26話 愛は伝承。私たちを支える力。
「ここはもっと寒いですね」
両手を股の中に挟んで温めているコハク。
「魔王様、混乱してます? もしかして、ここに来るのは初めてですか?」
「あ、ああ……」
コハクは死んでいる。コハクの亡骸に触れた瞬間意識が飛ばされた。
ならここは夢か、何かの幻想か。
背景色や上から下、右から左と、流れるような緑色に光る線を見ているとホログラムスクリーンの中にいるような感覚になる。
「お前はコハクなのか? それとも別の何かか?」
「正確には、魔王城に保存されたデータの一つのようです」
「データ?」
「はい。魔王城にはこれまでの魔王の記憶やその時代の情報が保存され、かつて魔王城に挑んで敗れた勇者のスキルを取り込んで人間界にはない技術で成り立っています。魔王の誕生と共に出現し、魔王と共に消滅する。一心同体の関係です」
確かに魔王城には莫大なエネルギーが眠っている。
私たち魔物は、魔王城にいるだけで自然と傷が回復する。私の場合は、離れた場所で傷を負っても再生することができる。ホログラムスクリーンだって手元でいじれるのは、それこそ魔王城と繋がっている証拠だろう。呼吸と一緒でなぜと今まで疑問に思うことはなかった。
「私はそのデータの中に入ったというのか?」
「そうですね……、簡単に言うと魔王様は今、私と魔王様だけが入ることが出来る、特別な部屋の中にいます。どうやら私も城に取り込み済なようですね。魔王様が私とお話したいと仰ったので、魔王城のデータベース内のコハクが再構成されたのでしょう。……自分で言っていて不思議な話です」
コハクは脚の間から右手を抜いて、口に当てながら肩を上下した。
「なら、そのデータとやらをコハクの体に戻せばコハクは蘇るんじゃないか!」
「この特別な部屋は魔王様のみアクセスでき、魔王様の頭の中でだけ再生されている夢のような映像です。そこから取り出して移動することはできません」
私はコハクに近づく。私の身長が低いのか、コハクが大きいのか座っているコハクと私は同じ目線だった。
「魔王様。私も、あなたとお話がしたかったです」
口元に添えられていた手が私の方に伸びる。細く長い指に誘われるように私の右手が上がり、指先が触れ合う。私の中にファントムとコハクが過ごした記憶の欠片が断片的に流れて込んでくる。
「ファン……、ファントムはテイマーとは無関係です。これが、短い時間ですが私たちが過ごした日々の全てです」
ファントムが丸太を積み上げてログハウスを建てる姿。コハクがファントムの氷像を作り終え、首を傾げその隣でファントムも首を傾げている光景。焚火を囲んでコハクが笑顔で、ファントムも静かな表情で寄り添っている光景。
交わした言葉、触れ合った感触、二人の想い。
「うん、私がコハクと話したいと思ったことが全部伝わった」
これが、恋か。
「すごく……、羨ましいよ。コハク」
私は笑っていた。コハクも目を細めて頬を緩ませていた。
「本当にごめん……。私のせいだ。私が、お前たちの関係を壊してしまった」
コハクは目をつむって何度か左右に首を振った。
「私のスキル適性は低く、氷の像を造る程度しか氷を操ることはできませんでした」
触れ合った指先をコハクから絡めてくる。
「ファンは今、私の解放された力に囚われて、心ごと凍ってしまっています。……私にはもう彼の心を溶かしてあげることはできない」
手と手が溶け合うように混ざっていき、私の意識が少しずつ歪み始める。
「魔王様ならきっとこの力を私以上に扱うことができるはずです」
なくなっている左腕の感覚が不思議な力に帯びているような気がする。
「私の力を全て魔王様にお渡しします。どうか、その力で凍り付いてしまったファンの呪縛を解いてあげてください。私のスキルの名前は、『沈黙の氷』です」
