21話 好きは共存。始まりは打算でも②
人間の女が俺の姿を氷に刻み込んでいるのは知っていた。女が寝静まった夜。最初は様子を見るだけだったが、氷像を眺める時間が日に日に長くなっていった。
「何が目的だ……?」
人間にとって魔物とは、恐怖と嫌悪の対象でしかないはずだ。それなのに、これらの氷像に刻まれている俺の姿には、その毛並みの一本一本までこれら一切を感じなかった。畏敬や純粋、そして何より、途方もない熱量が込められていた。
直接対面したことはないはずなのだが、よくここまで似せられると思わずため息が漏れた。氷なのに熱さを感じるなんて初めてのことだ。悪い気がしないのは不思議だった。
同時に、像の一つ一つを見るたびに女への興味は増すばかりだった。
魔王様に造られし我々四天王。ライトとスロウは常に魔王の傍にいるが、アブソリュート・ゼロと俺は各地の魔物たちの統制を図るために転々としている。今は北方の統制を任されており暴徒化する魔物を鎮圧したり、不用意に魔物を攻撃する人間を追い払ったりしていた。
「ふふ、これだけ俺が居れば魔物も人間もここに近づくことはあるまいな」
誰に言うでもなく一人で笑う。こうまでして俺の姿を掘り続ける人間に興味が湧いた。自然と足を運ぶ機会が多くなり、遠くで様子を見ては寝静まった夜に像を見に行く。痕跡を残さないよう注意して。
そんなある日、女が倒れているのを発見した。本来なら人間が勝手に野垂れ死んでいようとも無視するのだが、驚くべきことに俺は女を介抱していたのだ。よく考えてみれば弱い人間が、こんな粗末なテントだけでこの極寒の地を生き延びられたなと思う。倒れ、死んでいくのは当然だ。
火を点け、腕の中で女を温めるようにしてどうしようか考えていると、俺の答えより先に女が目を覚ましてしまった。開口一番、女はこう言った。
「――私は、あなたを待っていた。あなたしか彫っていない。私は、あなたに恋をしてしまった」
俺を、待っていた? 恋?
女の言葉は俺の頭を搔き乱した。
「小生も気になっていた。なぜ、小生の姿を彫り続けるのか」
動揺した素振りを見せまいと俺は気丈に振る舞って見せたが、女は吹き出すようにして青白い顔のまま笑った。この時の笑顔が今でも忘れられない。
「ふふ、小生なんて。久しぶりに聞いた」
「む、う……」
火にあたり、少しずつ血の気も戻って来た女は静かだった。俺の姿を見ても驚きもしない。慌ても恐れもしない。あの像に感じていた感覚と同じだ。
「……」
「…………」
パチパチと焚火の中で弾く音と、遠くで聞こえる遠吠えのような獣の声だけが会話している。俺も喋る方ではない。女との間になかなか会話は生まれなかった。女も喋る方ではないのかもしれない。
「む……」
火を絶やさぬように持ってきた薪木が無くなっていた。探してこようと立ち上がると女の視線を感じる。
「薪が無くなった。探しに行く」
「……ふふ、また戻って来てくれるんだ」
なんと言い返すべきか言葉が出なかった。その通りだ。女が目覚めたのなら長居は不要。このまま立ち去ればいい。また戻って来るなどと、さも当然のように口走ってしまった。
恥ずかしさで体が熱くなるなんて初めての感覚だった。
反応に困っていると女は続け様に、
「私は、篠ノ井小白。……ここで待ってるね」
と、薄氷のような今にも割れそうな小さな笑みを浮かべた。
「魔王軍四天王が一人、剛腕のファントムだ」
「……そっか。それじゃ、私もちゃんと自己紹介しなくちゃね」
パチパチと音が鳴る。しかしそれは焚火ではなく、女の手の上で形作られ、回転するひし形状の氷塊の音だった。
「私はグラヴァルド帝国所属の勇者。あなたたちを滅ぼすべく転生した異界の人間」
女から立ち込める段違いな空気の冷たさにゾワリと毛が逆立つ。反射的に魔斧・白夜を宙から取り出していた。
「私は敵じゃない。……あなたたちにとっては敵だよね」
女は氷塊をそのまま握り潰すと、疲れ切った顔を隠さずに呟くように言った。
「今は魔物にも狙われ、人間にも殺され待ちの逃亡犯。……ふふ、そう考えたら、この世界から殺されようとしてる。私は何のためにここで生まれたんだろうね」
火の勢いが弱まっていく。女からは攻撃してくるような気配は感じられない。
「二回も死ねるのは幸運、なのかな」
*
