30話 愛は執着。貴方の為に踊っていた。
高く跳んで見渡す。思わず目を逸らしたくなる光景だった。至るところで立ち昇る黒煙、燃え広がる天幕に、逃げる魔物たちの背後を複数で襲う人間。巨大な弩の矢が首に突き刺さり、落下したワイバーンの傍で勝鬨を上げている人間もいた。
テイムの呪縛が解け、混乱した人間か魔物が争いを始めた。私が魔王の力を使って魔物が人間を攻撃するのをやめるよう命令した。その結果、見える限りの魔物は人間に殺された。
「――っ! 化け物め!」
「化け物はどっちだ!」
私も吠えた――お前たちが化け物だと。
アベルは顔を歪ませながら両手に円筒を構え迎撃の姿勢を取った。護衛の兵士たちも盾を構え陣形を取る。あの筒に莫大な魔力を感じる。私の左腕を軽々とすり抜けたときから疑問だった。アベルの力はテイムだけじゃないのか!?
周りの兵士たちが邪魔だ。合間を縫って拳を大地に打ち、衝撃で陣形を崩すしかない。私がそう判断した刹那、私の耳がピンと伸び、上空から飛来する物体を察知した。姿を視認する。力を緩めるしかなかった。
両肩に鋭い爪が突き刺さる。そのままアベルとは距離が離れた地面に叩きつけられた。力を抜きすぎたせいか、爪は私の肩の深くまで入り込んで引きちぎられそうだった。痺れるような激痛が走り、思わず声を上げそうになる。
「……ハ、ハピコ……!」
ジャラジャラと広げた虹色の翼から装飾品が垂れる。細い喉を締め付けるような首輪。関係はないようだが、見ているだけで胸やけを起こしそうになる。
「ハピコたちに何をしたの魔王さま!! ハピコの仲間がみんな、おかしくなってる!」
焦点の合ってない目で私を見下ろしている。
「それに今、ハピコの旦那狙ったっしょ! どうしてそんなことするの!? マジで意味わかんないんだけどっ!」
「まだ旦那などと……ハピコ、お前の束縛は解けたはずだ! お前はアベルに操られていたんだ、魔物の好意をいいように利用して、人間になびくように洗脳されてたんだ。目を覚ませ! お前も、みんなも魔物の好きとか恋は偽物なんだ!」
そういうしかなかった。ファントムとコハクはきっと本物だった。マリアンヌの気持ちだって同じなのだろう。ハピコもそうかもしれない。だが、いちいち本物なのかどうか確かめる方法なんて、私にはわからない。
起き上がろうとするも、ハピコは全体重を脚に乗せている。地面に体がめり込み、圧し潰そうとする勢いだ。両手に力が入り切らず上手く起き上がれない。
「は……? 洗脳? 何言ってんの!?」
肉の奥が抉られる感触に声が漏れる。ハピコの鉤爪が貫通して反対から出てきそうだ。
「ハピコの好きはホンモノだよ! ハピコは愛してる! 旦那……彼ぴ……」
「いいぞハピコ! そのまま抑えつけておけ! やればできるじゃないか!」
バッと、ハピコは首を回して声がしたアベルの方を見る。
「あ、れ?」
のしかかるような重みが、ふいにフッと軽くなる。私に馬乗りになっていたハピコは、その大きな体をのっそりとどかし私に背を向けた。両肩に突き立てていた爪は引き抜かれ温かい血が溢れ出てくる。そして、アベルを庇うように、ゆっくりとその身を翻した。
「えっと……? だれ、こいつ――、あれ、ま、魔王さま……?」
傷口が再生し始める。ハピコの顔は私とアベルを行ったり来たりしていて、私の方を見るたびに目が飛び出そうなくらいに見開いて顔が青ざめていく。
「わわっ、魔王さまじゃん! 大丈夫!? その傷、もしかしてハピコがやったの? な、なんでなんで? ハピコわかんない、それに、ここどこ。なんだか頭がふわふわする……それになんなのあの人間こっち見てんだけど、なんでこんなに気になるの」
