17話 好きは氷。いつか溶けてなくなる。
どうやって魔王城に帰って来たか覚えていない。なにやら両手いっぱいのハーブを持ってライトに渡すと口もないのにため息を漏らしたライトの声だけは覚えている。
「はあ……。魔王様。こんな量一体どうするんです」
ぼーっとして何日か経ったかもしれない。いや実際は数時間しか経っていないかも。私は勇者の言葉をひたすら頭の中で繰り返していた。玉座に座って、膝を抱えてコートも脱がずに腕の中に顔を埋めて、延々と繰り返し再生していた。
告白……されてしまった。
あろうことか勇者に好きと言われてしまった。
ありえないありえない。
勇者の使命は魔王を倒すことだ。でも私は魔王と名乗ってない。もしかすると、私の見た目が可愛いからとか、お礼に魔石を上げたから優しいとか、そういった理由で言ったんだ。ひ、一目惚れ、というやつかもしれない。
分かる。私は魔物としても可愛いし、人間と比べても異次元の可愛さを誇る。しかも伸びしろだらけだ、これからいくらでも背も胸も成長できる。
「魔王様、テイマーの件ですが」
「……」
テイマー? 不本意だがハピコに相談してみるか? いいやだめだ、からかわれるに決まってるし確実にアベルにも知られる。そうなったら最悪だ。当たり前だがライトにだって言えやしない。こいつはこいつで口が軽い。魔物ネットワークを維持するために勝手に私の発言を宣伝文句として使うくらいだ。
落ち着け、落ち着くんだ私。
「落ち着けライト!」
「はい」
靴を脱いで裸足になる。足の指で宙を奏でるように動かしながら意識を集中する。マリアンヌを抱き寄せる。
「魔王様! 魔王様はおられるか……!」
轟音と共に謁見の間の扉が開かれた。分厚くてドラゴンも通れるような大きな扉を、木の扉を開くように軽々と開き、真っ白な巨大な影がのっそりと近づいてくる。ミスリルゴーレムより大きな体躯は真っ白な毛で覆われ、その影は冷たい空気を纏っていた。
「ファントム。いきなりは無礼ですよ。ちゃんとノックしてから入って来て下さい」
「すまない。火急の案件につき勇み足となってしまった」
ずしんずしんと私の傍に近寄って来る。
四天王の一人であり、北の雪国を統括する獣魔将――『剛腕のファントム』だ。
戦いで負った傷が毛を削りそこには毛は生えず、禍々しい紋様のようなタトゥーとして赤く残っている。まるで赤く熱せられた鉄の鎖で縛りつけられたようなアンバランスな傷跡は、その厳めしい顔の一部も抉っている。
「なんだ。私は今忙しいんだ。考えごとをしている。後にしてくれ」
私はお尻で体を半回転させて玉座の肘掛け側に体を向けた。
「ライト……。何か問題が?」
「いいえ。強いて言うならばテイマーの件ですが、報告できておりません。きっと勇者――」
「そそそんなわけあるかっ! 世界の情勢について考えているんだ!」
私はライトに雷撃を放った。しかし、ライトのマントの中の虚無空間に吸収されてしまう。余計な稼働エネルギーを分け与えてしまった。私も知っててやっている。
「ご覧の通りです、ファントム。して、火急の件とは? 魔法都市アコマが雪崩にでも巻き込まれましたか?」
ライトの問いに、ファントムは煮え切らない返事をする。もぞもぞと動く毛玉が大きすぎてどうしても視界に入ってくる。懐に隠してあるハーブの匂いを嗅いで、心を落ち着かせてから首だけ動かしてファントムを見た。
目が合うとファントムの方から逸らした。……なんなんだ。
「なんだ。言え。ちょっとだけなら聞いてやる」
私の呆れ声にファントムは嬉しそうに牙を剥きだしにした笑顔で姿勢を正す。無口で、愛想笑いですら苦手なくせに、一生懸命に私の機嫌を取ろうとする姿勢は熊みたいで愛くるしい。ただ、毛はごわごわしていて硬く、触り心地は最低ランクだ。
「魔王様。実は小生、人間の女房を娶りたく……」
ブッ、と私は思わず吹き出してしまった。マリアンヌが落ちそうになるので覆いかぶさるように抱き留める。その姿勢のままファントムを見上げた。
