはハピコにとって全てだったのに、クロさまがこんなことをしなければ、いつまでも幸せに暮らせてたのに。どうして邪魔をするの? 魔物が幸せになったらいけないの? 魔物が人間を好きになったらいけないの? よくも、よくもハピコの世界を壊したな!!」
今度ははっきりと聞こえた。腕の中にいるハピコはもう体が崩れ風が吹くたび欠けていくだけの姿になっていた。遠くからアブの声が聞こえる。彼女にとっての世界は、アベルがすべてだった。
それはテイムによるものだったのか、本当の気持ちだったのかはわからない。ただ、どちらにしてもハピコがアベルを『好き』になっていたのは確かで、私が身勝手な正義感で壊してしまったのだ。
いいや、正義感なんてものじゃない。自分がしでかした間違いをなかったことにしたかっただけ。
どうしてこうなったのだろう。私はゆっくりと立ち上がり周囲を見渡した。羊皮紙を燃やして、アベルだけを無力化すれば、みんな助かるはずだった。それなのに眼前に広がるグラヴァルドの陣地は、人間と魔物の死体が山のように積み重なる地獄に成り果てていた。
「魔王様! ご無事ですか!」
怒号と悲鳴が飛び交う中、アブが駆け寄ってくる。私はせり上がってくる自嘲的な笑いを堪え、命令を下した。
「……アブ。アベルを魔王城の地下牢へ運べ。こいつは勇者だ。絶対に殺すな」
「こいつが元凶ですか。これでテイムとやらの件は収まるのですね」
「ああ」
アベルは死んではいない。地べたに横たわっているが呼吸はしている。「私じゃ」と何度も呪文のように呟いているだけ。私が解除しない限り、アベルの意識は永遠に凍り付き黙り囚われ続けるだけ。二度と起き上がることも、テイムを仕掛けることもないだろう。
「……」
ただ、アベルの最後の言葉が引っかかるが、さっきみたいな命乞いの類いだろう。なんにせよ一連のテイマーの件は打ち砕いた。ハピコのようなことや、魔物が人間と徒党を組んで戦争するなどは起きないだろう。
魔物が人間に恋することだって……。
そう納得しようと自分に語り掛ける。私が手に入れたのは、ただ被害を拡大させたという最悪の現実と、拭いきれない罪悪感だけだった。それと拭い去ることのできない後味の悪さ、気持ち悪さ、自分の情けなさ。
結局、この世界に転生してくる者がいる限り終わらないのかもしれない。数か月、数年後、またアベルのような者が転生してくるかもしれない。思うことはあったが、これ以上考えるのは疲れすぎた。そうやって、私は大事なことを後回しにして最悪の状態になってから気づくのを繰り返していくのだろう。
「私は何のために……」
足元に焼き焦げて炭化した首輪が落ちているのに気づく。もう風に吹かれて消えてしまったハピコがいた場所にあった。私はそれを拾い懐にしまった。
アブたちが去り、静寂が降りた血みどろの陣地を彷徨うようにふらふらと歩き出した。私の傷口は既に再生されていて私だけが無傷だった。体はなんともないのに、心に開いた風穴からすべてがこぼれ落ちていく感覚があって、そこから私の感情が全て流れ出て行くみたいだった。
「クロ……ッ!」
どれくらい歩いたのだろうか。泥と血に塗れた私の視界の端に、走ってくる人影が見えた。私のコートを羽織ったカイトだ。彼はボロボロになった私の姿を見るなり、何も聞かずに、私にコートを掛けてくれてそのまま私を抱きしめた。
「ごめんね……。僕がもっと強ければクロにこんな痛い思いをさせなかったのに」
カイトの腕は力強く温かかった。優しい体温とカイトの体の匂いが直接鼻に伝わってくる。なぜか勝手に私の目からボロボロと涙が溢れ出した。こんな姿、見られるのは恥ずかしいし、そもそも人前で泣くだなんてあってはならないことだ。そう思うも体に力が入らず声にならない嗚咽を漏らし続ける私を、カイトは子供をあやすように優しく撫でてくれる。
「帰ろう、クロ。僕たちの家に」
「うち……?」
「うん、そうだよ。おいしいハーブティ飲んで、ゆっくり体を休めよう」
「……うん」
その言葉に、私はただ、すがりつくように小さく頷いた。