道が開いた。ハピコのことは気がかりだったが僅かな時間も惜しかった。右手を振り上げて、渾身の力で血と泥で汚れた地面に叩きつけるように振り落とす。地割れと振動で、アベルの周囲の基盤が崩れ、アベルを護衛していた兵士たちはバランスを崩し次々と倒れていく。
私はその勢いで起き上がると屈んだ態勢のまま地面を蹴り、狼のようにアベル目がけて駆け抜ける。左腕に纏う絶対零度の冷気を引き込む。パキパキと腕の周りの空気が凍る音がする。
「役立たずが!!」
視界に迫る砂埃の中から、アベルの発声とともに魔力を伴った矢が何十本も私目がけて迫ってきた。右手の一振りでそれらを掻き消すと、次に同じ方から不規則な軌道を描いた複数の雷撃が飛んできた。
雷撃の衝撃は土煙も吹き飛ばし、視界が鮮明になる。初撃は軽く跳んで避け、死角からきた二発目は右腕で防御する。ジリリと腕全体が痺れるが大したことはない。
「こんなものでは油を注ぐだけか。仕方あるまい……」
見えない壁にぶつかり、アベルを目の前にして私の突撃は止まった。ガイィィィン! と左手が弾かれる。
「――私が魔王を抑えつける! 全軍、レスティアを警戒しつつ撤退準備を急げ!」
大げさな手振りで指示を飛ばすアベル。慌ただしく兵士たちが動き、言葉を大声で反復しながら散っていく。まるでおあつらえ向きとでも言わんばかりの人の居ない空間がアベルと私の中に形成された。魔物も人間を憎む獰猛な声を上げながらも撤退を始めている。
「……」
「私たちに敵意はありません。魔王様、どうか落ち着いてください」
私は黙って魔物たちの姿を目に焼き付けていた。それをどのように解釈したのかは知らないがアベルの挑発めいたセリフは私の意識を戻らせるには十分だった。
「敵意がないだと、抜かすな人間」
地面を蹴ってアベルに詰めようしたが、「重撃」と低い声とともにパチンとアベルの周囲を漂う円筒の封が開くと、私の周囲の空気が変化した。見えない力が私の全身に圧し掛かり、地面に縛り付けられたみたいに体が重くなる。
「私たちとの間にある誤解を解きたい。しかし、今の魔王様はとてもお話できる状態じゃない」
アベルは両手を広げる。
「増幅、拘束! 茨縄!」
パチンパチンと次々と円筒が開かれる。首、手首、足首に銀色の輪が嵌められるときつく締め付けてくる。それとは別に大地から茨の蔓が伸びてきて、全身に巻付くように絡みつく。身動きを封じようとしている。
「対魔王用の束縛系スキルです。《《本家》》よりは劣りますが、このように何重にも重なれば優れた拘束具になります。興奮してらっしゃる魔王様には、ちょうどよいでしょう。どうか武力ではなく対話で、話を進めませんか」
首を締め付ける隙間や、肌に突き刺さる茨、全身がロウで固められたみたいに動かない。口も視界も覆われる。蔓の隙間から僅かに見えるアベルは「念には念を」と呟きながら筒を開いていく。私の姿はもうどうなっているかわからないが、私をさらに縛り上げているのだろう。
「ま、魔王様!!」
ハピコの声が聞こえる。首が回せないので姿は見えないが。
私はこの間に考えていた。アベルのスキルについて。勇者が持つ特筆したスキルは一つだという認識も違っていたのだろうか。まあ、なんにせよ――
この程度なら何の問題もない。
多少体は重たいが一歩、前に足を出して歩き出す。アベルの驚いた声に思わず鼻で笑ってしまう。
「こんな程度じゃ、ファントムも止められないぞ」
どうやら人間は見誤っているようだ。私は歴代の魔王と比べたら最弱だとは思うが、だとしても魔物の王だ。私がこれまで敵意を表したことがないからと、人間は私の実力を確かめることもせず『この程度』ならと勝手に線引きしていたのだろう。これがもし、人間の誇る勇者の最強クラスの拘束スキルなのだとしたら……、人間は相当弱い。