「に、女房!? ど、どの魔物だ?」
そもそも魔物に女房とか夫とか。そんなものは存在しないのだが。
「はい。小生の生涯の番として人間の女を迎え入れたく。どうか魔王様のお許しをいただきたく、まかり越しました。例のテイマーの件におきまして、魔王様が人間と魔物の絆に海のようなご慈悲を示されたと耳にし……。居ても立ってもいられず、駆けつけた次第です」
「穏やかではありませんね」
ライトは明らかな嫌悪感を示した。
ファントムは恐ろしい白熊の顔を真っ赤にし(毛むくじゃらで分かりにくいが、もじもじと巨大な爪を合わせているので多分そうだ)、深く頭を下げた。
「四天王が人間を? す、好きになったというのか……?」
「はい、魔王様……」
「その人間に、お前はテイムされたのか? 四天王最強とも言われるお前が、人間にほだされたとでも?」
ファントムはぶんぶんと首を横に振る。
「誇り高き魔族の将の名にかけて! ほだされたわけでも、たぶらかされたわけでもございません。小生と彼女は……心と心で通じ合っていると確信しております」
「テイムの正体については未だはっきりとしたことはわかっておりません。ファントム、その人間から何か怪しい物を飲まされたり、身に着けたりしていませんか?」
「ライト! その発言は無礼だぞ。彼女を疑う気か!」
テイムとは魔物と人間が互いに好きになり、魔物が人間側に身を寄せて暮らすことを言うのだと私は思っているが、ライトは未だに怪しんでいるようだった。
「彼女との出逢い、あれは昨年の冬のことでした」
ファントムは遠い目をして、木枯らしのような太い息を吐いた。
「待て! 勝手に回想に入るな! まだ私は理解しきっていない!」
しかし自分の世界に入り込んでしまったファントムは遠い目をして語り出した。
「小生が雪深い北の森を巡回していた時のことです。森を抜け、さらに北上すると、まるで大地を引き裂いたような地面が遥か向こうまでくり抜かれ、その両脇に巨大な崖が広がっております」
「人間で言う、アコマクト大峡谷ですね。通称『崖A』です」
「はい。その崖を削り取ったかのように、透き通るような美しい氷の彫像が建っておりました。それが……驚くべきことに、小生の姿だったのです」
「ファントムの像だと?」
「ええ。毛並みの一本一本、牙の欠け具合まで、恐ろしいほど正確に削り出された、実物大の小生の像でした。そしてその足元で、ひとりの人間の女が倒れるようにして眠っていたのです」
ファントムの語るところによれば、その女は魔法都市アコマから離れた森の奥、その向こうの崖Aで一人で暮らす、売れない彫刻家らしい。
人間が信仰する女神や英雄の像を彫らず、魔物や獣など「人間社会から忌み嫌われるもの」ばかりを彫る彼女は、人間から命を狙われていて、彼女自身も人間を酷く嫌っているようだった。
「小生は驚き、凍えそうな彼女を思わず抱き上げました。目を覚ました彼女は、小生の顔を見ても悲鳴一つ上げず、むしろ笑みを浮かべてこう言ったのです。『ああ、動かないで。光の当たり具合が最高なんだから。まだ腕の毛並みが彫り終わってないの』と」
ファントムは嬉しそうに、照れくさそうに笑った。
「人間界から弾き出され、孤独に氷を削り続けていた彼女の目には、小生のような化け物が『美しい』と映ったようです。小生は……彼女のその冷たくて不器用な情熱に触れていくうちに、どうしようもなく惹かれてしまったのです」
「そしてもう一つ、小生の願いをお聞き届けいただきたく」と神妙な面持ちをしたファントムは宙から身の丈以上はある巨大な戦斧を取り出した。ファントムよりも柄は長く、半円を描く刃は私の体三つ分くらいはある。ファントムが愛用している魔斧・白夜だ。
それを丁寧に両手で持ち、ゆっくり音を出すことなく私の足元に置いた。
「この白夜、そして小生の四天王の座を魔王様にお返ししたいのです」