敵意がない、無抵抗の人間を攻撃することはできない。それは魔王様の命であったし、俺の信念に反することだからだ。かといって無視することもできない。魔王様への報告は考えたが、ライトが関与してくると厄介だった。こう考えてた時点で既に俺は惹かれていたんだろう。
「……なんど見ても素敵。あなたを造った魔王様は良い才能を持ってるね」
「当たり前だ」
結局、俺は『監視』という名目でコハクを観察し続けることにした。コハクからの情報提供を受ける代わりにモデルとやらになった。コハクは情報を小出しにはせず、その日の内に知りうる限りの情報を与えてくれた。
勇者の上限は1ではなく複数であること。人間自らが転生者を殺し、新たな転生者を呼び続けていること、グラヴァルドの策略。人間同士のいざこざは放置でよいが、魔王様の存在を利用しているのは看過できない事実だ。
嘘をついているようにも聞こえない。仮に偽るなら、自分は勇者だのとは言わないはずだ。コハクのその潔さに感心したほどだ。
だが、それを確かめる方法は武力しか思いつかなかった。それは魔王様の望むところではない。我々の存在は魔王様と共にある。だからといって魔王様の意向を無視して、単独で行動することは忠義に反する。
「忠義か。報告も出来ずにいる俺こそが破っているのだがな……魔王様……」
目を閉じるといつだって魔王様を思い出せる。愛と言う感情を表すなら、俺が魔王様に抱く感情こそそれだろう。
――お前は、そーだな。ごーわんのファントムだ。腕太くできたからな!!
魔王様は俺の全てだ。
――好きについて学んでる。お前も読め!
好き。魔王様と違う位置にコハクの存在があった。
グラヴァルドからの刺客かどうかは不明だが、人間の死体が転がっているときもあった。返り討ちにしたようだが、「もう慣れちゃった。あーあ、せっかくの作品が台無しだよ」と、力なく笑うコハクの目は怯えていた。
それでもいざ氷に向かってノミを振るいだすと周りのことなど見えないくらいのめり込んで自分の世界に入る。没入しているときのコハクの目は血走っている。
その差も含め面白い人間だと感じた。騒がしくないのもいい。厄介なのは放っておいたら勝手に倒れてしまうことだった。自然と様子を見に来る回数が増えていく。
「ねえ、ファン。もうすこし斧を上げてくれない?」
「……ふむ、こうか」
いつしかファンと呼ばれ、俺も抵抗もなく受入れたのが驚きだった。魔王様に名付けられた名を、さらに特別な名にしてくれたような気がして胸が騒いだ。俺もコハクと名を呼ぶようになった。
「コハク。集中するのはいいが、自分の限界をいい加減に知れ。毎回倒れられては心臓が持たん」
「……ふふ。今はファンが居るから平気」
「俺を当てにするんじゃない。まったく」
「どうしてファンは私を殺さなかったの?」
「今の弱いお前を殺してしまったら、次に強い勇者が転生するかもしれないからだ」
「それって後出し情報だよ?」
「宇宙……。星の向こうに星が無限にある? コハクの世界は途方もない広さなのだな」
「何言ってるの。この世界だって宇宙はあるんだよ。ほら、あの一番光ってる星にももしかしたら命があるかもしれない」
「……空の背景は全て描かれたものだ。世界はここにだけある」
「あっははは! ロマンチスト!」
「む、むう……」
俺のこの油断。
一瞬で過ぎていく日々。
魔王様がテイマーを認めた数日後。
グラヴァルドの刺客が群を成して襲い掛かって来た。
「貴様ら……人間に味方するのか!」
あろうことか、その軍には人間に従いつく魔物がいた。人間の命令で、魔物が制御されているようだった。
「アァ? お前こそ、人間の味方をしているじゃないか。お前こそ分かっているのか、その人間は勇者だぞ! 魔王様に仇なす存在だ!」
アコマ周辺には生息していないはずのオークの群れが立ちはだかる。どう猛さと暴力性、残虐性は魔物の中でも群を抜く個体だ。明らかにグラヴァルドの装飾が施された甲冑を身に纏っており、異様な姿だった。
俺の背後にはコハクがいる。
「オレは人間に従ってるんじゃねえ。オレには人間の妻がいる。オレは……愛する女のためにここにいる! 家でオレが手柄を上げて帰るのを待ってるんだ!!」
「世迷い事を……!」
人間を守って魔物同士が殺し合う。
俺が躊躇わずに魔王様に報告していれば、こんな不毛な争いは防ぐことができた。
オークの返り血を一身に浴びながら思う。
――これは俺の責任だ。