「対魔王認定スキルを破りますか……、化け物が」
自由になった右手で顔に絡まる蔦を剥ぎ取る。多少皮膚も一緒に持っていかれたが即座に再生される。私から噴き出した血は蒸発し、左腕の冷気に冷やされ真っ赤な雪のように私の周りに降り注いでいる。
冷たい空気を鼻から吸いこんで肺を満たし、ふっと一気に吐くと狼狽するアベルの懐に一気に駆け抜けた。
「沈黙の氷――」
アベルの心臓目がけて左腕を突き刺す。が、アベルとの間にあった見えない壁に再び遮られ食い止められる。加減が難しかった。勢い余ってアベルを貫いて殺してしまわないよう、段階的に力を上げていく。
見えない障壁にヒビが入りと亀裂が上下左右に広がる。その間ずっとアベルと目が合っていた。アベルの瞳には苦渋の色が滲んでいる。私の重さを両手で食い止めるようにして、ついさっき片膝をついて歯を食いしばっている。
「人類を敵に回すつもりですか……! 今、この行為は、人類に対する宣戦布告だということがわかりませんか!」
「……」
私は無視して力の加減を調整し続ける。もうそろそろ障壁が破れそうな感触がある。あとは左手をアベルの胸に当てて『沈黙』させるだけ。そうすればテイムも終わるし、殺さず回収することでアベルの転生枠も消費しないで済む。
「人類は総力を上げて魔王討伐に乗り出すでしょう! せっかく我々と築き上げてきた平穏が、ただの乱心で崩れてしまうのですよ。それを望むのですか!」
だが、アベルの言葉に反応してしまった。
「乱心だと……!」
「私は人間と魔物間に、一つの可能性を提示したまでです。世間の目を忍ぶことなく堂々と寄り添える、種族の垣根を超え、人間の街に魔物が住んでいる。共に生活している。そんな平和な世界を気の迷いで崩さないでいただきたい!」
「勝手なことを、ほざくなっ!」
「お忘れですか。貴方が認めたのですよ?」
ちくりと胸に棘が刺さったような痛みが走る。
「魔王自らが人間にテイムされることを認めたのです!」
「わ、私はそんなの知らなかった!! 知ってたら認めたりなんかしなかった!」
「そんな身勝手な理由で魔物も人間も、どこまで振り回すつもりですか!」
耳にこびりついて離れない。奥の方へどんどん入って来て頭の中に「私のせいでこうなった」という後悔が鐘のように鳴り響く。だからこうやって元通りにしようとしてるんじゃないか!
「うるさいうるさい!!」
バキバキッ――!
「くっ――!」
アベルの障壁が一層、また一層と押し潰していく。
「お前になんか言われたくない! お前が私を騙したんだ!」
コハクから譲り受けた左腕が私の声と共鳴するかのように高音をまき散らすと障壁一面に霜が落ちる。壁そのものが沈黙し、ただの膜のように柔らかくなっていく。
「俺は悪くない! 命令されただけなんだ! 助けてくれ!!」
アベルが何を言ったのか理解できなかった。涙も唾も撒き散らしたアベルの顔を見て動きを止めてしまった。命乞いだと知った瞬間、私の頭の糸がぷつりと切れ、アベルに向かってこう「ふざけるな」と言い返そうとした。
「ハピコ!! 助けてくれえええっ!!」
左腕に温かさを感じる。粘度の中に腕を突っ込んだようなほんの僅かの抵抗。
「――っ、こぽっ、ごぼっ」
翼が羽ばたく音、覆いかぶさる影。そしてそれを穿った私の腕。
ハピコの断末魔はあまりにも生々しい声だった――
「な、なん? げほっ……体、かって、に……」
ハピコは身を挺してアベルを庇い、その胴体に私の腕が突き刺さっていた。
吐血し、困惑と混乱を理解すべく目まぐるしく目玉が動いている彼女のさまをじっとみていることしかできなかった。
「クロ、さま……?」