コハクの言葉が一つずつ、私に染み込んでくる。私は拒むことなく一つずつ、受け止めていく。冷たくも暖かい力が左半身に纏っていて、渦のように周りの空間を吸い込んでいる。
そろそろ、コハクとは会えなくなりそうな予感がした。
「本当のファンの姿に戻してあげてください」
だから黙って、コハクの声を聞き続けることにする。
「自分を責めすぎないでと伝えてください、それは、魔王様もですよ」
ファントムのことだから一生引きずるだろうけど、精一杯伝えてみるよ。
私は……、やれることをやってみる。
「私はこの世界に転生できてよかった」
初めて人に認められたんだったな。
だから、本当は……もっと生きていたかったよな。
「ファンと出会えてよかった」
初めて本当の自分を他の誰かにさらけ出すことができたんだよな。
その相手がファントムだったなんて、私も嬉しい。
自分を全て受け入れてもらえる気分はどういう感じなんだろうな。
きっと、幸せというやつ、なんだろうな。
……胸が裂けるように痛い。
「ありがとう。私との道を選んでくれて」
コハク。お前の雰囲気は他の人間と比べてちょっと変わってる。
ああ、もちろんいい意味でだ。
だからファントムもお前と同じ気持ちになったんだろう。
「ファン」
「――愛してる」
「あなたはあなたの進むべき道を――」
がくん、と世界の上下が反転して私の意識も裏返った。
――現実世界に意識が戻る。
私はコハクの体に触れたままの状態から動いてはいなかった。
ファントムの様子も変化はない。
夢とは違って、あの奇妙な空間とコハクとの会話は覚えている。
「ファントム。……コハクと話してきたよ」
ファントムの顔を見上げることはしなかったが、体が大きく揺れたことから驚いた表情をしていると感じる。落ち着く数秒の間黙って待ち、十分にファントムの表情が作られる時間を与え、ゆっくりとファントムを見上げた。
「コハクをちゃんと眠らせてあげよう」
熊のよう小さな丸い瞳は、暗闇であろうとも私を反射していて、ファントムの中に私の赤い瞳が映っている。私が右手を伸ばすと、怯えるように眉間に皺が寄る。大きな濡れた鼻から戸惑うような鼻息が漏れている。
「ほら」
だが、ファントムは私が触れるのを嫌がらない。
そっと眉間のシワを伸ばすように親指で押し当てて、そのまま手のひら全体でファントムのごわごわの顔をほぐすように撫でていく。
自らコハクを殺めてしまった後悔と罪悪感が茨の呪縛のように体を締め付けファントムは心を喪失した。コハクでは扱いきれなかった「沈黙の氷」の本来の力が、死と同時にファントムの心ごと閉じ込めてしまった。
「起きよう」
私の左肩から白い息を吐くように冷気が立ち昇った。
ぱきぱきと音と立てながら、透き通るような美しい形が作られていく。
これは、コハクが私に譲ってくれたコハクの力が凝集された氷の左腕だ。
それを見たファントムの濁っていた瞳に微かな光が戻った。ファントムが愛したコハクの力と「想い」を感じ取ってくれたのかもしれない。
「魔王城の裏手に見晴らしのいい丘があります。そこから見える景色はきっとコハクを飽きさせない。そこにコハクが眠る場所をいただけないでしょうか」
「ああ。いい案だ」
衝撃に囚われ続けていたファントムの心が溶解したみたいだ。
ファントムの声は重く静かで、唸るような低音だったが、地下全体の温度を上げるような熱い吐息が混ざっていた。
ファントムはコハクを抱きかかえたまま、ゆっくりと立ち上がる。
私は一歩二歩と下がって、ファントムを見上げた。
ファントムは、私の左腕をじっと見つめている。
「魔王様」
「コハクがくれた。お前にもぎ取られた腕をお前の妻に直してもらった」
ファントムに見せびらかすように左腕を上げる。
こんな感じの言い方でいいだろうか……。
「冗談が過ぎます魔王様。…………はは」
険しい皺で鬼のような形相だったファントムの表情が僅かに緩む。
よかった、笑ってくれた。




